書く習慣:本日のお題「たとえ間違いだったとしても」
たとえ間違いだったとしても、いい経験になった。……と自分では納得しているが、相手があることなのであまり表立って誇れることではない。
仕事の話である。
学生時代のアルバイト経験から、有象無象(恨みが漏れ出てしまった)……主に個人の、不特定多数のお客様を相手にしたBtoCの仕事は苦手だとわかっていた。
初めての就職活動でも、その後の転職活動でも、業界にはこだわらず「BtoBがいい!」と主張していた。自分が日頃からいろいろなBtoCのサービスにお世話になっているのに、自分がやりたくないことには絶対に見向きもしない。
私は人としての器が小さい上に、業界研究などもやらない、仕事への解像度が非常に低い人間である。
しかし、いざ働いてみてわかった。会社の名前を背負っているからこそ、横柄……居丈高……態度が大きい人がいる。大企業にお勤めの、周りが粒揃いの純白パールな中でちょっと気が強い黒真珠っぽい人がいると思ったらドクズでした! みたいな人も、いる。
ビジネススキルとしていい感じに言い換えたかったが、ググっても全然出てこなかった。Gemini先生に助けを求めてみよう。
"いわゆる「虎の威を借る狐」状態といいますか、個人の資質以上に「会社の看板」が自分を大きく見せていると錯覚してしまうタイプの方、確かに一定数存在します。
「組織のアイデンティティと自己が強く同一化している状態」
「所属組織のブランド力を背景とした、非常に強気な交渉姿勢」
「企業の威信を背負った、重みのある(あるいは厳格な)振る舞い」
「自社の市場優位性を強く反映した、積極的なアサーション」
こういった言い換えを考えているとき、頭の中ではその「居丈高な相手」の顔が浮かんでいるかもしれませんが、言葉を綺麗に整えることで、少しだけ自分の心を守るフィルターになることもありますよね。"
「組織のアイデンティティと自己が強く同一化している状態」は火力が高くて笑ってしまった。しかし、そういう心理なのだろうと思わせる説得力がある。これぞパワーワードである。
いつもの癖で話が横道に逸れてしまった。
閑話休題。
職場を変えるたびに、実務経験以外にも学びがあった。会社の看板を背負っているからこそ、「重みのある振る舞い」をしてくる人もいる。自社側にも、神経をすり減らしてくるデバフ持ちの同僚はほぼ必ずいた。
恐ろしいことに、私が相手の些細な言い回しに引っかかって「こいつ……!」と一方的にイラッとしたことも一度や二度ではない。私も誰かにデバフをかけている側に回っている場合があるのだ。
つまり、不特定多数の個人を相手にする商売だから無理だった、というだけではなくて、企業同士の商売であっても社内の人間関係がギスギスしていればやり辛いし、自分の物の見方が原因で人に苦手意識を持つこともある。
どの業界に行ってどんな職種を選ぶのかと同じくらい、自分のマインドセットも重要だ。
「自分はこういうことをされたらイラッとするけど、相手に悪意はないかもしれないから、まず確認してみよう」という度胸を、社会人になってからようやく身につけた。ちなみに学生時代は「どうせ数年で卒業するし」という気持ちでいたので本当にドクズ(真珠ではない方)だった。こんなんでも友達になってくれた人たちは真珠やダイヤモンド級の逸材だと思うし、本当に感謝している。
