"時計の針"
冬のある晩、広い廊下で緑と赤に光っているのを眺めてただ独りそこにいた。
座ってジッとしていると立ちたくなり
立って歩き回っていると座りたくなる
意味のわからない自らの願望に混乱して、自分が自分ではなくなる感覚に陥る。
「頭がおかしくなりそうだ…。」
自らを捕まえ、律するためにそんな言葉を口にする
とうとう座って、脚を忙しなく動かす
けれどそれだけでは足るはずもなかった
不安と緊張が出会い、ほどけ、混ざり合い
肺の底にべっとりとこびりつく。浅く、素早い呼吸となっていく
それは右腕の手首から聞こえてくる規則正しい機械音にいざなわれる
時の進みが自らの身体と合致し、胃が収縮して全体を巡る血液が沸騰するのを感じる
同時に脳味噌の奥は冷えわたり
思考を放棄しようとする
みっともなく床に滑り落ち、手を叩きつける
ぐるりと目の前が回る
バチンッ
痛い
自らの頬を両の手で打ち、壁と床の境を見つめる
時計を掠めた右頬が特に痛む
情けない自らを殺すため、右腕の手首に視線を向ける。
大きく震えている右腕を左手で押さえ付ける
「 」
肺を目一杯膨らませ、くっついてしまう程に中身を吐き出す
支配されていた動揺を無くすため、ジッと見つめて全てが終わるその時を待っていた。
"溢れる気持ち"
ずっと我慢をしていた。
我慢というには烏滸がましいのかもしれない。
嫌われることが怖くて、情けないと蔑まれるのが怖くて
ずっと自らをひた隠しにして来た
ある日、浴び慣れたはずの言葉を聴いて
感情を適切に処理する器が音もなく崩れ去る
溢れた感情が私を濡らす
そんなものは私ではないと律し続けた 涙の結界 が
張り続けて緩むことを知ることができなかった 緊張の糸 が
喉の奥に長い間、漂い燻り続けた 惨めな本心 が
壊れて、崩れて、嘆き始める
留まるところなど知らずに、ずっと
今までちゃんと出来たのに
崩れたそれらは中々治らずに、私の中に居座っている
そんな哀れで無様で醜いことをしても、状況のひとつも変えることができない私が
大嫌いで、たまらない。
"Kiss"
どうやら、真実のキスとやらというものがあるという
純粋な強い 愛 の力が、呪いや深い眠りを解くことが出来るという。
_御伽話だ。莫迦莫迦しい
キミはきっとそういうのだろう、自分も完全に同意する
そんな物に酔いしれていては、幸も不幸も見逃してしまう
けれど、もし本当にそんなものがあるとするならば
たくさんのチューブに繋がれたキミを見る。
優しく閉じられたキミの瞼の下にある温かな眼を思い起こす
もし、本当にそんなものがあるならば
目覚めさせてみせろ
優しく、愚かなリップ音
響いた後は、哀れに啜り泣く音だけがこだましている
"1000年先も"
毎日君に花を贈っている。
昨日は太陽を見て育つ華やかな向日葵を
今日は七変化する妖艶な紫陽花を
明日は甘く強い芳香に愛される金木犀を贈ろうと思っている
返事などない。
けれどそうするのは、君の笑顔が見たいから
いつか作った花畑のような花冠、綺麗に出来たはいいが持て余して近くにあった君の頭に乗せた時
きょとんと猫のような顔をして、君が笑った瞬間に周りがぶわっと色付いて、愛しくなった。
花が綻ぶように笑った君の笑顔が心に張り付いて離れない。
ずっと、花を贈るよ
10年後も100年後も、1000年後だって。欠かさず
これ以上、独りで哀れになってしまっては敵わない。
こんなに花ばかり送ってしまっていては、もう嫌になっているかもしれない。
けれど、君との思い出をどうしても形にしたいから。
天国にいる君へ送ると誓い
届いていることを願っている。
"勿忘草"
昔、一度だけ見たことがあった。
青い小花の合弁花
中央の黄色が合わさったのが綺麗で、見惚れていたのを覚えている。
それを思い出したのが、息を切らしながらこちらを見遣っている君の手に握りしめられたのを見たからだった。
様子からして、走って来たのだろう。
風圧やらなんやらで草臥れている花も相まって確信できる
私に渡す為に持って来たらしいが、差し出した瞬間にそんな様子に気づいたらしい。ハッとした後に恥ずかしそうに手を引っ込める
私は君を知らない
けれど、なんとなく受け取りたくなった
完全に手を引っ込められる前に私は腕を伸ばして、優しく花を受け取った。
強く、強く握られたそれは確かに疲れているようだけど
確実に、美しい物だった。
花を受け取った私を見て、はくはくと口を動かしている君を見る。
私にはもう何も聞こえない。
耳鳴りがして、君の声を拾うことを邪魔されている。
酷くもどかしい。何を伝えたいのか、どんな声をしているのか。今の私には理解することは叶わない。
一度顔を伏せた君は、それでもばっとこちらを見て笑う
百面相する君がとびきり愛おしく感じた。
今日もまた、勿忘草の花弁が降る
誰からかなんて、明白だった。