「えっ…?」
深夜、病室の窓から女の子が入ってきた。
ここは4階。
さっきまで、明日の手術が怖くて眠れない時間を過ごしていたのに、それよりも怖い出来事が起きてしまった。
パニックを起こしても無理はないだろう。
ところが、
「あ、こんばんは。私、エミリって言います。初めまして」
なんて、可愛く微笑みながら言うもんだから、もはや怖さよりも不思議の方が勝ってきてる。
「こんばんは…って、なんで窓から?ここ4階だよ?」
「ああ、夜は病院の入口が閉まってるから。」
「いや、答えになってないよ。どうやって上がってきたの?」
「え?見て分かるでしょ。私、幽霊だよ。高さなんて関係ないから」
…そーゆーもんなの?じゃあ、入口が閉まってたって通り抜けられるんじゃ…という言葉を飲み込む。
「そーなんだ。ごめんね、私、幽霊って詳しくなくて」
「なんで謝るの?ところでおねーさん、明日手術なんでしょ?」
「そうだけど…なんで知ってるの?」
「んー、幽霊だから」
…答えになってないって。
「そんなことよりさ、手術、怖い?どんな気持ち?」
「そりゃ怖いよ。逃げ出したくて仕方がない」
「そっか。そー思ってね、私が出てきたの」
「…どーゆーこと?」
「あんまり時間がなくてさ。手短に言うね」
彼女の身の上話だった。
以前、この病院に入院していたこと。
手術が必要だったが、ある理由から輸血が許されず、手術を受けられないままに亡くなってしまったこと。
あとは…何故かどこへも行けず、ずっとこの病院の周りを彷徨っていること。
「たぶん、この世界にサヨナラする気持ちが出来上がってなかったからだろーね、って、あのおじいさんが」
「おじいさん?」
「うん。あなたのおじいさんだって。二ヶ月前に死んじゃったって」
「え…?会ったの?」
「会ったってゆーか、最近ずっと一緒にいる。なんかね、自分が死ぬ直前に突然おねーさんがこれから入院ってなって、心配しながら死んだせいか、うまく成仏出来ないんだって」
「…罪悪感でいっぱいになりそうなこと、さらっと言うね」
「だからね、見守ってるから大丈夫だって」
「…ここには来れないの?」
「来てるよ。窓の外にいるんだけど…見えないんだね」
窓の外には夜の闇。人の姿はない。
「あなたは、こんなにはっきり見えるのに」
「私はね、手術がしたかったんだ。そしてもっと生きたかった。だから、おねーさんが羨ましいの。はっきり見えてても、私はもうこの世にはいないからね」
少しだけ、病室の窓が揺れて音を立てる。
「おじいさんが、頑張れって。まだこっちに来るなって。心配してくれる人がいるのも、羨ましいよ」
少女が目を伏せて、悲しそうな表情を見せる。
彼女の両親のことを聞こうとしたが、聞けなかった。
「だからね、もう心配しないで。今夜はゆっくり休んで、明日のために」
「…そーだね。生きるために、頑張んなきゃね」
あなたの分も…生きるよ。これは言葉に出来ない。
「あ、それと、これ」
蝶々の髪飾り。ローマ字で「Emilie」とある。
「私の名前入っちゃっててゴメンだけど、良かったら使って。ベットの下に落としたまま、誰も気付いてくれなくて」
「ありがとう。大事にするね」
「うん。それで、私の分も生きてね」
…さらっと言われた。
「じゃあ、行くね。あ、看護師の相田さんに、お世話になりましたってお礼言っといて」
「びっくりしちゃうだろうけど、言っとくよ」
「じゃあ、バイバイ。おじいさんも手を振ってる」
「うん。バイバイ。おじいちゃん、見守っててくれてありがとう」
「あー、おじいさん、泣いてる。大人も泣くん…」
気付いたら、私以外、誰もいない病室。
いつのまにか、窓の外には雨が降っていた。
おじいちゃん、あの子をよろしくね。
暗い窓の向こうにささやいた。
次の日、ナースステーションに向かう途中で、相田さんに会った。
私の髪を見て、足を止める。
「それ…どこにあったんですか?」
蝶々の髪飾り。気付いてくれた。
「私のベッドの下に。エミリちゃんのですよね」
「え…?どうして笑里ちゃんのこと…会ったことないですよね?」
「会いました。可愛い子でした」
「そんな訳ないですよ。亡くなったの、もう何年も前ですよ?」
廊下で二人、少し涙ぐんで。
相田さんは私の話を信じてくれた。
エミリちゃん、私よりお姉さんだったのかもしれないな。
うまくいかないことも うまく出来たことにして
不安なんか無責任に忘れて やり直せる明日を待とう
