ジャージで過ごした翌日にワンピースを着てくるひとだった。不誠実を見過ごせず、朗らかによく笑う。そんなところが好きだと思った。
あの日前屈みに教卓にもたれた脇から、無防備に白がのぞくのを、周りの男子たちがニヤニヤ見ていた。当時流行った歌の文句に似ている、淡い水色に白の縦縞が入ったワンピースだった。袖から少しはみ出た糸が、隠しきれない幼さに見えた。
目の前で手が振られる。待ち合わせに現れたきみの、空を切り取ったようなワンピース。
「どしたの?」
見上げられ、私は笑う。
「かわいいから見惚れちゃって」
真実の一部分をクローズアップして言葉にすると、目の前のきみは「よしよし」と満足げに頷いた。
『時を繋ぐ糸』
視界の隅に、はらはらと黄色が落ちる。目を上げるのを待ち構えたように、何十枚というイチョウの葉が目の前に降る。地面がざあっと波立った。
毎日歩いている通勤ルートだった。つい昨日まで黄色率はほぼなかったはずだ。自分が気づいていなかっただけだろうか。
一足踏み出すたびに足元がカサコソと鳴る。すれ違う小学生がスニーカーの先で落ち葉を蹴り散らかす。街路樹は残らず紅葉したわけではなく、緑の葉ばかりの樹もあった。日当たりの違いだろうか。緑も黄も青空に映えて、葉先を風にそよがせている。
メッセージアプリを既読で止めたままスマホを閉じ、しばし鮮やかな色彩を見ていた。
『落ち葉の道』
機嫌の良い時、まんざらでもない時、君は二回髪をかきあげる。犬の尻尾みたいだなあと毛先を眺めて私は思う。
遅刻するよと眠そうに呟く頬を撫でて、実は今日休み取れたと伝えたら、ギッと音がしそうなほど瞳が見開かれた。
「マジで!?」
「マジで」
「無理してない?」
「……してない」
「ほんと?」
下から覗き込まれ、返事が遅れる。嫌味をよこした部長のあばた面がよぎる。
「こういうのは、無理って言わないもん」
嬉しくないの? と目を見て訊いたら、
「さあ、どうかな〜」
面倒くさそうに目を逸らして、指先が二回、右の髪をかきあげた。
大事なものは何なのか、知らせる鍵を君はすぐ隠すけど。不意に開けてくれるのもまた、君だけなんだ。
『君が隠した鍵』
あなたのこと育てているなんて思ったことは一度もなかった。むしろこちらのほうが、親にしてもらって、育てられていたよ。
長い間もらってばかりでごめんね。これ以上時間を奪わずに済むと思うと、どこかホッとしてる部分もある。この先のあなたを見られないことは残念だけど。
ねえ、いま夕焼けがとてもきれい。
消える前にきてくれたら。一緒に見られたら。
『手放した時間』
一緒に出かける前、母は決して振り返らない。
何時に出るよとか、早く支度しなさいとか、鏡の前から声を掛けるだけで、持ち物を一緒に確認したり髪をとかしてくれたり、そんな記憶はなかった。
バタバタと鍵を掛け、私をエレベーターの中に追い立てる頃になってようやく目が合う。
「顔洗ったの?」
と指で目尻をごしごしこすられた。
近づいた紅色から、デパートの匂いがした。
『紅の記憶』