未知亜

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3/23/2025, 11:38:06 AM

ㅤ今朝の予報では雨は降らないと言っていたけど、気温はあまり上がらずに、重い雲が垂れこめていた。そばのベンチに腰掛けてバスを待ちながら、僕は空を眺める。
ㅤ吹く風はまだ冷たくて肌寒さを感じた。迷った末に止めたほうのフーディを着てくれば良かった。
ㅤ最近の僕はいつもこんな感じだ。タッチの差でなにか逃したり、ふとしたことで迷ったり、少しだけタイミングがずれていく。世界がまるで色を失くして、どんよりとした曇りみたいだ。なんだか頭もぼんやりする。
ㅤ君と並んで歩いていた頃は、一緒に虹を見つけたり、吹く風の匂いに季節を探したり出来た。鮮やかだったあの世界を幸せと呼ぶんだって、長い時をかけて噛み締めている気がする。
ㅤバスがやってきた。痛む腰を持ち上げてポケットの小銭を探る。歩き出したところで、誰かに呼び止められる。
「お父さん、いた!」
「あれ……由美……?」
「バスに乗ったら駄目だって」
ㅤピンクのカーディガンが目に眩しい。
「一緒に……」
「はい?」
「季節を探してくれんかのう」
「はいはい、焼き芋ね。今日もちゃんと持ってきたから!」



『曇り』

3/22/2025, 11:16:10 AM

ㅤいつ会っても、これが最後かもしれないと思わせるような人だった。一緒にいる時間が過ぎ去ることがただ惜しかった。
ㅤそぞろ歩いた公園のキラキラ輝る池の水面や、ビルの間に沈む夕陽。街路樹を透かす木漏れ日があなたの頬に作ったモザイク。電車を待つざわついたホームで前髪を吹き上げた風。話聞いてる?ㅤとぶつけてきた肩の熱さ。
ㅤそこに居るけど居ないようだと言われた私。
ㅤいつしか切り取っていたそんなものが、近い将来縋り付く唯一のものになることに、私は気づいていたのだろう。
ㅤだから大丈夫。bye bye…


『bye bye…』

3/21/2025, 2:41:49 PM

ㅤ君と最初に会った夜、あの繁華街の小綺麗な料理屋で、共に傾けた硝子の銚子の美しさを覚えている。利き酒をしようよなんて、名前も知らない日本酒を次々と頼んでみた初夏の宵だった。
ㅤひと口飲んではもっともらしい感想を述べる私にあなたは赤い顔を向け、満足そうに杯を傾けた。酒に酔った振りをして、私はあなたに酔っていた。このひとってこんな顔をするんだという、感嘆のようなものに。


ㅤ何度目かの小さな言い争いの果て、
「ちょっと仲がいいくらいの友達でいようよ」
ㅤと君は言った。
ㅤそれがいいのかも知れないとその時は思った。君を苦しめるくらいなら、君の決めたルールに沿って私がごめんなさいと謝ろうって。ただ元に戻るだけだと。
ㅤそして君との間に十五か月が過ぎた。会うことも話すこともせず、既読スルーを決め込む相手のことを、友達とは呼ばないだろうね。あれから私は、なんだか上手く笑えない。
ㅤあの日、店に向かう道すがら路地をくだる君の背中の向こうに見事な夕焼けが見えた。スマホの地図に目を落とす君の名を、私は背後から壊れたように呼ばった。
ㅤ振り向いた君の笑顔と、並んで君と見た日暮れの景色。妖しくも幻想的なそれは今も、確かに私だけの情景にちがいないけれど。


『君と見た景色』

3/21/2025, 9:06:42 AM

ㅤどこかから、洗濯機の回るぐわんぐわんという音がする。
ㅤまだ見慣れない天井に、もやのかかった光がプールから見た水面のようにゆらゆらと揺れている。
ㅤ微かに子どもの明るい話し声が聞こえるから、近所に小学校でもあるのかもしれない。
ㅤ隣には、すうすうと寝息を立てる幼い顔。小さなその指をキュッと握りしめる。
ㅤ今日と明日、何をして過ごそうか。しばらくはそれだけを考えようと決めた。仕事も住居も少し先でいい。ワーカーさんもそう言ってくれたのだから。
ㅤ目を覚ましたら、ゆうべもらったおにぎりを食べて、このあたりを歩いてみよう。
ㅤ今日からは二人。いまは誇らしい気持ち。この愛しい手を繋いでいられるなら、私はなんだってできる気がする。

『手を繋いで』

3/19/2025, 1:00:46 PM


ㅤ三月には珍しく雪の降った朝。小さな水の粒が、歩くうちにどんどん大きなぼたん雪に変わった。白に覆われた視界のなか並んで橋に差し掛かると、川には白い霧が立ち上っていた。寒さとは裏腹に、靄はまるで湯気のように見える。
「なんか温泉みたい!」
ㅤ橋の真ん中で立ち止まった私に、
「飛び込んでみたら?」
ㅤとあなたは笑った。
「これって、冬の始まる頃にに多くなかった?」
「だね」
ㅤ傘に積もった雪を落としてあなたが頷く。
ㅤ川の水と空気。熱さと冷たさ。その温度差が開けば、冬の終わりにも始まりのような現象が起こる。
ㅤもしかしたら、と私は隣をチラリと見る。いつもクールなあなたの、熱くなったところを見たことがない。熱さと冷たさが極端になれば、人からも湯気が出るのかな。
ㅤ大気に溶けるはずの湯気が、消える先はどこ?




『どこ?』

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