書く習慣:本日のお題「My Heart」
いよいよ窮するお題が来てしまった。ネットで「My Heart」を含む歌詞を検索してみたが、唯一聞いたことがあったのはタイタニックのメインテーマ「My Heart Will Go On」だった。ちなみにタイタニックのテーマを「エンダァァァァアアアアイヤァァアァァアアアアア!!!」と混同している人がいるのを知ったのは、MSSPのマイクラ動画だった。
今日はうろ覚えでタイタニックの話をしてみようと思う。
タイタニックの映画は何度も金曜ロードショーでやっていたのに、前編を見たのはたぶん1回か2回だけだった。というか、前編があることを知らなかった。だから前編を初めて見た時に「タイタニック エピソード0」か何かだと思っていた。
タイタニックの前編を見て、初めてアメリカとイギリスが海を渡らないと行き来できない国同士だと知った。物知らずキッズだったので、日本とオーストラリアとニュージーランド以外は全部陸続きくらいに思っていたのだ。
ジャックがトランプか何かで勝ってチケットを手に入れたくだりを見て、「この人、寒い海に浸かって死んじゃうんだよな……」と悲しい気持ちになったのを覚えている。散々ネタバレとなる後編を見ていたからだ。正直、時系列通りに前編から見ていたら、耐えられなかったかもしれない。それくらい前編はロマンチックで楽しかった。
ローズとジャックが船首で組体操みたいなのをやる場面があったのはうっすら覚えている。小学校の運動会でほぼ同じ技をやったから組体操だと思っているが、実際はもっと情緒あるポーズだったのかもしれない。
ローズが持っていた大きなハートのブルーダイヤのネックレス、今ならクリスマスプレゼント4℃論争のノリで「ダサい」と一刀両断されそうだなあと思う。クソデカハートネックレスで、周りにもキラキラの小粒ダイヤの縁取りがあった。でも、あの大西洋の一番深いところを覗き込んだような青い色は好きだった。日本には「瓶覗き(かめのぞき)」という淡い青の色名があるが、あの碧洋のハートはさしずめ「海覗き」といったところか。
みんなが小さなボートになんとか乗り込もう、逃げようと大騒ぎしている時に、楽団がずっと演奏していたことも覚えている。少しでも人々の心の慰めになるようにとか、職務を全うしようとしたことは子供心にも理解できた。船長も船と運命を共にすると言って逃げなかった。命は大切にしてほしいし、安全圏から人の最期の様子をあれこれ判断するのは上品とは言えないが、楽団と船長はかっこよかった。
生き延びたローズが今まで大事に持っていたブルーダイヤを海に投げる場面、「なんで!?」と思っていた。今なら恋人と船が眠る海にダイヤを沈める情趣を味わうことができるが、正直に言うと、あんなに大きなダイヤなら身につける気はないけど所有したいなとも思っていた。クソガキは邪念の塊なのだ。ローズはお金持ちのお嬢様だからクソデカダイヤのひとつやふたついくらでも持ってるかもしれないけどさあ😭と羨ましかった。「宝石を海にポイ捨てできる女、超絶かっこいいな」と、ちょっと早めの厨二心も疼いた。
今はサブスクでタイタニックが見られるようになったが、ローズのように客船で旅するような身分ではないので、私は今日もあくせく働いている。
ブルーダイヤは叶わずとも、小さな一粒タンザナイトのネックレスくらいは手元にほしい今日この頃だ。
書く習慣:本日のお題「ないものねだり」
10年以上前に流行った構文だが、「〜したいだけの人生だった」という言い回しがある。まさにないものねだり。いきなり人生にまで言及するところがいかにもオタク特有の誇張表現という感じがして、親近感を覚える。
学生時代、後輩がよくこの言い回しを使っていたのを覚えている。ソシャゲのガチャで欲しいキャラを重複して引いて性能を引き上げたかったとか、楽単で有名な授業の抽選に当たりたかったとか、おしゃれなカフェが似合う人間になりたかったとか、恋人がほしかったとか。
前半は運が絡むからなんとも言えないが、後半の願望については巻き返しがきくのではないかと思った。しかしそんなだるいことを言う先輩にはなりたくなかったので、おしゃれカフェのくだりだけ同意を示した。
もっと英語がわかったら映画の原語版を楽しめたのになあとは常々思っているが、最近になってもっと堂々巡りのないものねだりを自覚した瞬間があった。
友人である。
大人になってから、全くの偶然で知り合った友人がいる。同世代ならではの共通点があり、学校で流行ったグッズや好きだった本や音楽などで盛り上がれる、貴重な存在だ。思考回路や物の見方が似ているし、違う部分があると面白く感じる。これまでの人生で一度も接点がなかった人と、同世代や趣味が似ているというだけでネタが通じるのは不思議な気分だった。
