人生において、最初から決まっていることはひとつだけ。
それは、いつか死ぬということ。
ともすれば忘れて過ごしているけど、この事実だけは変わらない。
人はいつか死んで、この世界から消えてゆく。
すべてのものに別れを告げて。
今、幸せに暮らしているのなら、この事実は認めたくないほどに辛い。
夢を描いて突き進んでいても、心から愛する人と寄り添っていても、それはいつか終わる。
何のために頑張っているのか、何のために人を愛するのか。
すべてが無駄じゃないかとさえ思えてくる。
だけど、きっと人はいつか終わるからこそ、すべてのことに本気になれるんだとも思う。
永遠はきっと苦しい。果てがない世界は恐ろしい。
限りある人生の中で、ゴールがあることだけは把握した時間の中で、何かを成し遂げようとするからこそ、人生に意味が生まれるんだと、思う。
だけど、死にたくはない。
ただ、いずれ終わると思えば、すべての苦境に立ち向かう強さが生まれるんじゃないだろうか。
私はホントに辛い時、「どーせいつか死ぬんだから」の精神で立ち向かう。
そう思えば、大概のことは「まあいっか」になる。
悲観的ではなく、ポジティブな死生観だと思ってる。
投げやりでもなく、だから頑張ろうって気持ちになれる。
どーせいつか死ぬんだから、自分から終わりにしようとも思わない。
死ぬ時期が最初から決まってるとは思わないが、その時が必ず来るのなら、それは自然な運命に任せたい。
死ぬ気になれば何だって出来る。
出来なくたって、最悪は死ぬだけだ。
それ以上はない。
その覚悟さえ持てば、いや、持てなくてもその時は来るのだから、すべて受け入れて生きてゆくよ。
いつだってそう思っている…のだけれど。
照りつける太陽の下、白いボールを追いかける少年達。
土手に座って、少し離れたところで眺めている。
あんな風には、走れなくなったな。
ランナーがホームに滑り込む。
頭から地面に突っ込んでゆく勇気。
昔の自分にはあったのだろうか。
晴れた日は、なんだか得した気分になれる。
青い空、白い雲、そして、照りつける太陽。
これを見上げながら、川沿いを散歩する。
遠く、飛行機が空の海を泳いでゆく。
白く羽を生やして、トビウオみたいだな、なんて考えたら、自然に笑みが溢れてきた。
昨夜、娘とちょっとした言い争いがあった。
娘でも、家族でも、お互いの心の内は見えないから、些細なことで思いが平行線になる。
ずっと一緒にいるから、愛情を育みやすい反面、ぶつかって嫌い合うリスクがいつだって見え隠れしてる。
余計なこと言ったのかな。
帰ったら、もう一度、向かい合ってみようかな。
緑の草いきれ。
太陽の光を反射して、川面がキラキラと輝いてる。
都会の喧騒を忘れられる空間に身を置いて、心が少しだけ柔らかくなったような気がした。
鉄橋を電車が走り抜けてゆく。
たくさんの人達の想いや生活を乗せて。
皆も頑張って。俺もまだまだ頑張るから。
なんて偉そうにエールを飛ばしてたら、なんだか頭がボーッとしてきた。
マズイ。熱中症になる前に帰らなきゃ。
太陽さん、もう少しパワーを弱めてもらえませんか。
すべての人々が、これからも快適に生きていくために。
いろんな苦境が訪れても、乗り越えて進む勇気を持ち続けられるように。
夕暮れに、見覚えのない住宅地に迷い込んだ。
塾からの帰り道、自転車で一人、人気のない路地を彷徨っている。
おかしいのは、いつも通りのルートを走っていたのに、いつの間にかこんなところに迷い込んでいたこと。
まるで、誰かに誘われたかのように。
ノコギリで、何かを切るような音が聞こえる。
ギーコ、ギーコ、ギーコ、ギーコ、ギーコ、ギーコ、ギーコ。
人気はないのに、誰かがどこかで何かを切っている。
振り返ると、さっき通り過ぎた道が消えていた。
そこには、暗闇が広がっているだけ。
いよいよ、やばいところに来てしまったようだ。
スマホを取り出し、自宅に掛けてみる。
誰かと繋がったが、聞いたことのない言葉でずっと男性が喋っていた。
声に聞き覚えもない。絶対に家族の誰かではない。
仕方なく電話を切り、自転車を止め、目の前にある家のインターホンを鳴らしてみる。
鳴り響く鐘の音。これは…お寺の鐘の音だ。
玄関のドアが開き、真っ青な人が出てきた。
全身が真っ青。目も鼻も口もない。
これはやばい、と隠れようとしたが、どうやら向こうにはこっちが見えていないらしい。
辺りをキョロキョロとして、目の前の僕に気付かずに、扉を閉めた。
