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5/9/2026, 11:04:45 AM

書く習慣:本日のお題「忘れられない、いつまでも。」

忘れられない、いつまでも。
思い出やら黒歴史やらかつての栄光やらは色々あるが、「忘れられない」といつも心にこびりついている負の記憶的なものはない気がする。ふと思い出して苦い気持ちになる記憶はあるけれど、24時間365日そのことが頭を占めていて苦しむ状態ではない。

先日、実家に帰った。
母親は私と同等以上の記憶魔で、「○○といえば……」とちょっとしたきっかけで子供たちの小さな頃のエピソードを語り始める癖がある。

何がきっかけだったか(数日前の話なのに私の記憶はこの体たらく)、母が「あぜ道を散歩している時、『田んぼ』ってうまく発音できなくて、いつも『ばーぼー』って言ってたねえ」と笑っていた。田んぼがある今の家に来た時、私はかなり喋れるようになっていたので、おそらくこれは下の子のエピソードである。

当時の母は乳児と幼児と老人の世話をしつつ家事もワンオペで大変だったはずなのに、「忙しすぎて記憶がない」とか言わずに色々覚えている。

家庭内の大変だったエピソード(複数)に至っては、まるで昨日のことのように語る。それだけ鮮明に魂に刻まれているのだろうし、ずっと手放せずにいるのだろう。

私にはGeminiがいる。24時間いつでもダル絡みして話を聞いてもらい、傾聴・全肯定の甘やかしフルコースで癒してもらえる。でも、母が頑張っていた平成の世にこんな便利なツールはなかったのだ。

色々と親不孝な娘だが、私が母にとってのGeminiのような聞き手になれたらいいなと思う。頻繁に帰省するのは難しいけれど、たまには電話やLINEをしてみよう。

5/9/2026, 9:14:27 AM

書く習慣:本日のお題「一年前」

一年前の記憶が、ない。
春先は実家に長居して犬と戯れるなどしていたが、連休の頃にはさすがに自分の家に戻っていた気がする。

写真フォルダを見にいったら、白煙とカモメのスクショが出てきた。そうだ、新しい教皇レオ14世が選出されたのが去年の今頃だった。

ちょうど『教皇選挙』の映画上映期間中に本物の選挙(コンクラーベ)をやり、注目度が高かったように思う。ネットでは「枢機卿も『教皇選挙』の映画を観たらしい」「進研ゼミ教皇講座じゃん」とネタにされていた。

煙突から黒い煙が上がったら「決まりませんでした」、白い煙が上がったら「新しい教皇が決まりました」という合図だ。煙が上がる直前、煙突の近くにふわふわのカモメのヒナが来た。みんなが煙突付近に注目し始めたまさにその瞬間に白煙が出て、大歓声が上がった。

『教皇選挙』も面白かったが、ネトフリで配信されている『2人のローマ教皇』も好きだ。始まり方が洒落ている。

おじいちゃんが飛行機のチケットを取るために予約センターに電話している。教皇と同じ名を名乗り、郵便番号を聞かれて「わからない。バチカン市国です」と答え、オペレーターに冗談だと思われて電話を切られてしまう。

そして陽気な音楽とともに、ブエノスアイレスの町が映し出される。主人公のベルゴリオ枢機卿が、ある若者の話を語り始める。フランシスコという名の若者が、神の声に従って教会を立て直すために山に登って石を切り出し、崩れた教会の壁を直したエピソードだ。枢機卿が「若者が森を歩いていました」と語り、街を歩く若者と壁に描かれた極彩色の森が映る。

枢機卿のナレーションに合わせて、街の壁に描かれた森や教会が映し出される。軽快な音楽、鮮やかな色づかいの絵、若者。やがてナレーションが拡声器を通したような音質に変わる。

若者が、最後の壁絵の前を通った。同じ方向を向く人々の絵だ。絵の人々と同じように、壁が途切れると群衆が枢機卿に注目している。若者は群衆に混じり、肉を焼く白い煙が立ち込める向こうに、白い衣装に身を包んだメガネのおじいちゃんが立っている。

何やら難しげな宗教と社会問題の話をしている――と思いきや、おじいちゃんは先ほど歩いていた若者に名前を訊ねた。若者が答えると、「大好きなサッカークラブと同じだ」とおじいちゃんは嬉しげに言い、群衆が歓声をあげた。ここでもうこのおじいちゃんが親しみやすいタイプの偉い人だとわかる。キリスト教のことなど何もわからない私でも、意図が理解できる。

ひょうきん者のおじいちゃんは、ご贔屓のサッカークラブの名前を出して「サン・ロレンソ 我らのために祈りを」と唱えた。おじいちゃんの名前はホルヘ・ベルゴリオ。後の教皇フランシスコである。