この友人が近所に住むクラスメイトだったら、と思う時がある。長い長い通学路を行き来するのも楽しいおしゃべりタイムになったことだろう。生垣でてんとう虫を捕まえて手指アスレチックをやったり(てんとう虫は高いところへ登っていきたがる)、野原でツヤツヤした数珠玉を採ってアウトドア手芸をしたり、お腹が空いたらグミの木から実を摘んだり。一人でも楽しく過ごせたが、もしも友人と一緒ならきっともっと面白かっただろう。
そこまで考えて、ふと我に返る。
大人になって知り合ったからお互いに面白がれているけれど、子どもの頃の自分の感性で果たして友人の面白さを理解できただろうか。そもそも、子どもの頃の自分はかなりのクソガキで、教室ではおとなしいがまともではない「静かなる変人奇人」の扱いだった。
子ども時代の私をリアタイされていたら、この友人とも今ほど仲良くなれていなかったかもしれない。
では、中学時代や高校時代の同じクラスや部活にこの友人がいたらどうだったか。
黒歴史生産期をリアタイされていたら、卒業と同時に私が逃げるように縁を切っていた可能性がある。大人になって、やばかったエピソードを自分なりに消化して話せるようになっているからこその現状なのだ。
ないものねだりはやめよう。
今を楽しく過ごすために、リアタイされたらやばい過去から面白かったことを集めてネタにする。現在の娯楽になるだけの人生は送れてきたのだから、自分はこれでよいのだ。
書く習慣:本日のお題「好きじゃないのに」
好きじゃないのに好きだと誤解されていることがある。
メイクとファッションだ。
ヨーロッパの古い城の写真を眺めるのと、王侯貴族を描いた絵画やその解説文を鑑賞するのが好きだ。だからといって自分が煌びやかなドレスを着たいわけではない。
綺麗なものを見るのと、自分がそれを身につけるのは別の話だ。リップやアイシャドウにつけられた色の名前を読むのは好きだが、それを顔に塗ったら気分がアガるかと言われたら必ずしもそうではない。
子どもの頃は親戚のお下がりの服ばかり着ていた。もとからファッションに興味のない子どもだったから、翌日着る服を自分で選んでは親に「その組み合わせはない」「ダサい」「在所のおめかし」などとバカにされまくっていた。
実際、私のファッションセンスは終わっていた。
好きな色だからとブルーのアイテムでワントーンコーデを目指して青・紫・緑の沼地配色になったり、季節感を無視して冬でもキュロットスカートを履いたり、「クラスの子もこんな服を着ているから」とスポーツ少年団系同級生男子の服装を参考にしてジャージを着たりしていた。
小学校高学年にもなると、「中学の制服は紺色だから、今のうちに紺色を着こなせるように」と理由をつけて、紺色や黒の服ばかり着ていた。くせ毛を気にして髪をお団子にしていたこともあり、隣の席の男の子には当時放送していたドラマにちなんで「阿久津真矢」と呼ばれていた。天海祐希に似ていると思ってもらえたなら大変名誉なことである。
大学生になってからようやく自分で服を買うようになった。効率よく自分に似合う服を探すために、単発でパーソナルカラーや骨格診断、顔タイプ診断などのモデルを引き受けたこともあった。その結果、自分に似合うアイテムの傾向がわかった。
そして、あれが似合うのこれが似合わないのと色々やっているうち、「このレベルのメイクを毎日するのも、こんなオシャレ着を通勤の数十分のために毎日着るのも、自分には負担が大きいのでは?」と気がついた。朝はギリギリまで寝ていたいし、「毎晩お風呂で念入りに落とすのになあ」と思いながら毎朝顔に色々塗るのは、自分には諸行無常すぎた。
幸いにして今の職場はノーメイクの人もかなりカジュアルな服装の人もいるから、私もごく自然にノーメイクでカジュアルな人間として社会人をやっている。せいぜいが日焼け止めと、ベタつかないように粉をはたくくらいである。
ここまで滔々と語っておきながら、最近まつ毛パーマをかけた。おしゃれに目覚めたわけではなく、コンタクトレンズを入れる時にまつ毛が邪魔だから上げておこうという魂胆だ。まつ毛だけバチバチにカールしているとバランスがよろしくないので、眉スタイリングのセットメニューにした。
これがまあ痛いの痛くないのって、ものすごく痛い。施術中はふかふかのリクライニングソファに仰向けになっているのだが、痛みをこらえるために力が入ってずっと背中が反っていた。サロンから帰る頃にはすっかり背面がバキバキになっていて、意図せずこっそり筋トレに成功していた。
まつ毛にパーマをかけるお客さんはみんな美意識が高いようで、アイリストさんは毎日しっかりメイクしている前提で話を振ってくる。ビューラーが行方不明とは口が裂けても言えず、「朝の支度が楽になるかなと思って……」とギリギリのラインでの受け答えをしていた。