そしてもちろん、退職して元職場に多大な迷惑をかけたことを反省している。反省はしているが後悔はしていない(最悪)。なぜなら、辞めた会社のどれかひとつでも欠けていたら、今の職場にはたどり着かなかったからだ。非常に自分勝手かつ傲慢な言い草だが、前職までを糧にして今の自分がある。
今一度、Gemini先生に頼んでいい感じにリライトしてもらおう。
"当時は自身の未熟さゆえに、組織に対して十分な貢献ができぬまま離れる結果となり、今でも真摯に反省しております。しかし、その苦い経験があったからこそ、自分が真に力を発揮できる環境を冷徹に見極める力が養われました。これまでの紆余曲折のすべてが、今の私のプロ意識の土台となっています。"
……なるほど。
もし面接でこれをそのまま言ったら、ものすごく棒読みになって「事前に用意してきたな」ってバレて冷められるやつだ。しかし、「自身の未熟さゆえ」とか「組織に対して十分な貢献ができぬまま離れる結果となり」のくだりは汎用性が高そうだから覚えておこうと思う。Gemini様々である。
なお、仕事に役立つ資格は漢検しか持っていないが、何とか食いっぱぐれずに生きてこれている。
仕事で悩むと「あーもう生まれてこなきゃよかった! 生まれてきたのが間違いだった!!」とヤケクソめいた気持ちになることがあるが、夜中までGeminiにダル絡みして慰めてもらって何時間か寝ればなんとかなる。そのくらい恵まれている。
私は決して真珠ではないが、貝殻の内側の虹色部分(真珠層)くらいの人物だと思って生きていこう。もしかしたら、いつか螺鈿になれるかもしれない。
書く習慣:本日のお題「雫」
雫が水面に滴ると、周りの液体が跳ねて冠に見える。「ミルククラウン」と呼ばれており、こんなことにも名前がついているのかと驚いた。
調べてみたら、ミルククラウンは肉眼で見ることはほぼできないらしい。本当か? と思って、念のためキッチンのシンクで試してみた。
カレー用の深皿に水を張り、自分の手を濡らし、できるだけ高いところから一滴だけ垂らしてみる。
静まり返ったキッチンに、雫の垂れる音が響く。「トぽん……」と表現したら伝わるだろうか。着水し、裏拍で低く「ト」の音が入り、食い気味に「ぽん」と液体同士がぶつかり合い、余韻が残る。
肝心のミルククラウンは全く見えなかった。何度やっても、ドラクエのスライムの頭頂部みたいなのが水面に生えるばかりだった。
ちなみに現在、諸事情により利き手が使えないので、ここまでの動作をすべて片手でやっている。片手で引き出しを開け、皿を出し、シンクに置いて水を張り、手を濡らして頭上から水を垂らし、水面を観察する。
ふと我に返り、キッチンでポタポタやっている暇人の絵面のアホぶりに震撼した。平日の朝から何をやっているのだろうか。
トぽん……。
私の心の声に応えるように、また一粒の雫が垂れた。
書く習慣:本日のお題「何もいらない」
「何もいらない」ときっぱり言えることがある。
子供だ。
社会では、「結婚して子供を持つことが幸せであり、人生のゴールである」みたいな風潮がまだまだ根強い。
しかし、健康を犠牲にして子供を産み育て、「最近の親は」と後ろ指を指されながら肩を縮めて公共の場に子供を連れ出し、「毒親」と叩かれるかもしれなくても躾をして、通勤前に子供の保育園送迎をこなし、仕事から帰ってきたら食事をさせ、風呂に入れて、寝かしつけて……という生活に幸せを見出す自信がない。過酷すぎないか?