こんな日もあるけどさ もう日が暮れて夜が来て
今日が思い出に変わる前に 自分らしさを取り戻して
明日もし晴れたら あなたに会えるかもしれないから
話したいことたくさん持って あの公園に行こう
明日がもし雨でも あなたに会えなかったとしても
話したいことたくさん集めて 会える日を待つよ
雨音のBGMであなたを夢見てる
明日もし晴れたら カーテンを開けて朝の光浴びて
明日がもし雨でも 心も大空も晴れ渡る日を待って
うまくいかないことも うまく出来たことにしよう
不安なんか無責任に忘れて 明日が来ればやり直せる
そうやって頑張っていることを あなたに話したい
雨音のBGMで会える日を夢見てる 明日もし晴れたら
運が悪いのかな。
周りの連中が、やたらと徒党を組んで、気付けば俺の悪口を言ってる。
分かってるよ。誰かをターゲットにしたいんだろ。
俺がその配役にちょうどイイんだろ。
喧嘩も強くないし、付き合いも悪いし、気の利いたことも言えないし。
俺がいて良かったな。
お前らの毎日は楽しいだろな。
誰かを陥れれば、自分の価値は上がる、ような気がする。
ワンランクアップしたような高揚感。
一人、格下を作るんだから当たり前だ。
でも、それは勘違いのネタが増えただけのこと。
お前らは誰よりも格下だよ。
徒党を組まないとトイレにすら行けない。
ちょっと運が良かったのかな。
今回は、白羽の矢を立てられなかっただけ。
明日は我が身だってことを思い知れ。
誰かを貶めて作る笑顔ならいらない。
心から笑うほど自分が腐っていく。
無理に付き合って自分を擦り減らす必要はない。
いずれきっと、俺以外の誰かがターゲットになる。
だって、誰だっていいんだから。
ロシアンルーレットを外してしまった。それだけのこと。
運が悪いんだ。
誰にだって起こり得る、アンラッキーなイベント。
群れをなす奴らが見つけた暇潰しは、獣以下の愚かな行為。
人ならざるものに堕ちてゆくだけの、虚しく意味のない争い。
あれに交われば黒に染まる。
だから、一人でいたい。
あなたの澄んだ瞳は、世界を変えることは出来ないけれど、世界を変えたいと願っている兵士の心を癒すことは出来る。
ただ、そばにいるだけで。
命を賭して、人ならざる行為に身を捧げる者達へ。
その澄んだ瞳に何を見るのか。
過ちを繰り返す人類の愚かさを、夕暮れに小石蹴る少女の切なさを。
子どものように澄んだ瞳で、この薄汚れた世界を見回せば、きっと幼き時代に、精霊と交わした約束さえ思い出す。
こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。
濁りゆく世界は、あなたの瞳が映し出すリアル。
故郷を捨てて、大人になるためのプロットを経て、すべてがうまくいく魔法はないと知り、澄んだ瞳に陰りが生まれた。
あの日、両親に見送られて、遠く新しい世界を目指していた私はどこへ行ったのか。
道を誤ったボクサーのように、がむしゃらに生きることに疲れ果てた夜。
闘志と汗にまみれたその瞳は、どこまでも澄んでいて、誰よりも真実を見据えていたのに。
そっと今、リングを降りる。
澄んだ瞳で見つめられたら、もう一度すべてをやり直したいとさえ思えた。
人の子として生まれ、同じ世界に生きて、隔てるものなど何もないのに、あなたの瞳はフェイクのガラス玉。
濁るはずもなく、綺麗に磨き上げられて、世界の現実をありのままに映し出す。
残酷な、生きるに値しない世界を。
私は今日も、生き続けるために、濁った瞳で世界を見下ろしている。
どんなに嵐が来ようとも、という言葉を聞いたら、その嵐にいかに耐えるか、が、必然的にイメージとして描かれるような気がする。
でも、所詮人間なんて、自然の力の前には為す術もない。
嵐が来て、様々なものを破壊され、大切なものを失っても、ただただ、耐えるしかない。
あ…そうか、耐えるのか。
命を失わない限り、人は耐えるんだな。
立ち向かうことは出来なくても、受け入れ、耐えることは出来るんだ。
そして、嵐という困難を乗り越えるんだろう。
あれ…?これは、立ち向かっていることにならないか?
嵐に打ち勝ったことにならないか?
人間は、どんなに嵐が来ようとも、打ち倒して前に進むことが出来るんだな。
白々しい、と思われるかもしれないが、本当に本当に、これを書き始めて成り行きに任せてたら、そんなオチに辿り着いた。
書いてみるもんだ。