夕暮れに、見覚えのない住宅地に迷い込んだ。
塾からの帰り道、自転車で一人、人気のない路地を彷徨っている。
おかしいのは、いつも通りのルートを走っていたのに、いつの間にかこんなところに迷い込んでいたこと。
まるで、誰かに誘われたかのように。
ノコギリで、何かを切るような音が聞こえる。
ギーコ、ギーコ、ギーコ、ギーコ、ギーコ、ギーコ、ギーコ。
人気はないのに、誰かがどこかで何かを切っている。
振り返ると、さっき通り過ぎた道が消えていた。
そこには、暗闇が広がっているだけ。
いよいよ、やばいところに来てしまったようだ。
スマホを取り出し、自宅に掛けてみる。
誰かと繋がったが、聞いたことのない言葉でずっと男性が喋っていた。
声に聞き覚えもない。絶対に家族の誰かではない。
仕方なく電話を切り、自転車を止め、目の前にある家のインターホンを鳴らしてみる。
鳴り響く鐘の音。これは…お寺の鐘の音だ。
玄関のドアが開き、真っ青な人が出てきた。
全身が真っ青。目も鼻も口もない。
これはやばい、と隠れようとしたが、どうやら向こうにはこっちが見えていないらしい。
辺りをキョロキョロとして、目の前の僕に気付かずに、扉を閉めた。
そして僕は途方に暮れる。
自転車に乗り、あてもなく走り出した。
すると、辺り一帯から鐘の音が響く。
寺の鐘の音が鳴り響く。
ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン。
左右に並ぶすべての玄関のドアが開き、真っ青な人が顔を出す。
まっすぐ前を向いて、一心不乱に自転車を漕いだ。
左右の青い人が、口々に何かを言っている。叫んでいる。
どうせ聞いたって分からない。走り続けるしかない。
道の先に、何かが立っていた。青い人だ。
右手に…ノコギリを持っている。
そして、左手には…誰かの首。
横を走り抜ける時、青い人が持っていた誰かの首がこちらを向いた。
その顔は…僕だった。
自転車はそこで豪快に転倒し、僕の体はアスファルトに叩きつけられた。
「交通事故で運ばれた男の子、助かったって?」
「ああ、一時はどうなることかと思ったけどな」
「首の骨が折れてて、心肺停止もあったとか」
「うん、たぶん、あの世を垣間見たんじゃないかな」
「だけど、手術中にも大変なことがあってさ」
「何?」
「突然、執刀医が倒れたんだよ」
「ホントかよ。なんか、不穏なものを感じるな」
「いや、それがさ、そいつ、次の日手術だってのに深酒したらしくてさ、それで体調崩して気を失ったらしいんだ」
「マジか。医者の不養生ってやつだな。で、そいつはどーなったの?」
「まあすぐに執刀医は交代して何とかなったけど、目を覚ました後でそいつに話を聞いたら、気絶してる間もこれはマズイって気持ちがあったのか、何故か夢の中でノコギリ持って手術を続けてて、周りにいる手術衣を着た同僚からやめろって言われても手を止めることが出来なくて、辺りから聞こえる寺の鐘の音に自分は死んだのかと不安になったところで院長が現れて、お前はクビだ、って宣告されたんだって」
8/5/2024, 12:48:32 PM