未知亜

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「ってことは、今月なんだ?ㅤ誕生日」
「うん」
ㅤちょうど運ばれてきたビールグラスを取ると、法子は「じゃ、おめでと~!」と向かいからロックグラスを打ち合わせてきた。ガラスのぶつかる軽い音と、氷の踊るからんという響きが心地いい。
「ありがと。まだもう少し先だけどね」
「芽衣ってあんま自分のこと話さないから。知らなかったよ~。三月生まれかあ、いい時期だね。花粉さえなきゃ」
「そうでもないよ」
ㅤ例年春休みの時期で、友達に覚えてもらえたためしがなかった。事実、同期入社でいちばん仲のいい法子でさえ、一年後のいまごろ知ったのだし。まあ、確かに自分から言いまわるつもりはなかったんだけど。
「だってほら、芽吹きのとき、っていうかさ。なんか響きがいいじゃない。三月生まれって」
ㅤ酔っ払いの理屈だなと可笑しくなる。まだ一杯目なのに。
「また。テキトーに言ってるでしょ?」
「そんなことないって!ㅤ同期の誰よりも若くして社会に出れてるわけだし」
「それは、まあ」
「伸びしろがいちばんある!ㅤと四月生まれの私は思うはわけよ」
ㅤ同じ春生まれでも、こうも違うんだもんな~と法子がグラスを傾ける。琥珀色の梅酒が、とろりと唇の先へ消えていく。
「だから芽衣、芽吹け!」
「そういわれてもねえ」
ㅤ私に芽吹くときなんて、もう来ないっていうか。法子のほうが万年芽吹いてるよ。見てて気持ちいいくらいに。
ㅤああ、まだダメだ。ちょっとしたことですぐに囚われそうになってしまう。あなたが去ったこの季節に、芽吹くことなんて出来そうにないから。
「かれにし枝の、春を知らねば……か」
「ん?ㅤなんか言った?」
「楽しみにしてるね、って言ったの。誕生日プレゼント!」
「おお、任せといてよ!ㅤオフィスのお菓子、好きなのご馳走してあげる!」
「もう、それって百円のやつでしょ!」
ㅤ超高級でしょ!ㅤと笑う法子が「おかわりしよっと。芽衣は何飲む?ㅤウーロン茶?」と訊いてくれる。
「私も梅酒にするよ」
「おお、いいね。すみませーん。梅酒ロック二つくださーい!」
ㅤわざと巻舌気味に発音して爆笑する法子の明るさに救われる一方、どうしようもない寂しさが渦を巻く。
ㅤただひとり、ひっそりとこの思い出を芽吹かせて。
ㅤ夏を待たずにいっそかれようか。


『芽吹きのとき』

3/1/2025, 2:24:32 PM