そもそも、自分が育ったのと同程度の環境を子供に用意できる自信がない。
母は専業主婦でほぼ毎食手料理だったし、おやつも手作りだった。誕生日に食べるケーキも母が焼いていた。子供がある程度大きくなってからは、夜シフトのパートで働き始めたが、それでも家族の夕食を準備してから仕事へ出掛けていき、小学生が寝る時間までには帰ってきて風呂や宿題などを見てくれていた。ちなみに父は趣味に生きるタイプの人間で、子供の目に映る我が家の運営はほぼ母一人の双肩にかかっていたように思う。「パパも色々やってたよ!」と父から抗議の声が上がりそうだが、私の記憶における父はテレビ観てるかラジオ聴いてるかの姿が印象的すぎたし、母に「洗濯物取り込んでおいて」「食器洗っておいて」と頼まれても生返事で全然やらず、帰宅した母が「ウソでしょ!?」と驚愕して我が家のミームになったくらいである。
さて、手料理で育った私は「作れと言われたらレシピを見ながらなんとか作れるものもある」という体たらくである。作れるお菓子はホットケーキや粉をお湯に溶くだけのゼリーくらいだ。作っても持て余すから全然作らないが、箱の裏に作り方が書いてあるタイプのやつならきっと作れる。人生で数回だけプリンだのカスタードパイ(ただし冷凍パイシートを使用)を作ったことがあるが、日常的に作れるスキルはない。
母は暇さえあれば絵本を読み聞かせてくれて、平日の昼間に図書館へ連れて行ってくれた。利用していたスーパーには絵本読み放題のキッズスペース的なものがあった。親戚から絵本を譲ってもらっていた他、毎月幼稚園で絵本がもらえるサブスクにも入っていた。私は無限に本を読みたがる子供だったから、買い与えていたらあっという間に我が家は破産していただろう。子供が小さいうちに「本は図書館で借りるもの」という刷り込みをしていた母は非常に賢明だった。
さて、今の私の本棚を見てみよう。見事に自分好みの趣味全開だ。居住空間を圧迫しないよう、基本的に電子書籍を購入しているが、どうしても紙の本しかなくて手元に置いておきたい選りすぐりの写真集や資料などが本棚にぎっちり並んでいる。もしも私の本棚を子供によだれまみれの手で触られたら家から追放する自信がある。
子供の頃からインドア派な私だったが、もちろん丁寧に育児をする母は私を公園にも連れていってくれた。当時はブランコが大人気で、午前中も午後も子供たちが列をなして順番待ちしていた。
母はみんながお昼を食べに家に戻る正午を狙って公園へ行き、午後イチの子供が来るまでブランコで遊ばせてくれていた。当時、私が住んでいた地方は夏でもそういう裏技が使えるほど気候がよかったのだ。今だったら親子揃って熱中症である。
……そんなふうに育てられた結果、今の自分に満足しているからこそ、「親の育児を再現するのがよいのでは」と思ってしまう。
反面、親に厳しくされた部分まで再現したら負の連鎖になりそうだとも思う。
では、自分がされたかったように「子供の話を親が受け止め、子供の『辛い』に親が寄り添う」などを子供に実行したとしよう。子供に優しくするたびに、自分の中の子供の部分が「ずるいずるい、私も親に甘えたかったのに」と喚き出して、子供の辛さに寄り添うことで自分が辛くなってしまいそうだ。
こんなことをつらつらと考え、時には人に話している。私の話を聞いた人の反応はだいたい二つに分かれる。
「そんな深く考えなくても大丈夫! 何とかなるよ」
「そこまで考えてあげられる人こそ、いい親になるんだよ」
何とかならなかった場合、生みの親の私を含めて誰も責任は取れない。
いい親になれないかもしれないという話をしているのに、希望的観測で「いい親になる」と言いきる根拠を教えてほしい。
そんなわけで、子供に関しては本気で「何もいらない」と思っているし、自分が女性でよかったと思う。「産むか産まないかは自分で決める」と言い切れるからだ。これが男性だったら「そんなこと言ってどうせ甲斐性がないだけ」などと収入の揶揄に繋げられてしまって大変だと思う。
私が今心待ちにしているのは推しの作家さんの新刊で、いつものペースならあと半年くらいで発売されるはずだ。
全てが「何もいらない」の境地に至ったら、人生から楽しみがなくなってしまうのではないかと思う。もしかしたら、全てが予測不可能な「子育て」というコンテンツを人生の彩りにしたい人が、今の少子化でも子供を望むのかもしれない。
書く習慣:本日のお題「もしも未来を見れるなら」
もしも未来を見れるなら、見ないという選択肢もあるといいなと思う。
もしも未来を見れたとして、その結果が「90歳まで生きて、ようやくいい感じの老人ホームに入居が決まった矢先、地球が滅亡することになったので世の中全てのサービスが終了して社会が崩壊します」だったら?