しかし背中は反っているし痛すぎて若干泣いているし、アイリストさんも色々察してくれたのだろう。どういう流れだったのか、いつのまにか美容トークからオタクトークに切り替えられていて、私は目尻から涙をこぼしながら「最近は行けてないですが、ライブに行ったら絶対ペンライトとパンフレットは買ってます」などと早口で喋る異様な存在と化していた。
まつ毛パーマをかけた結果、朝の支度は劇的に楽になった。コンタクトレンズが一発で装着できるだけでQOLが上がる。
施術は好きではないが、1ヶ月くらい便利なまつ毛になるならまたパーマをかけるのもありかもしれない。
書く習慣:本日のお題「ところにより雨」
ところにより雨。ネガティブ・ケイパビリティを試される言葉である。
小学生の私はいつも天気を気にしていた。
私の家は学区の端っこにあった。学校までの最短ルートは交通量が多くて子どもの登下校に向かないため、田んぼやら野原やらを経由する田舎の自然堪能コースが通学路に指定されていた。その結果、隣の学区の小学校に通った方が近いという謎の現象が起きていた。
そんなわけで、天気が悪い日は足元が悪いなか長い距離を歩かねばならない。帰り道に雨が降るのも嫌だが、下校時なら途中で水たまりで遊んでもいいし(よくない)、家にさえたどり着けばお風呂で温まることもできる。
登校時の雨は最悪だ。長靴を履いていても、足を伝った雨水が靴の中に侵入して気持ち悪いし、靴の中に水が溜まってきてどんどん足が重くなる。ランドセルの隙間から雨が入りまくって教科書も筆箱もプリントも濡れる。
体育がある日は最悪で、濡れた私服から湿った体操服に着替える時間ほど虚しいものはなかった。もちろん給食袋も濡れるから、下手するとトレイに敷くランチョンマットがお昼時までうっすら湿りけを帯びている。パン給食の日はランチョンマットに直置きしたパンまでしっとりしてしまい、しけった雨水パンをモソモソ食べるのも憂鬱だった。
大人になった今なら「着替えを持っていけばいい」と思うが、小学生の限られた体力と腕力を思い出してほしい。荷物は最小限にしたい。おまけに私に課された通学路は、東京の一駅間よりも長い道のりだった。そもそも小学校に更衣室などという気の利いたものはないので、替えの靴下を持っていくのが精一杯だった。
「ところにより雨が降るでしょう」などと平然と言ってのける天気予報士は、いつも乾いた服を着ていた。こいつも私みたいに沼地と化した野原を突っ切る朝が待っていたら、「ところにより雨が降るでしょう」なんて気軽に言わないだろうと思っていた。クソガキは心が狭いうえにすぐ八つ当たりするのだ。
雨が降るかもしれない日でも、折りたたみ傘などという洒落たものは持っていけなかった。キッズは黙って学校指定の黄色い長傘である。地味に重いし、みんな同じ傘だからクラスメイトに間違えて持って帰られるし、黄色は特に好きな色じゃないから、持っていても本当に楽しくなかった。
中学校に入って通学距離が半分になり、折りたたみ傘が解禁になり、私の登下校はバラ色になった。家が近いって素晴らしい。
中学校の学区はえげつない広範囲だったから、私の家から小学校までの距離の2倍近い道のりを毎日歩いてくる同級生もいた。しかし私は気の毒な学区の端っこ勢になんの思いやりを示すこともしなかった。
通学距離が縮んで体力に余裕ができても、心の余裕は生まれなかった。精神的な成長がなかったクソガキ時代の思い出である。
書く習慣:本日のお題「特別な存在」
ヴェルタースオリジナルが頭をよぎったのは私だけではないと信じたい。「つうと言えばかあ」、「ぬるぽ」「ガッ」と同じである。
「ヴェルタースオリジナル」の正式名称を調べようと思って開いたのがニコニコ大百科とpixiv百科事典だったのは、完全に面白さを求めてのことだった。
画面の左半分を使って左右対称にした魔王モードなど、子どもの頃に呼吸困難になるほど笑った動画と再会を果たして月曜日の夜が更けていく。
ひとしきり笑って気が済んだところで、また文章を書きに戻ってきた。
飴に限らず、なにかおいしいものを食べたり美しいものを見たりした時に「こんな素晴らしいものを貰える私は、きっと特別な存在なのだと感じました」と心の中でナレーションが流れる。そして誰かに同じものを食べさせたり見せたりする時にも、「なぜなら、彼もまた特別な存在だからです」とまたナレーションが流れる。
このガバガバ理論でいくと、おいしいお店で食事を楽しむ客全員、美しい景色で有名な観光地にいる全員が特別な存在と判定される。景色ならSNSに投稿された写真を見た人全員も特別な存在になる。
逆ホラーだ。
森羅万象ヴェルタースオリジナル理論はさておき、自分がいいなと思った物事を共有したい存在がいることはとても恵まれていると思う。