書く習慣:本日のお題「バカみたい」
バカみたいな人間の筆頭といえば、何を隠そうこの私である。
せっかくの三連休、最終日はほとんど寝て終わってしまった。
初日と中日がアクティブすぎたのだ。
初日。いつもは15分で済ませるジムへ、「人が少ない時間に行けば長くできるのでは?」と考えて穴場タイムに行き、友人とスマホで会話しながら1時間くらい運動するなどした。
翌日、「運動したら頭がすっきりしてる!! 今日もやる!!」などと言ってリピートし、帰宅してシャワーを浴びるなり爆睡。
空腹で一度目を覚まし、遅い朝食をとった。掃除する予定だったが、案外まだ汚れていなかったのでまあいいかと思った。洗濯機だけ回して、待っている間に寝落ちした。そして目が覚めたら夜だった。翌朝まで爆睡コースじゃなくて本当によかった。
今日の予定:洗濯のやり直し及び夕食、入浴
バカみたいな行動計画を立てて、また洗濯機のスイッチを押しに行く。
書く習慣:本日のお題「二人ぼっち」
実家で犬と留守番するとき、「今日は二人ぼっちだねえ」と話しかけている。茶色いダックスフントは小首を傾げ、垂れ耳がぱたりとかすかな音を立てる。
留守番と言いつつも、特に宅配や来客の予定がなければ、犬と出掛けてしまうこともある。玄関の上がり框から庭までの段差は、犬を抱き上げて移動させている。段差を飛び降りるのは、ダックスフントの腰に悪いからだ。
「お散歩いく?」と言って抱っこしようとすると、素早いステップで後ずさり、ソファの裏に逃げていく。リビングで追いかけっこした末、ようやく犬を確保する。
天邪鬼な犬はこの追いかけっこイベントが好きなようで、「行きたくないならいいよ」と家族が取り合わなかった時は、拗ねた犬が腹いせしていた。
基本的に抱っこが嫌いな犬だが、お出かけに伴う抱っこは比較的おとなしくしてくれる。報酬があるなら人間の言うことを聞く、実にお利口さんな犬である。
庭に下ろされると、犬はあちこち匂いを嗅いで回る。最近の言い方だと「クン活」というやつだ。
母が手入れをしている庭では、季節ごとに花が咲く。「薔薇の木に薔薇の花咲く なにごとの不思議なけれど」という詩があるけれど、小学校の朝顔レベルから植物の世話が苦手な私には、植物が毎日つつがなく生きていることさえ「なにごとの不思議」状態である。
犬にとって、外でさまざまな匂いを嗅ぐことは、人間がスマホを触るのと同じかそれ以上の楽しみらしい。
我が愛犬の場合は、特に地植えの植物に長い鼻面をつっこんでフンフンやるのが好きなようだ。「お鼻に虫が入るよ」とたしなめても夢中で嗅いで、案の定ちっちゃい虫が鼻にくっついてしまう。短い前足で一生懸命に鼻を掻こうとしても全然届いてなくて、口元のあたりをこすっている姿はとても可愛い。虫を取ってやると、犬ドリルで茶色い残像になってから尻尾を振る。
庭のクン活を終えても家に戻りたがらない時は、追加で公園まで連れていく。庭で満足したら自ら玄関ポーチの真下まで歩くし、そうでなくとも「おうち入る?」と聞くと家に向かって歩き出す。
しかし、うながしても動かない場合がある。「庭のクン活は終わったけど、もう少し外にいたい」という気分だと解釈し、数kgの犬を抱き上げて数百m先の公園まで連れていく。帰省して最初のうちは途中で犬を下ろして休憩を挟むが、慣れてくるとノンストップで公園にたどり着けるようになる。
公園まで連れていく方法は、人間の個性があらわれるポイントだ。親はサクッと車を出すが、完全ペーパー免許の私は犬を抱いて徒歩である。同じく運転しない派の妹は、肉体労働で解決する私と異なり、犬用の台車みたいなやつを導入して賢く犬を運んでいた。
