『ススキ』
脳裏に浮かぶのは、辺り一面のススキ野原。
熟しきり、風に飛ばされるほど綿毛が膨らんだススキの穂が、ふわふわキラキラと輝いている――そんな風景。
人は皆、心の中に原風景を持つという。
それは幼い頃に体験したことだとか、むかし暮らした場所だとか、はたまた記憶の組み立てによって作り出された架空のモノや場所だとか。
人によって違っていて、しかし強い郷愁を感じるそれは、個人回帰の基準点となった。
肉体を捨て、意識体を仮想空間に放流して、全ての人がひとつの大きな海に揺蕩う現在。
自我が拡散しないよう、私は時々そこへ還る。
私はススキ。
あなたは?
『意味がないこと』
「さて、ここには今、あなたとわたししかいませんが、どうします?」
それまで一言も発しなかった人に声をかけられて、ビクリと体が震えた。
恐る恐る顔を上げると、心底つまらなそうな表情が窺える。
「出来るかどうかわかりませんけど、頑張ってここを出るか、諦めてここでなんとか過ごすことを考えるか」
――それとも、すべて投げ出して何も考えず、無為に過ごすか。
すぐには返事ができず、ただ俯くばかりの私に一瞥をくれると、その人はぽつりと呟いた。
「まあ、こんなことを考えるだけ、無駄かもしれませんがね」
恐らく外に出ても私たち以外、誰も生存者はいないだろう。
むしろ、外に出ることで様々な危険を伴う。
かといって、ここにいても食糧がないので飢えることは想像に難くない。
どこから世界はおかしくなってしまったのだろう。
詮無いこととはいえ、考えずにいられない。
某大国の国家元首を決める選挙からか?
その前の北方の戦争か?
それより昔の……
すべてはもう、意味がないことだ。
誰も彼もいなくなった、今となっては。
『柔らかい雨』
一昨日は槍が降った。
きっと、誰かが柄にもないことをしたのだろう。
昨日は天気雨。
隣町で狐の嫁入りがあったそうだ。
今日は、一見普通の柔らかい雨。
パラパラポロポロと降り続いている。
これは誰の何が原因なのか。
もはや天気は単なる気候活動ではなくなった。
どこかの誰かの影響を強く受けているのだ。
激怒すれば雷が落ち、機嫌が良ければ快晴となる。
ただ、どこの誰を由来とするのかは分かっていない。
だからみんなで、その“誰か”を噂する。
「2丁目のAさんが離婚したらしい、そのせいじゃないか?」
「お隣の息子さんが彼女に振られたんですって、だからかも?」
「まさか、うちの教え子が受験に失敗したから……?」
馬鹿馬鹿しい。
天気が変わるたびにこれなのだ。
誰にだって嫌なことや悲しいことのひとつやふたつは起こるだろう。
幸いなのは、自分がみんなに噂されるような人付き合いがないことか。
こんな時ばかりは、ぼっちでよかったと思う。
昨夜、私の愛犬が天寿を全うした。
素直で可愛い子だった。
ショパンの子犬のワルツのように、パラパラポロポロと転げ回っているような子だった。
『一筋の光』
一日一善、昔はCMでそんな言葉が流れていた。
今では耳にしなくなった言葉だが、私はそれをなんとなく実行し続けている。
一日になにかひとつ善行を。
それは大したものじゃなくていい。
お金がかかることでもない。
疲れている人に労いの言葉をかけたり。
悲しんでいる人に寄り添ったり。
なにかで手一杯の人を手伝ったり。
そんなこと、とか。
それがなんになる、とか。
偽善だ、とか。
自己満足じゃないか、とか。
思う人もいるだろうけど。
例えばの話。
いつの日か、この世界が終わるとして。
瓦礫に射し込む一筋の光のように、今日のこの行動が誰かの救いになるといい。
そんな、ささやかな祈りのようなものなのだ。
『哀愁を誘う』
『巨匠と呼ばれるK監督のとある作品は実に良かった。
自分の余命を知った男がブランコに乗りながら小さく歌を口ずさむシーンほど、哀愁を誘うものを観たことがない』
ワイヤレスイヤホンから、そんな声がする。
『実際に見てみたくなるくらいには感動したんだ』
ふざけるな、そう叫びたい。
しかし、そんなことをしては命がなくなる。
どうしてこんなことになったのだろう。
昼休みに、近くの公園でブランコに乗っただけなのに。
ブランコに腰掛けた瞬間になんとも言えない違和感があった。
板の裏側になにか重たいものが取り付けてあるのを感じた。
すると電話がかかってきたのだ。
そして今に至る。
『君にも歌ってもらおうかな。ああそれと、くれぐれもそのブランコから降りないように。負荷が無くなった瞬間に爆発するからね』
逆らうこともできず、小声で歌を口ずさむ。
今の自分は、哀愁を誘うどころか、悲愴感にまみれているだろうと思いながら。