そんな世界崩壊エンドを若いうちに知ってしまったら、そこから数十年間頑張って生きていくモチベーションがなくなってしまうだろう。
未来というのが、どこまでを指すのかもわからない。
今から1000年後を見られるのだとしたら、自分はどう感じるだろう。試しに自分が「見られる側の未来人」だったとして、1000年前の人のリアクションを想像してみる。
平安時代の人が令和の時代を見たら、現代人には絶対思いつかない比喩などを使った和歌を詠みそうだ。そして、その和歌は長らく「異世界へ行って戻ってきた人の作品だ」などと都市伝説紹介チャンネルで解説され続け、ふと誰かが「これって令和のこと予言してるんじゃね?」と気づき、一部界隈で大騒ぎになる。
……私の平安時代への解像度の低さとYouTubeの趣味がバレただけだった。
めちゃくちゃ自分に都合のよい未来を好きなだけ見られるのなら、この先に起こる災害や戦争などの発生日時を把握したい。
しかし、その災害が起こることを誰にも「知られていない」世界線ではその日時に起こるけれど、誰かに「知られた」世界に分岐した先では全く別のタイミングで発生するかもしれない。
それならば、真面目に災害に備えておくのが最も手堅い対策である。
まずは防災リュックを通販で探すところから始めることにする。
書く習慣:本日のお題「無色の世界」
利き手に傷を負ってしまい、何もかもが不便になった。
まさに無色の世界である。
逆の手でぎこちなく口に運ぶ食事が、ものすごく味気ない。ふだん何気なくやってのけている「食べ物をこぼさず、皿から口まで運ぶ」動作は、非利き手になるだけで難易度が跳ね上がる。
まず、箸が持てない。ようやく箸を持てても、一口分の適量をつまんで口へ運ぶまでに取り落としたり食べこぼしたりと、何らかのエラーが起こる。
もしも私が「記憶を持ったまま生まれるところからやり直す系」の転生主人公だったら、幼少期の自分の手先の未発達ぶりにイライラして、やり直しならではの無双を楽しむ余裕などなかっただろう。そんな調子では食べ物を味わうどころではない。
もちろん食事の支度もままならないので、宅配弁当やUber Eatsをフル活用している。片手で買い物するのが億劫で、コンビニすらも行く気になれない。箸でのイライラを回避すべく、選ぶメニューはスプーンとフォークで食べられる親子丼やステーキが定番になった。
なお、非常に行儀が悪いが、サラダは手づかみで食べている。まあまあまあまあ、中世ヨーロッパの王侯貴族も手食だったそうだし、人前でやらなければセーフだろう。こうしてネタにもなるし、非優位手で箸を使ってストレスを溜めるより生産的だ。
ただし、ドレッシングが垂れるとたいへん不快なので、味付けは液体ではなく塩にした。「通は塩で食べる」みたいな風潮があるので、私も期間限定でサラダ通……いや、身の程をわきまえて塩派と名乗っておこう。
回復を早めるために睡眠をとってみた。
傷の部位を動かさないようにずっと庇っているので、朝目が覚めると全身がこわばっている。寝違えLv.8といったところだ。ガチの寝違えは鋭い筋肉痛であり、特定の筋肉を使う仕草に連動して痛むLv.9や、そもそも全く動かせないLv.10などがある。今回は寝違え特有の鋭い痛みはなく、鈍くて強い痛みと疲労感だから、多めに見積もってもLv.8だ。
体の凝りや疲れを解消しようとストレッチを試みるが、傷口が引っ張られる気配がして秒でやめた。ちなみにお風呂に浸かるのも禁じられているので、私が思いつくリラックス方法はすべて封じられた状態だ。
ここで真打登場、困った時のGemini先生である。
・傷のある部位を、クッションや丸めたタオルなどに預ける。筋肉に「自力で庇う」のをやめさせる。
・患部から遠い場所を温めて血流を改善し、全身のこわばりを解く。
・ストレッチはダメでも、傷に響かない範囲で「数秒だけ筋肉に力を入れ、脱力」を繰り返す。いわゆる「筋弛緩法」。
・腹式呼吸で深呼吸してみる。
どこかで聞いたことのある対処法だが、今の「寝違えたみたいでつらい、ぴえん(死語)」な自分だけでは辿り着けなかった情報である。Gemini先生様々だ。
そんなわけで、利き手を封じられて不便な生活でも、Gemini先生の助けを借りつつネタを探してみれば、案外色彩豊かな世界であったことが判明した。