やや冬の残る冷たさのなか、はらはらと
くうを流れるピンクのあわい、音もなく
そっと降り積む、絵画の様なトンネルを
くぐり抜ければいつの間に遠ざかるあなた。
果たせないこと
ㅤわかっていたよ。
『約束』
ㅤ並んで歩いていたら、ひらり。空から白い欠片が落ちてきた。あ、と思う間もなく、今度はオレンジと赤がひらりひらり。
「あ、あそこからだね」
ㅤ隣から指されて見れば、ウエディングドレスとタキシード姿の二人が照れくさそうな笑みを浮かべている。周囲の人が手にした籠から撒く花びらが、風に煽られて飛んできたのだ。
「いいね。幸せのお裾分け」
ㅤ私は地面の花びらを拾い、わざと明るく笑ってみせた。あのカップルは、いまの私たちには眩しすぎる。
ㅤ彼女は何も言わずに私の手を取って、花びらごとギュッと握り締めた。
「お裾分けしてもらわなくても——」
ㅤ少し冷たい手が、私を彼女の胸の辺りに導く。
「ちゃんとここにあるから」
「うん」
ㅤ私の手から花びらがするりと落ちて床に戻る。ひらりと花の舞う道を、私たちはまた歩きだす。
『ひらり』
ㅤデイルームを通りかかったら、夢野さんは息子さんと楽しげに談笑していた。
ㅤこのところ落ち込んでいたみたいだから、元気そうな顔が見られてこちらの表情もゆるむ。ご家族の存在って、やっぱり偉大だな。
ㅤなんて考えていたら目が合った。夢野さんが手招きする。
「そろそろお部屋に戻りますか?」
ㅤまだふらつきがあるのかもしれない。車椅子が必要ならスタッフさんに断って取ってこようかと思ったら、夢野さんは笑って首を振る。
「良ければ一緒にお話しましょうよ。あのね、とても面白いのよ、こちらの……」
ㅤ夢野さんは、向かいに座る息子さんをにこやかに見つめた。私の正面に座っていた息子さんの顔が、心の奥に逆さまに焼き付く——いまも。
「あなた、誰かしら?」
ㅤ深い川の流れる音がした。
『誰かしら?』
「ってことは、今月なんだ?ㅤ誕生日」
「うん」
ㅤちょうど運ばれてきたビールグラスを取ると、法子は「じゃ、おめでと~!」と向かいからロックグラスを打ち合わせてきた。ガラスのぶつかる軽い音と、氷の踊るからんという響きが心地いい。
「ありがと。まだもう少し先だけどね」
「芽衣ってあんま自分のこと話さないから。知らなかったよ~。三月生まれかあ、いい時期だね。花粉さえなきゃ」
「そうでもないよ」
ㅤ例年春休みの時期で、友達に覚えてもらえたためしがなかった。事実、同期入社でいちばん仲のいい法子でさえ、一年後のいまごろ知ったのだし。まあ、確かに自分から言いまわるつもりはなかったんだけど。
「だってほら、芽吹きのとき、っていうかさ。なんか響きがいいじゃない。三月生まれって」
ㅤ酔っ払いの理屈だなと可笑しくなる。まだ一杯目なのに。
「また。テキトーに言ってるでしょ?」
「そんなことないって!ㅤ同期の誰よりも若くして社会に出れてるわけだし」
「それは、まあ」
「伸びしろがいちばんある!ㅤと四月生まれの私は思うはわけよ」
ㅤ同じ春生まれでも、こうも違うんだもんな~と法子がグラスを傾ける。琥珀色の梅酒が、とろりと唇の先へ消えていく。
「だから芽衣、芽吹け!」
「そういわれてもねえ」
ㅤ私に芽吹くときなんて、もう来ないっていうか。法子のほうが万年芽吹いてるよ。見てて気持ちいいくらいに。
ㅤああ、まだダメだ。ちょっとしたことですぐに囚われそうになってしまう。あなたが去ったこの季節に、芽吹くことなんて出来そうにないから。
「かれにし枝の、春を知らねば……か」
「ん?ㅤなんか言った?」
「楽しみにしてるね、って言ったの。誕生日プレゼント!」
「おお、任せといてよ!ㅤオフィスのお菓子、好きなのご馳走してあげる!」
「もう、それって百円のやつでしょ!」
ㅤ超高級でしょ!ㅤと笑う法子が「おかわりしよっと。芽衣は何飲む?ㅤウーロン茶?」と訊いてくれる。
「私も梅酒にするよ」
「おお、いいね。すみませーん。梅酒ロック二つくださーい!」
ㅤわざと巻舌気味に発音して爆笑する法子の明るさに救われる一方、どうしようもない寂しさが渦を巻く。
ㅤただひとり、ひっそりとこの思い出を芽吹かせて。
ㅤ夏を待たずにいっそかれようか。
『芽吹きのとき』
ㅤ待ち合わせは十一時。柔らかな冬陽の差すコーヒーショップに、きみは先に待っていた。窓越しに手を振ったけど、きみは気づかず。一点を見つめるように動かない横顔に、窓を叩く手をそっと引っ込めたあの日。
ㅤお店の中に入ったら、きみはすぐこちらに気づいた。待たせたことを詫びる言葉にも笑顔で応えて。
ㅤあの日を想うとき、いまも心が温かくなる。数日後にはあんなに酷い言葉をぶつけてくるきみだったのに。
ㅤ既に違う場所を見ていたきみの、きりりとした、それでいて温もりさえ感じるような、あの横顔が忘れられない。
『あの日の温もり』