公園のいちばん奥にある日陰棚のベンチまで犬を運び、犬を地面に下ろしてひと休み。犬も人も水分補給して、スマホで記念撮影し、家族にLINEで「公園に到着」と共有するのがお決まりの流れだ。
犬が「私帰る!」と言わんばかりにすたすた歩いて家に向かうので、犬のペースに合わせて歩いて帰る。人間は往復1km弱、犬は片道分の運動になる。
家に到着したら犬の足を洗い、お散歩の報酬にヤギミルクを足した水を飲ませて「お出かけ」は完了だ。
犬を観察するのは面白いし、犬の言いたいことや感じていることがわかると楽しい。特に「トイレに行きたいが、ソファから降りるのはめんどくさいので下ろしてほしい」という要求吠えを突き止めた時は脳汁が出るほど達成感があった。
犬も私との「二人ぼっち」を楽しんでくれていたらいいなと願っている。
書く習慣:本日のお題「夢が醒める前に」
起きてから「夢でよかった」と思う朝と、逆にひどくがっかりする朝がある。
がっかりする夢は、欲しいものがあと少しで手に入る夢だ。たいていはお腹が空いていてご馳走を食べそびれる夢である。次に多いのが、「子どもの頃に欲しかったおもちゃをなんでも持っていっていいイベント」に参加して物色中に目が醒めてがっかり、というパターンだ。
たまに地元の知人などが出てくる夢も見るが、目が醒める前に「この人は何年も前に引っ越して、家は更地になってるんだよなあ」などと矛盾点に引っかかる。そして夢を見ていることに気がついて「てか今何時!? 寝坊してない!?」と焦って起きる。今では連絡先も知らない知人に夢で会えた感慨など、遥か彼方に吹っ飛んでいる。
夢が醒める前にできることがあるなら、まず休みの前の日はアラームを切り、インターホンの音量をオフにすることである。特に祝日前夜はアラームを切り忘れていつもの時間に覚醒し、社畜丸出しの朝を迎えがちだ。特に届け物の予定がないなら、インターホンもぜひ切っておきたい。休日の朝の訪問者なんて、だいたいが招かれざる客なのだから。
そしてよく眠れるように、寝室のカーテンをきちんと閉めておくことも重要だ。平日は寝坊防止でわざとカーテンを少し開けてあり、休みの日に風を通すまでそのままだったりする。
あと、休日前夜だからといってお酒を飲まない。たいてい夜中に喉が渇いて目が覚めるし、冷たい水を飲んで完全に覚醒してそのまま夜更かしに入り、翌日の午前中を二度寝に使って午後に起き出して洗濯……と、どんどん予定がずれていくからだ。
夢が醒める前に、長く眠れる環境を整えておく。
あとは欲しいものが手に入るまで粘ったり、夢だと気づいても知人との時間を大事にしたり、一秒でも長く夢を楽しむだけである。
書く習慣:本日のお題「胸が高鳴る」
個人的に、胸が高鳴るイベント第一位は待ち合わせである。
できれば相手より早く到着したい。待ち合わせ場所から目的地までのルートも実際に歩いて確認したい。その日に行くお店が予約ができないタイプの行列ができるカフェなら、先に並んでおいて店内待ち合わせに変更したい。
そもそも、待ち合わせは遊ぶ日のすり合わせから始まっている。当日に仕事があるのか、翌日が休みなのか、遊ぶエリアをどこにするか、行きたい店は何時にオープンなのか。
遊ぶ日が決まったら、手土産を買いに行く。相手の好きなものを選ぶのか、自分が買って良かったものを布教するのか。相手の負担にならないように、なるべく軽くて嵩張らないものがいいだろう。
この待ち合わせの相手は恋人でも上司でもない。気の置けない友人である。
毎日同じ学校へ通っていた頃は、私がダメ人間すぎて友人に心配をかけていた。
ガスバーナー着火下手くそ選手権で毛先を焦がす。
モップで床を水拭き中、すっ転んで頭を打つ。
