未知亜

Open App
3/31/2025, 4:11:47 PM

ㅤ私と典子は取り留めもないことをかれこれ一時間くらい話していだ。小中とずっと一緒にいるのに、話しても話しても話題は尽きることがなかった。
「なんかさ、大晦日より今日のほうが、一年終わる~って感じしない?」
ㅤ典子の声が少し間延びしはじめた。そろそろ眠くなっているのかもしれない。
ㅤ言われて思い出した。今日は三月三十一日、年度末ってやつだった。春休みは宿題もないし毎日が日曜日だし、日付の感覚も薄れてしまっていたらしい。
ㅤ自分たちがというよりは、周りの環境の変化が、年を追うごとに大きくなっていく気がする。私たちは、明日から中三だ。
「いよいよ受験生か。実感ないなあ」
ㅤ私がぼやくと、典子もうんざりした声を出す。
「うちはなんか親の方がうるさい感じ。逆に萎える」
「典子は、私立目指すんだっけ?」
「うん、ひとまずは。さっさと内定もらえたら安心だから単願推薦にしろ、って親は言うんだけど。夏の学校見学の時点で、ほぼ確らしいよ」
ㅤ一学期の内心次第なんだよなぁ~、英語がなぁ~、と典子が大きく息を吐きながら言う。
「ゆかりは公立でしょ?ㅤあんま会えなくなっちゃうかねえ」
ㅤ典子が呟く。さして残念そうでもない響きに私は上手く返事が出来ず、変な間が空いてしまった。
「ゆかり?ㅤどした?ㅤ親きちゃった?」
「あ、ごめん……そう、親が!ㅤそろそろ寝ろって!ㅤせっかくの春休みなのに」
ㅤ典子の無意識の助け舟に、私は勢いよく乗っかって誤魔化した。
「そっか。じゃ、またね!ㅤ明日も喋ろ?」
「うん、おやすみ。またね!」

ㅤメッセージアプリを閉じて、私はため息をつく。
ㅤ典子は多分、なんだかんだと内申をクリアして、第一志望の私立に行くだろう。やりたいことが明確なのだから、志望校に入るのがどう考えてもいちばんいい選択なのだ。
ㅤそれはつまり、典子と違う学校になるという現実まで一年を切ったということで。さっきそう自覚したら、猛烈に寂しくなってしまったのだ。
ㅤこれまでは、「またね!」って別れても、なんの約束もしてなくても、すぐにまた学校で会えた。だけど学校が変わったら?ㅤ毎日顔を合わせる子の方が居心地が良かったら?
「……寝よ」
ㅤとりま明日も通話するんだ。卒業してもずっと「またね!」って言い合って、すぐに会う約束を取り付けるんだ。
ㅤ気の早い決意を抱えて充電コードにスマホを差すと、私はベッドに潜り部屋の明かりを落とした。



『またね!』

3/30/2025, 3:23:19 PM


ご卒業おめでとうございます。
あなたがいるからがんばらなくちゃと
思えたこともありました。
卒業したら、人対人、なので。
またいろいろお話できることを
楽しみにしています。

ㅤ高校の卒業式の日にもらった担任からの言葉だ。
ㅤあの日、卒業式が終わり、教室で順に担任から卒業証書を渡された。並んだ写真を撮られたけど、シャッターが押された瞬間、私は反射的に横を向いてしまった。
ㅤ全員に証書を渡し、担任は穏やかな笑顔で短い連絡事項を伝えた後、教卓に目を落としてほんのしばらく沈黙してから、
「それでは皆さん、また会いましょう!」
ㅤと顔を上げた。変わらず笑ってはいたけど充血したみたいに目が真っ赤だった。
「やだ先生泣かないでよ」
ㅤ誰かが言ってすすり泣きが続き、それを遮るように日直が最後の号令を掛けた。

ㅤその後不思議な高揚のなかで、卒業生たちは卒業アルバムにカラフルなペンを走らせた。最後のページは寄せ書きができるようにスペースが取られているのだ。誰が持ってきたか分からない大量のサインペンがいつの間にか置かれており、回ってくるアルバムにみんな片端から名前とメッセージを書きつけていた。私はその都度表紙をひっくり返して持ち主を確認し、せめて『さん』付けの宛名を入れた。
ㅤようやく自分のアルバムが戻ってきた。寄せ書きのページを早速開く。
『元気で頑張ってね』
『また集まれたらいいね』
『B組よ、永遠なれ!』
ㅤさっき書いていた時に見たメッセージが、楽しげに踊っている。そしてその中に、担任の右肩上がりの文字を見つけた。教室に担任の姿は無かった。私は隣の子のアルバムを盗み見た。反対側の子のも見た。みんなに書いたわけじゃ無いらしい。私のアルバムを選んで書いた……?
ㅤ何かが私を突き動かした。アルバムを抱き締めたまま、職員室を目指して駆けた。階段を駆け下りて渡り廊下を走る私を誰も咎めたりはしなかった。
ㅤ職員室手前の廊下の水道で、あなたは濡らしたタオルを目に当てていた。天井を見上げるような姿勢の横顔に私は言った。
「人対人なら、連絡先、交換してください!」
ㅤ疑問形でも依頼でもない、断定の物言いを私は選んだ。あなたが弾かれたようにこちらへ顔を向け、濡れたタオルが床でペチリと不満気な音を立てた。

