『行かないで』
大切に思う人ほど、
私を置いて行ってしまう。
あなたは、何年も、近くに居たくせに
最後は、あなたが
何者だったのかを教えてはくれなかった。
急に、居なくなると知っていたのなら
私は、
あなたの名前も、
あなたの好きな事も知りたくなかった。
私が、階段で転けそうになった時、
とっさに、あなたが手を差し出さなければ、
私は、あなたの手の感触も
その温もりも知らなくて済んだはず。
置いて行くあなたの気持ちは、
知らない。
けど、
置いていかれるこの気持ちは、
私の中に、今でも生きている事を
あなたに届いて欲しい。
ふと、あの時を思い出しては、
不思議だったあの時間は、
何だったのだろうと考える。
どうして、あなたは
私に名前を置いて行ったの。
そのせいで、
私は、これからも、
あなたの名前を探してしまうんだ。
『秋晴れ』
秋の晴れた空を見ると、
あなたが煙になって、
空に向かった時の事を思い出す。
ずっと晴れていたのに、その時だけは
天気雨だった。
バスの中で、
透き通るような青い空から
涙のような優しい雨が降ってくるのを
眺めていた。
バスの中では、誰も言葉を発さず
あなたのことを心から
みんな悲しんでいるのが伝わってくる。
だけれど、
私は、そんな美しい空を眺めながら
あなたがたくさんの苦しい事から
解放されて、自由になれたのなら
良かったのでは無いかと思った。
あなたが好きだった散歩を
あなたをずっと待っていた愛犬と共に、
こんな素敵な空の中をしているのだろうと
考えると胸を撫で下ろす事が出来た。
これからは、
たくさんの辛い事よりも
自由に楽しい事の方がきっと多くあると。
あなたの泣いている顔を思い出すよりも
あなたが楽しく笑ってくれているのだと
思える方が、
私も嬉しいし、安心して居られる。
私は、あの日と同じように
晴れた空を眺め、あなたを思う。
もうすぐ、5年目の秋がやってくる。
あなたがいなくなった事が
悲しいのは変わらないけれど、
私の人生を全う出来たのなら
また、あなたに会えると信じている。
だって、あなたに会って、
あなたにちゃんと伝えたいから。
伝えられなかった言葉を伝えたいから。
私は私の幸せを見つけれたんだと。
私は、何よりあなたの子供で良かったと。
あなたが私を産んでくれたから、
私は、私の幸せを見つけられたと
伝えられる日を待っていて。
『忘れたくても 忘れられない』
忘れたくても、忘れられない思いは
誰にだって、心の中にあるもので、
それは、石のように
とても重いものだろう。
転がす事も、その石を砕く事も簡単には出来ない。
きっと、一生その石は、
そこにあって、
その石につまずかないように
気をつけるしか出来ない位になって行く。
忘れたくても、忘れられない。
忘れたと思っても、
石はそこにあるのだから、
また、つまずいて、転んで痛い思いで
思い出すはめになる。
だったら、私は思う。
その心の石に
標識を立てたらどうだろうかと。
標識があれば、
その石につまずく事もなくなる。
恥ずかしい思い、苦しい思い、悲しい思い、
人によって、
きっと、その石の形も重さも大きさも違うけれど、
持っていない人などこの世には居ないのだから、
標識を立ててしまえば良い。
自分の好きな言葉、好きな人の顔、
好きな景色。
どんな標識だって良い、
心の中に、一瞬でも立ち止まれる場所があれば
きっと、足元の石に気付く事が出来る。
それに、もし、疲れたのなら、
その石に座って休憩するのも良い。
つまずく前に気付けたのなら、その石を
あっさりと越えて行けるだろうし、
もし、石と向き合う事が出来たのなら、
案外、
忘れたくても、忘れられない思いは
良い方向へと
変わっているのかも知れないから。
『やわらかな光』
優しい月の光が
あなたの横顔を照らしている。
あなたは無言のまま、
長い間、その月を眺めては、
何かを言いたそうな表情を浮かべている。
私は、
それに気付かないように
月の光で少し明るくなった
足元を眺める。
言いたい事はわかる。
あなたが何を伝えたいのかも。
だけれど、それは余りにも残酷で
私はあなたの言葉を受け止めれる自信が無かった。
あなたのその優しい口元から
どうしようも無い現実が帯びてくるのが恐い。
この世はどうして、
こんなにも無情なのだろう。
どうして、私が大切にしたい人ばかり
居なくなって行くのだろう。
泣きたいのはあなたなはずなのに。
私の足元には、たくさんの涙が
優しい月に照らされ落ちて行く。
私は、どうかその月の光に
あなたが気付かないように、ただただ願った。
『放課後』
それは、クラブが終わって
いつものように友達と校舎の裏側で
話している時だった。
3階の踊り場の窓から外を眺めている君を
初めて見つけた。
数秒間、時が止まったかのように
君から目が離せなかった。
暫く、君を見ていると
ふと君はこちらに顔を向けた。
私は、君と目が合ったような気がして
視線を外さずに居ると、
何処か違和感を覚えた。
そして、気付いてしまった。
『君は、私と同じ時間枠にいる人間ではない』と
何故なら、その踊り場の窓は
人が立てるような場所には無い。
梯子を使ったとしても
立ち方が不自然だった。
寧ろ椅子にでも座っているような姿だった。
私は友達に踊り場に誰か居ると言いかけて止めた。
変に思われるから言いたく無かったわけじゃない。
ただ、君の顔がとても悲しそうだったからだ。
君を見ていると
同じように君も見ているような感覚がした。
本当は、目を合わせない方が良いと言うけれど
私には、君が見えるし
君にも私が見えている。
君がどんな存在であったとしても
君の存在を蔑ろにして良い理由が無かった。
私は、友達に忘れ物をしたと言って、校舎に戻った。
きっと、近くに行くと君は姿を消してしまう霞だと
分かっていても、
足は踊り場に向かってしまう。
私は急いで階段を駆け上がった。
3階に着くと、
やはり窓は高く人が立てるような場所では無かった。
窓の向こうには赤く染まる空だけが見えるのに、
君の姿は何処にも無かった。