そして僕は途方に暮れる。
自転車に乗り、あてもなく走り出した。
すると、辺り一帯から鐘の音が響く。
寺の鐘の音が鳴り響く。
ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン。
左右に並ぶすべての玄関のドアが開き、真っ青な人が顔を出す。
まっすぐ前を向いて、一心不乱に自転車を漕いだ。
左右の青い人が、口々に何かを言っている。叫んでいる。
どうせ聞いたって分からない。走り続けるしかない。
道の先に、何かが立っていた。青い人だ。
右手に…ノコギリを持っている。
そして、左手には…誰かの首。
横を走り抜ける時、青い人が持っていた誰かの首がこちらを向いた。
その顔は…僕だった。
自転車はそこで豪快に転倒し、僕の体はアスファルトに叩きつけられた。
「交通事故で運ばれた男の子、助かったって?」
「ああ、一時はどうなることかと思ったけどな」
「首の骨が折れてて、心肺停止もあったとか」
「うん、たぶん、あの世を垣間見たんじゃないかな」
「だけど、手術中にも大変なことがあってさ」
「何?」
「突然、執刀医が倒れたんだよ」
「ホントかよ。なんか、不穏なものを感じるな」
「いや、それがさ、そいつ、次の日手術だってのに深酒したらしくてさ、それで体調崩して気を失ったらしいんだ」
「マジか。医者の不養生ってやつだな。で、そいつはどーなったの?」
「まあすぐに執刀医は交代して何とかなったけど、目を覚ました後でそいつに話を聞いたら、気絶してる間もこれはマズイって気持ちがあったのか、何故か夢の中でノコギリ持って手術を続けてて、周りにいる手術衣を着た同僚からやめろって言われても手を止めることが出来なくて、辺りから聞こえる寺の鐘の音に自分は死んだのかと不安になったところで院長が現れて、お前はクビだ、って宣告されたんだって」
頭に浮かぶ、つまらないことでも、興味を持って聞いてくれる人がいる。
逆に、想いを尽くして送った言葉を、無下に聞き捨てる人もいる。
どっちがいいとかじゃない。
これで相手の人間性が分かる。ただそれだけ。
たとえば、愛想笑いの得意な人。
そして、自分の気持ちに正直な人。
つまらないことはつまらないと思われても仕方ない。
そのリアクションで、自分の力量を知るしかない。
どーせ、自分は自分を買い被るんだ。
現実を思い知るには、そのくらいの荒療治が必要なんだ。
何が言いたいのか分からないのは私も同じ。
ホント、つまらないことでもいいから書いてみようと始めると、いつもこんな感じになる。
それでも誰かが読んでくれたりして、また自分を買い被る。
人間ってそんな永久機関になり得るんだな。
でもそれで幸せなら…まあいいか。
週末の夜。
今さっき、つまらない日本のホラー映画を観終えたところ。
ホントにつまらなかった。タイトルは伏せる。
最近アマプラに追加されたから観てみたけど。
でもまあ、どれだけつまらなくても、誰かが一生懸命作ったものには違いないんだろう。
自分はそれを、無下に途中放棄する人間ではなかった。
そんな自分の人間性が垣間見えたから、まあ良しとして週末を終える。
自分の徒然なる思いを綴っただけのつまらないことでも、どこかで誰かの興味を少しでも引くことが出来たなら、自分なりに試行錯誤して生み出した甲斐があったということで、自己満足しよう。
…読み返せば、ホントにつまらないことでしかなかったが。
次に目が覚めるまでに、この世界が終わってしまっていたら。
そんなことを考える。
もしくは、すべてのことが、私が眠っている間に見ていた夢だったら。
家族も友達も、自分自身でさえもが夢の中の登場人物で、目を覚ましたらそこは、誰一人いない荒野だったりして。
荒野に、見慣れない虫が一匹いるだけ。
いつも通りに目を覚ませたことに感謝しなきゃ。
家族がいる。部屋もある。美味しいご飯が食べられる。
これが当たり前なのに、当たり前じゃないかもしれない。
荒野を彷徨う一匹の虫なのかもしれない。
目覚めるべき世界が消え去っているかもしれない。
もっとリアルに言えば、体に巣食う悪いものが顔を出すかも。
今日も元気に一日働いた。
それがどれだけ幸せなことか。
家に帰ってゆっくり休める。
これがどれだけ至福な状況か。
夕飯食べて、お風呂に入って、明日に備えて眠る。
そして、目が覚めるまでに、世界が終わらないことを祈る。
孤独な虫になっていないことを祈る。
アメリカの株価が、これ以上暴落しないことを…祈る。