ㅤ春風とともに、私は今年も思い出を噛み締める。
ㅤ今は一緒に暮らすあなたとの、あれが多分はじまり。



『春風とともに』

3/29/2025, 3:08:16 PM

ㅤお風呂から出て、録画しておいたドラマのつづきを見ようとしたら、玄関チャイムが盛大に鳴らされる。
ㅤピンポンピンポンピンポーン。
「ノリ~?」
ㅤピンポンピンポンピンポン。
「お酒かってきたー!ㅤいっしょにのも~?」
「ちょ、近所迷惑だから!」
ㅤピンポンピンポンピン……ポン。
ㅤおい最後、溜めたのはなによ。
「いーから上がってきな」
ㅤ部屋の玄関に姿を現した茅乃は、既に酔っ払っているのかと疑ったほど変なテンションだったが、すぐに空元気だと知れた。駄目だったか、やっぱり。
ㅤエコバッグからビールやサワーを次々と並べる茅乃に、私は買い置きの季節限定ポテチを惜しげも無く捧げた。笑ってばかりだった茅乃は三十分もしないうちに大人しくなる。
「これでもさ、あいつの前では、我慢したんだよ?ㅤいつか思い出してもらう時に、泣き顔なんて悔しくて。明るく笑ってる私の方がいいなとか、思っ、てっ」
ㅤ語尾がみるみる震えて、途切れた。
ㅤ向かいに座っていた私は、キッチンから水を入れたグラスを手に戻ると、茅乃の隣に座る。項垂れてしまった小さな頭に手をやって、自分の肩にもたれさせた。思い出さないよ。あの男はあんたの事なんか、この先きっと思い出しもしない。
「よく頑張ったね」
ㅤ頭に浮かんだのと違う言葉を掛けてやると、茅乃はようやく「ふえええ」と声を上げて泣き崩れた。ぽたぽたと垂れた雫が、カーペットに仄暗い染みを残しては吸い込まれていった。



『涙』

3/29/2025, 9:50:44 AM

ㅤ自動改札機にカードをかざしたとき、ふと気づいた。そういや今日は信号に一度も引っかからずに駅まで来れてる。私は思わずにやりと笑う。残業なしでスパッと帰るにはどうすべきか、今日と明日の段取りをしっかり考えなくちゃ。
ㅤ電車に乗ったら目の前にひとつだけ空席を見つけた。乗り換え駅の通路で手袋を落としたけど、すぐに拾ってくれた人の笑顔が優しかった。そんなことがもうぜんぶ、週末へと繋がっていく気がする。
ㅤ土曜にはあなたに会える。そう決まっただけなのに。小さな幸せがプロローグのように、集まってくるみたいだ。



『小さな幸せ』

3/28/2025, 4:57:10 AM

ㅤパンパンに膨らんだ買い物袋を両手に提げて、私たちは店を出た。
「楽しかった~!ㅤ人のお金で買い物~!」
ㅤほのかに残る酔いも手伝って、思わず本音を漏らすと、
「私も!ㅤコンビニで一万円使うのって、結構難しいもんだね」
ㅤ同じく買い出し係になった貴美恵が笑う。
「最後は『行列店の黒酢酢豚』ばっかり籠に入れてなかった?ㅤ五百円くらいするやつ」
ㅤ私はニヤニヤと彼女の顔を覗き込んだ。
「いや、あれめちゃくちゃ美味しいからね!ㅤ今期の売上、過去最高だったんでしょ?ㅤ盛大にお祝いしないと!」
「部長のお金だけどね」
「まあね~」
ㅤ並んで笑う二人の酔っ払いの間を、まだ少し冷たさの残る風が吹き抜けていく。
「しかしこの場所はほんと穴場だね」
ㅤ桜並木の遊歩道に戻り、貴美恵が夜桜を見上げて呟いた。花見会場として会社連中が陣取った場所はこの先にある。住宅街の外れの、数本の桜が固まって咲いている、誰が決めたかも忘れられた毎年の定位置。
ㅤ自分たちが入社した頃はほぼ全員強制参加のようなものだった花見の会は、ここ数年、いつものメンバーに固定されている。令和の今の時代に、会社の人たちと外で酒を飲むなんて流行らないんだろう。
ㅤ貴美恵がなぜこの会に参加し続けているのかは知らない。部署を異動したあともなんとなく声がかかるので来ているのだと聞いた。私が参加しているのは、貴美恵が来るからに他ならない。連絡係も買って出ている。
ㅤ空を見上げた白い横顔が、薄闇の中で不思議に明るく見える。さあっと風が吹き、さらわれたピンクの花びらがゆるく渦を巻いてアスファルトに零れていった。春が来るたび、毎回新鮮に綺麗だと思うのはなぜだろう。この季節に輝き咲き乱れるのは、花に限ったことではないのかもなんて、馬鹿なことを思ってしまう。
「あー、やっと帰ってきたー」
「何買って来たのー?」
ㅤ賑やかな『いつメン』の声がする。買い物袋を翳した私たちは、桜の舞う宴の輪の中にあっという間に取り込まれていった。



『春爛漫』

Next