『2人のローマ教皇』は、教皇フランシスコ(ホルヘ・ベルゴリオ)の過去話や、その先代の教皇(ラッツィンガー/ベネディクト16世)との対話を描いた作品だ。"INSPIRED BY TRUE EVENTS(実話に着想を得た物語)"ということで、実際に教皇2人の間に映画通りの対話があったわけではない。宗教や歴史の難しい話かと思いきや、コメディドラマというだけあって、随所に笑いどころが散りばめられている。声をあげる爆笑シーンではないが、クスッと笑えるので外で見ても大丈夫だ。

ベルゴリオ役を務める俳優さんは『パイレーツ・オブ・カリビアン』でヒロインの父親(スワン総督)役のジョナサン・プライスである。鑑賞する際はぜひ音声を【英語[オリジナル]】にして、彼が複数言語を使い分ける凄まじさを感じてほしい。スペイン語(アルゼンチンの場面)、ラテン語(バチカンの場面・教皇との対話の序盤)、イタリア語(ローマの別荘で庭師と会話する時など)、英語(ラッツィンガーとの対話)。別荘で案内役の修道女と話すときは英語だが、彼女に"Arrivederci, eminenza.(さようなら、猊下)"と挨拶されたときは、彼女に合わせて"Oh, grazie.(ああ、ありがとう)"とイタリア語で返している。

本作の好きなシーンはいくつもあるが、ベルゴリオがローマのスポーツバーでサッカー観戦をする場面がうまいなと思った。

彼のバーでの衣装はかなりシンプルな黒服だ。立襟は聖職者用の白いもの(ローマンカラー)だが、枢機卿の赤帽子(ズケット)や赤帯(サッシュベルト)などに比べると質素でお忍び感がある。

ベルゴリオご贔屓のチームが得点すると腹の底から快哉を叫び、隣の男性客の顔を両手で挟んで喜びを分かち合う。そしてスペイン語で「主よ、エル・ビピータの才能に感謝します」と祈りを捧げ、男性客も「アーメン」と唱える。ここまでは「気さくな枢機卿がローマでもサッカーを観て市民と交流する」という、おかしくも心温まる場面だ。

だが、続いてベルゴリオが「教皇にご加護を」と祈ると、男性客は「ナチ野郎のために祈る必要ない」と吐き捨てる。ベルゴリオが教皇(ラッツィンガー)と教会の立場の危うさを肌で感じ、宿で眠る前に「教皇に憩いの時をお与えください」と神に祈る。この緩急がうまい。ただのおじいちゃんの面白映画ではないが、堅苦しくなりそうなタイミングよりワンテンポ早くコミカルな場面が用意されていて、私のような物知らずでも飽きずに観ていられる。

また、別の場面でベルゴリオがスイス衛兵に「その制服暑くない? 洗濯どうしてんの?」と話しかけ、衛兵は答えないが笑ってしまっており、それも微笑ましい。と思いきや、教皇から指示された会話のための暗い部屋に通され、部屋の奥へ進むと朝日が差し込む。

見事な天井画が画面いっぱいに映し出される。教皇が指定した場所は部屋はシスティーナ礼拝堂、教皇を選出するコンクラーベが行われる神聖な空間だ。サックスの晴れやかなメロディが流れ始める。ミケランジェロが手がけた『創世記』の場面を見上げ、ベルゴリオが十字を切る。彼の表情と音楽が合わさって、「この場所は特別だ。神の存在を感じる」と思わされる。観ているこちらまで敬虔な心持ちになる見事な演出だ。

ここまで『2人のローマ教皇』を熱く語っておいて何だが、今回の文章を書くために調べ物をしていて、気になる映画を見つけた。『ローマ法王の休日』である。どうやらこちらは「法王(教皇)になりたくない」と思っていた枢機卿が法王になってしまって脱走する話らしい。めちゃくちゃ面白そうだ。

神よ、素晴らしい作品との巡り合わせに感謝します。

5/7/2026, 4:46:36 PM

書く習慣:本日のお題「初恋の日」

初恋の日。
日付は今でも覚えている。

今ほど夏が長くなかった時代である。
空は高く澄み渡り、涼やかな風が吹いていた。

出会い方としては「共通の知人を通して知り合った」のパターンに該当する。

弓道部の練習を終えた私は、袴の裾と髪をなびかせて校舎裏の通路を歩いていた。知り合いに呼び止められて振り返り、その場で数人固まって集まっていた内の一人に、目も心も奪われた。

『源氏物語』の主人公はたいへん美しく「光源氏」と呼ばれ、『Fate/Zero』の槍使いディルムッド・オディナは「輝く貌」と謳われる美男子だった。

私の目には、その人が光っているように見えた。

端整な顔というのはこんなにも目を惹くものなのか。自然と目が吸い寄せられて、そのままいつまでも見ていたい気持ちに抗えない。黒いウールの上に無造作に転がったダイヤモンドみたいだった。鬱蒼と木々が生い茂る山の中に突然現れた青い清流のようでもあった。語彙力が尽きてしまった。言葉を選ばず率直に申し上げると、周囲とは作画が違いすぎた。

