ㅤたとえばあの角を曲がった先に。
ㅤたとえば電車を待つホームに。
ㅤたとえば道端のコンビニに。
ㅤ柔らかな髪の長身がふらりと立っている。
ㅤ私を見つけた唇が「びっくりした?」ってふわりと笑う。
ㅤ泣き笑いの顔になって私はあなたに駆け込む——
ㅤ聞こえてきたアラームに、のろのろと手を伸ばした。結局ほとんど眠れなかった。引きずられる毛布のような身体。
ㅤズキズキする目をこすり、リビングのカーテンを開けた。日差しも街路樹もくすんだまま。色を失くした世界の続きに、今朝も私は生まれてしまった。
ㅤ別れは終わりだなんて嘘だ。
ㅤあなたとはぐれてしまった世界で、私はあなたとまだ生きている。
『終わらない物語』
『ほんとはずっと嫌だった。きみのそういうとこ』
ㅤメッセージアプリのこちら側。投げつけられた言葉に、頭をガツンと殴られた感じがした。うずくまって固まるあたしは、相手には見えやしない。
”ずっと、って……最初から?”
ㅤ辛うじて絞り出した言葉が震えている。
『楽しいときも、あったよ時々』
ㅤあたしにも時々あったよ、ちょっとだけ嫌なとき。だけどほんとに時々で、ほとんどの時間が楽しかった。
『ごめんね、LINEでこんな話』
ㅤぜんぶ嘘だった。
『でも』
ㅤまた会いたいって言ったのも。あの眩しい笑顔も。
『ずっと考えてたことだから』
ㅤみんな嘘だった。
『もう嘘はつけない』
ㅤそんなのやだよ。嘘ってなに。どうせついてたなら、ずっとずっとついててほしかったよ。
”言ってくれてありがとう”
ㅤこう返すしかないと半分ヤケクソで送った言葉は、一方的に投げられた言葉とタイミングが重なって。
『じゃあ、これで』
ㅤあたしの嘘の言葉だけが、ひとりぼっちのトーク画面にぽつんと残された。
『やさしい嘘』
「瞳をとじて」とあなたは言った。
ㅤ目ではなく瞳と言われ、わたしはキョトンとする。
「目と瞳って、どう違うのかな」
「え、今そこ気になる?」わたしの項に手を置いたままあなたが笑う。
「だってあんまり聞かないでしょう? 日常会話で瞳って」
「言われてみたらそうかもだけど」
ㅤ指先がわたしの耳を掠める。あなたが少し目を逸らす。密着した肩が熱い。
ㅤ照れ隠しだってバレちゃってるかな。そう思った瞬間に、視界はぼやけた肌色になった。
『瞳をとじて』
乗車を促す声音に階段を駆け上がったけれど、
電車のドアは無情にも目の前で閉まってしまった。
がらんとしたホームのベンチに座って、
私はポーチからハンドクリームを取り出した。
金木犀の描かれた、
でもちっとも金木犀っぽくない変な香りのクリーム。
少量でもベタベタして、しばらくスマホも触れない。
一度だけあなたがくれた、
秋の終わりのプレゼント。
私からは比較的長く使えるものを選んで
プレゼントしていた気がする。
マグカップとかボールペンとか栞とか。
好きそうなデザインの小物をレジへ持って行くと
店員さんが「贈り物ですか?」と訊いてくれた。
その問いに頷くだけで、
飛び上がりたいほど幸せだった。
もっと何か違うものを本当はあげたかった。
あんなに早く離れるなんて思ってもいなかった。
クリームの放つ変な匂いに、私はひとり咳をした。
『あなたへの贈り物』
あなただけの羅針盤になりたかった。
烏滸がましいなんて思えないほど私は幼かった。
同じ空の下、同じ風に吹かれて、
同じところを目指し笑い合えていると信じていた。
現在地など測れず、
ただ先を目指すために、役に立てる道具で良かったのに。
ゆらゆらと揺れる針は、とっくに狂っていたのかな。
『羅針盤』