『big love!』
かつてマザー・テレサは言った。
「私たちはこの世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです」
うん、普通の生活をしていて世界に影響を与えることなんて、そうそうないよなぁ。
けど、その小さな毎日の積み重ねが、社会や歴史を作ってもいる。
つい偉人や有名人に目を向けてしまいがちだけど、社会に変革が起きる時、そこへ至る流れを作っているのは名もなき人々なのだ。
政治への不満、世の中への不安。
そういったものが大きなうねりとなって、あとほんの一滴、誰かが何かを垂らせば爆ぜるところまでいく。
そう考えると、平凡だとか何もない毎日だとか言ってられるうちは幸せで、大きな愛に包まれている、と言えるのかもしれない。
『星明かり』
自分の人生が、味気ないものだと感じるようになったのは、いつからだろう。
例えば、こんなふうに仕事帰りの電車の中で。
今日もいいことなかったなぁ、とか。
なんでいつも面倒な仕事が回ってくるんだろう、とか。
そんなことばかりツラツラと、悩むでもなくポツリポツリと頭に浮かんで。
ぼんやり窓の外を眺めた時に、車内の電灯の強さに負けている、見えるか見えないかくらいの存在感の薄い星の光を目にすると――自分もあんな感じなのかと。
ただ、それで終わっていたら本当にダメになってしまいそうで。
小さな最寄り駅の、灯りの少ないロータリーでもう一度空を見上げることにしている。
すると、さっきまであんなに薄かったのが嘘のように、くっきりと浮かび上がる星明かりに、ちょっとほっとするのだ。
『風景』
タロットのフール、愚者のカードが昔から気になっていた。
ひとりの青年が、太陽の下、左手に花、右手に包みをくくりつけた棒、足元には一匹の犬と共に、空を見上げている。ルルルと鼻唄まで聞こえてきそうだ。
――あと一歩でも踏み出せば、崖から転落するという状況なのに。
目の前に迫る危険に気づかないことが愚かなのか、それとも気づいていて踏み出そうとしていることが愚かなのか。
どちらにしても、彼はどこか幸せそうに見えるのだ。恍惚の表情と言ってもいい。
うららかな陽光は、気持ち良かろう。
切り立った崖は、さぞかし見晴らしが良かろう。
彼の眼前に広がる風景は、いったいどんなものなのだろう。
それを見てみたいと思う自分も、愚かなのだろうか。
『夢へ!』
新人が入った。
人の異動がほとんどない職場なので、大変珍しいことだ。
憧れてなる職業でもないし、どういう経緯でやってきたのかは聞かないつもりでいたのだが。
「ずっとこの仕事に憧れてました!夢が叶ってうれしいです!」
驚いたことに、新人は喜色満面の笑みを浮かべて仕事道具を振り回している。
こらこら、やめなさい。危ないから。
それと、まずは刃を研ぐところからだから。
綺麗にスパッと刈り取れるように。
現世の未練を断ち切ってやれるように。
「かっけぇ〜」とか言って決めポーズをとるのは、それ、後で君の黒歴史になるからね。
実際のところ、そんな悠長な時間はないのだ。
この地球上で、日々どれほどの死者を迎えに行かねばならないことか。
1日のノルマを聞いたら腰を抜かすだろうなと思いながら、手にした大鎌を見つめた。
『桜』
桜は人の心を狂わせる。
いや、正確に言うなら、日本人の心をざわつかせ惑わせる、か。
なぜ私たちはこんなにも桜の開花に一喜一憂し、はらはらと散る様子を惜しみ愛するのだろう。
狂信にも似たそれは、もはや愛でるというレベルをとうに超えている。
桜の下に屍や鬼の姿を幻視し、そこに張り詰めた虚空を見る。
望月の晩に満開の桜の下で息絶えたいと願った歌人の気持ちがわかってしまう私は、そういった彼らと同類なのだろう。
一輪の桜は可憐でやさしげな花なのに、桜の木を見上げると清々しさと妖しさを感じる。
特別な色をしているわけでもなく、
特別な形をしているわけでもない。
けれど――
ただの花であるはずがない。
ただの花でいさせてはいけない。
そんな気がして、桜に何かを添えたくなるのだ。
例えば、あの淡い薄紅色の花びらに、深紅の血痕がついていたら――とか。
嗚呼、しづ心なく花の散るらむ。