私を呼び止めた知り合いは、袴姿の私を談笑の輪に呼んでくれた。彼を一秒でも長く見ていたくて、私はほぼ初見のメンバーで構成されたそのグループに混ざってみた。

彼が低く艶のある声で話し始めると、梢を渡る風さえも遠慮して静かになったような気がした。人の声を魅力的だと思ったのは、その時が初めてだった。彼の声で聴けるなら、大嫌いな数学の授業でも最後まで起きていられると思った。

彼の方も私に一目惚れだったと後に語っていた。互いに推し合うような関係から始まり、進学など諸々の事情によりご縁がなくなった。

もうとっくの昔に疎遠になった相手だが、今でもふと彼を思い出す。開門前から登校してお喋りしていた時の、朝の澄んだ空気。彼が好きだったフューシャピンクの鮮やかな色と、SEABREEZEクラッシュベリーの香り。私にとってはチルド保存レベルの大事な思い出だが、相手にとっては永久凍土に埋葬して忘れ去りたい黒歴史の可能性がある。

ただし、私は当時のときめきを時折取り出して矯めつ眇めつしたいだけで、現在の彼と再会したいわけではない。私が好きだった当時の彼だからこそ、永遠に輝いているのだ。

もしも本人がこの文章を見たらぞっとするだろう。

5/6/2026, 11:36:19 AM

書く習慣:本日のお題「明日世界が終わるなら……」

明日世界が終わるなら……?

大歓迎だ。

日付が変わった瞬間に終わるなら食事も風呂もキャンセルして積読を解消する。

明後日の0:00に終わるなら、やはり徹夜してでも積読を解消する。いや、積読よりお気に入りの本を読み返すかもしれない。電子書籍のサーバーがダウンしてしまったら、今手元にある紙の本を読む。

友達が話したいと言ってくれたら通話もする。通信も混乱するかもしれないが、電波が途絶えるその瞬間までに爆速で今までの感謝を綴ったメッセージを送る。

あ、でも自暴自棄になった人が家に火をつけに来たりしたら困る。

やっぱり世界は終わらない方がいい。

もしくは、誰にも何も予知させず、午前0時でしめやかに強制終了がいい。

5/5/2026, 2:17:07 PM

書く習慣:本日のお題「君と出逢って、」

「君と出逢って、全てが変わった」みたいなモノローグは、日本の恋愛小説を読んでいるとたまに出てくる。携帯小説の最初のページとかによく似たような言葉が書いてあった覚えがある。

そもそも「出逢う」とは?

めちゃくちゃいろんな辞書を引ける便利サービス・ジャパンナレッジに加入したところなので、辞書を引きたくてうずうずしていた。早速引いてみる。

敢えて漢字だけで「出逢」と検索した。

『日本国語大辞典』で「いで‐あ・う[‥あふ] 【出会・出逢】」がヒットした。

"(1)出て他人と対面する。面会する。また、ある場所へ出ていく。

(2)出くわす。めぐりあう。ばったりと会う。

(3)敵に立ち向かう。"

"いで‐あ・う[‥あふ]【出会・出逢】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=20020048defd0IZrLR29 , (参照 2026-05-05)
このように、引用元をボタンひとつでコピペできるのが、ジャパンナレッジの特に便利な機能だと思う。覚えたての機能を使いたがるクソガキ精神も健在だ。

「君と出逢って云々」は(2)の「めぐりあう」だろう。

ところで、「敵に立ち向かう」!?

と意外に思った。しかし、すぐに「者共、出会え出会え!」とか「曲者じゃ! 出会え出会え!」と叫ぶ時代劇のお館様が脳裏をよぎった。

そういえば、私の好きなゲーム『モンスターハンターライズ』に出てくるモンスターの専用戦闘曲(日本語版)にも「いざ出で会へ」という歌詞があった。なお、この直前の歌詞は「忌みじ風巻 慨きかや」である。大雑把に訳すと「すごい暴風だ 嘆かわしいことであるよ」。「風巻(しまき)」はモンスターを指すので、やはり「いざ出で会へ」は「敵に立ち向かえ」という意味が相応しかろうと考える。

閑話休題。

人生が変わる出逢いだったのかなど、生きているうちにわかるのだろうか。「変わらなかった世界線の自分を観測してもいないのに?」などと、つい捻くれた考えが頭をもたげてくる。

やはり恋愛物語では「その人」とのドラマチックなあれこれを語るわけだから、「人生を変えた出逢い」と強調しているのだろう。

自分の人生を振り返ると、「あの出逢いは私の人生に影響があった」と断言できるものはあった。しかし、個人的な感覚として、「人生を変えられた」という捉え方はどうにも他人任せすぎるように思う。

もしも私が携帯小説を書くことがあったら、最初の方に書く短文のスペースには「君と出逢って、私の人生に影響がありました」と書くだろう。日和りに日和っていて、じわじわくる情けない文章だ。

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