未知亜

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4/16/2025, 9:25:49 AM


ㅤ入学後のガイダンスで隣だった奴に誘われて、そのまま飲みに行くことにしたのは、家庭教師のバイトが休みになってこのまま家に帰るのが味気ないと思ったからだった。
ㅤ遅れてやってきた君は、居酒屋の扉を開けたまま、しばらく辺りを見回した。熱気の籠った店内に、春の風が吹き込んだ。誰かが「涼しー」と歌うように呟いた。
ㅤこちらに向かって手を振る君の背後で、桜の花がふわりと踊った。のは、酔いのせいでは決してないと思う。花びらは確かに舞いこんでいたし、そこだけライトでも当たるかのようにキラキラと爆ぜていた。一目惚れってほんとにあるんだと、どこか冷静に僕は考えたあの日。
ㅤ僕は春と、恋に落ちた。



『春恋』

4/15/2025, 9:11:20 AM

 未来のことを描くのはやめよう。何度もそう思った。
 新しい季節が来ると、新しい出会いがあると、今度こそはと考えてしまう。つい人を信じすぎて、空回りしてしまう。予想通りにいったことなど、結局一度だってなかったのだ。
 期待なんかしなければ、裏切られたと嘆くことも、情けなくて砂を噛むこともないはずで。だからほどほどであきらめる。それがいまの私の未来図だった。
 ……そうだった、はずなのに。


『未来図』

4/14/2025, 8:39:20 AM

ㅤ帰宅を促すチャイムが聞こえる。私は窓を開けて、ベランダに出た。いつの間にかこんなにも日が長くなったと知る。
ㅤ桜の花びらがひとひら、ふわりと飛んで目の前を風に転がった。思わず辺りを見回した。それらしい樹なんてこのへんにはないはずなのに。そもそも、桜の季節はとうに終わっているのではなかったか。
ㅤこころは嵐のさなかでも、季節は確実にめぐっていくのだ。あの頃、この時間はもうだいぶ暗かった。世界にはちゃんと、私とは別の時間が流れている。そんな当たり前のことがなぜか急に愛おしくなった。
ㅤ零しても零しても枯れない涙。こんなふうに風に乗ってどこへなりと飛ばせたらいいのに。それを見つけた誰かが周りを見回し、どこから来たのかと首を捻ってくれたなら。私の心も少しだけ救われる気がした。

ㅤ摘んだ花びらを風に返す。
ㅤ表通りではもうすぐつつじが咲くだろう。


『ひとひら』

4/13/2025, 9:09:48 AM

 雨が降っていたような気がする。
ㅤ絵本を読む母親の声がだんだん間延びして、私は白い腕を揺する。母はハッと背中を伸ばし、笑って本を持ち直す。ごめん、ごめん。どこまで読んだっけ?ㅤけれどしばらくすると、母はまた船を漕ぎはじめる。
ㅤ失速してゆく母の声が心地好くて。膝に伝わる温もりが柔らかくて。この時間が終わってほしくなくて。もう殆ど暗記しているお話のつづきを私はせがんだ。
ㅤ思い出せる中で、いちばん古い風景だ。自分を脅かすもののことなどまだ知るすべもなく、この世界は優しさに満ちあふれていた。
 
ㅤ窓の外を眺める白い横顔を私は見つめる。もしかしたら、あの頃の私よりも小さいのかもしれないあなたを。
ㅤ雨音が、激しくなる。


『風景』

4/12/2025, 8:35:28 AM

ㅤ出会った瞬間分かる相手なんて、ありえないとおもってた。鐘が鳴るとかそこだけ輝いて見えるとか、映画や小説じゃあるまいし。
ㅤだけど君の顔を見た途端、耳の奥で何かが鳴った。視界が弾けた感じがして、花の蜜が香り、言葉が見つからなくなった。君なんだ、とただ僕は思った。
ㅤそれが愛だったなら、本当に良かったのに。


『君と僕』

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