ブレザーのボタンをつけ直そうとして、スカートとブレザーを縫い合わせる。
テラスで足を踏み外し、毛虫だらけの生垣にダイブして手足を刺される。
アホエピソード満載である。
実にしっかりした長女気質の友人には「大人になるまで生き延びられるのか」と親目線で心配されていた。思えば、中学、高校、大学とそれぞれのフェーズで一番仲良くなったのは揃って下に弟妹がいる長男長女ばかりだった。
おかしい。私だって、小学生の頃はしっかり者の姉キャラだったはずだ。
なぜか友人の前ではしっかり者になりきれなくて、ズボラだったりそそっかしかったり、落ち着きのないボロが出まくっていた。
だから、大人になってから遊ぶ時は、しっかり者に成長したところを見せて安心してもらいたいのだ。
待ち合わせ場所に向かっているあたりまではそんなことを考えているのに、私より早く友人が待ち合わせ場所に立っていて、膝から崩れ落ちそうになる。
「どうしてそんなに早く来てるの?」と聞いたら、「いつも早めに来てくれてるから、私も早く行ったらそのぶん一緒にいられる時間が増えるかなって」と答えが返ってきた。
そんなわけで、友人との待ち合わせの日は胸が高鳴る。
書く習慣:本日のお題「不条理」
理不尽が好きな人はあまり多くないと思う。理不尽な顧客や上司に対する愚痴がSNSの海に無数に漂っている。もちろん私も上司の理不尽な振る舞いにカチンと来ることがある。
でも、不条理ホラーは好きだ。
人からもたらされる理不尽はムカつくし受け入れがたいが、不条理な怪奇現象を扱ったホラー映画は面白い。怖い場面では目をつぶるビビりだが、それでも怖い話が好きだ。自分の周りにも実は怪異が潜んでいるかもしれないと思うとわくわくする。でも事故物件に住むバイトとかは怖くてできない。自分の身に何も起きない安全圏から、恐怖のエッセンスを楽しみたいのだ。
小さい頃は、夏にやる心霊特番の「あれは一体なんだったのでしょうか……」と終わる再現ドラマが許せなかった。「すっきりさせてくれよ!」と母と二人でモヤモヤしていた。今にして思えば、当時の私にはネガティブ・ケイパビリティ(わからないものをわからないまま受け入れる力)が足りなかった。
しかしながら、「ゲストに幽霊が憑いている」と言ってお祓いを始める霊能力者のコーナーはなんだか全然怖くなかった。妹が霊能者のモノマネをして「正〜直に出てきなさい」とテレビの前で完コピするのだけが面白かった。
お祓いコーナーで冷めるのだから、もし尺の短い心霊再現ドラマで原因究明・すっきり解決までやっていたら、それはそれで無理やりオチをつけたと感じて冷めていたかもしれない。理不尽な視聴者である。
不条理ホラーを観ていると、もし自分が理不尽な思いを抱えて死んでも、後から憂さ晴らしする手段が無限に残されているんだと希望さえ持てる。生きている間は「自分がされて嫌なことはしない」とか色々自制していたが、死んだらそんなしがらみもなくなるからやりたい放題だ。面白半分に現場に踏み込んできた奴にはもちろん取り憑くし、その他ちょっとでも縁があったらフットワーク軽く取り憑いていきたい。
不条理ホラーの怪異側になりきって想像してみたら、生きている側にとっては不条理でも、怪異には怪異なりの論理があって動いている可能性が見えてきた。
生きている人間は確実に助かりたいから、怪異の恨みを晴らしてやろうとか強制的に消し去ってしまおうとか対策しようとする。しかし怪異側としてはやっと自分のターンが回ってきたのだから、死んだ後まで他人の都合に合わせてやる義理はないというわけだ。
そう考えると、自分を不条理扱いする人間こそ、怪異にとっては理不尽なのだろう。