いくら降っても積もらない雪もある。あたたかい部屋から眺めて歓声を上げるだけの雪も。
だけどこれは真正面から吹き付けるやつ。サラサラと耳障りよく、だけど積もるとヤバいやつ。時間とともに固まって蹴ってもびくともしないやつ。いつまでも溶け残って、寒い季節に囚われるやつ。
気づいたときにはもう手遅れ。
あなたに見つめられるたび、私の庭は白く埋まる。
『降り積もる想い』
肩書きの違う相談員を前に何度も同じ話をしてきた。自分の言葉に替えるのがいいのだと促されて。淀みなく尤もらしく身の上話が口から流れ、遠隔操作の気分になる。
お話あのね。幼い頃はそう言って思いつくまま話せた。あの頃と同じように手のひらをうえに向け、小指同士をトントンとたたき合わせてみる。
渡されたお菓子の包みを握り締めたら、緑と赤のリボンが優しく絡む。何をどれだけ話しても聞いてもらっても、どこか作り物みたいだけど。あの頃の記憶を、無条件の安心を、ひとりぼっちの今こんなにも望む。
『手のひらの贈り物』『時を結ぶリボン』
電車から降りると、冷たい風が吹き付けた。あたたまった身体から急速に熱が奪われていく。歩きながらマフラーを取り出しぐるぐる巻いた。きしむ指先に息を吐きかけて、同じことを君がしてたなとおかしくなる。
駅を出たら真正面に夕空。薄い桃と紺の境目が、絵の具に水を垂らしたように曖昧になる。
私の知らないところで、できたら今日も何かに笑っててほしい。たまに揺さぶられて空を見上げても、明るく健康的に日々を送れていますように。
寒くなるとやはり思い出してしまうな。心の片隅で君の幸せを願うよ。そんくらいでたぶんちょうどいい。真ん中に置いてしまうと、なんだか重たいからね。
『心の片隅で』
学生時代を過ごした街はいわゆる豪雪地帯で、私が生まれてはじめて積雪を見た場所だった。
海に面した街は一年を通して曇りが多く、私のバックパックには常に折りたたみ傘が入れっ放しだった。気温が下がると雨は雪になる。そんな当たり前のことに、冬がくるたび私は感動した。
雪の降り始めはしんとしている。世界が耳を澄ますような静謐のあとに、よく雷が鳴った。真っ白な地面が、軒先が、標識や街灯が、紫に染まる。
わざわざ遠回りをして、まっさらな白に足跡をつけるのが好きだった。なにがおもしろいの? と嫌そうに言った君もまるごと。
『雪の静寂』
通された部屋には、いたるところにキャンバスが立てかけられていた。
桃と青のグラデーションに染まる空。エメラルドに打ち寄せる波しぶき。新緑のいきづく森。溺れそうなほど明るい色ばかり使われた世界に、人物はひとりもない。
「最後に描いてたのはこれ」
案内してくれた母親に示された絵は、夜の闇に浮かぶコンビニだった。街頭の灯りが暖かく世界を照らし、反射した光がキラキラ飛び交っている構図だ。
「あなただよね?」
店舗の前に座って肉まんのようなものにかぶりつく高校生は、僕と同じリュックを脇に置いて、隣に立つ君を見上げ笑っているように見えた。
布のなかの世界が光を浴びて輝く。
『君が見た夢』