『届かない……』
ここ数日、このアプリのプッシュ通知が届かない現象が起きていた。
忙しさに取り紛れて、気づかないでいた自分も悪い。
ちょこちょこ弄ったので、多分大丈夫――かな?
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『木漏れ日』
穏やかな言葉だと思う。
「木漏れ日」に該当する言葉は、他国にないそうだ。
以前、読んだ本にそう書いてあった。
サワサワと揺れる緑の隙間から差し込む、やさしい光。
涼しげなのに暖かみがある。
欧米には森も湖も多いだろうに。
あの木陰の中から仰ぎ見るやわらかなきらめきを、どんな言葉を以て表現するのだろう。
『風と』
年度末の3月から年度頭の4月、そしてこのゴールデンウィークまでの忙しさときたら。
随分と日が延びた夕焼けを見上げながら、てくてく歩く。
いつの間にか、躑躅が沿道に咲いている。
他家の垣根には木香薔薇。
庭先には菖蒲。
さっき通り抜けた公園には見事な藤の花房が藤棚に垂れ下がっていた。
風に揺られて、ゆらゆらと。
風と戯れるように、さわさわと。
日中はだんだん気温が高くなっているが、夕方はまだ涼しい風が吹いている。
こんなふうに、風に吹かれながらのんびり歩けるのもあとどれくらいだろう。
もうすぐ梅雨。その後は夏。
もうちょっと涼しさを満喫したいよねぇ。
『big love!』
かつてマザー・テレサは言った。
「私たちはこの世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです」
うん、普通の生活をしていて世界に影響を与えることなんて、そうそうないよなぁ。
けど、その小さな毎日の積み重ねが、社会や歴史を作ってもいる。
つい偉人や有名人に目を向けてしまいがちだけど、社会に変革が起きる時、そこへ至る流れを作っているのは名もなき人々なのだ。
政治への不満、世の中への不安。
そういったものが大きなうねりとなって、あとほんの一滴、誰かが何かを垂らせば爆ぜるところまでいく。
そう考えると、平凡だとか何もない毎日だとか言ってられるうちは幸せで、大きな愛に包まれている、と言えるのかもしれない。
『星明かり』
自分の人生が、味気ないものだと感じるようになったのは、いつからだろう。
例えば、こんなふうに仕事帰りの電車の中で。
今日もいいことなかったなぁ、とか。
なんでいつも面倒な仕事が回ってくるんだろう、とか。
そんなことばかりツラツラと、悩むでもなくポツリポツリと頭に浮かんで。
ぼんやり窓の外を眺めた時に、車内の電灯の強さに負けている、見えるか見えないかくらいの存在感の薄い星の光を目にすると――自分もあんな感じなのかと。
ただ、それで終わっていたら本当にダメになってしまいそうで。
小さな最寄り駅の、灯りの少ないロータリーでもう一度空を見上げることにしている。
すると、さっきまであんなに薄かったのが嘘のように、くっきりと浮かび上がる星明かりに、ちょっとほっとするのだ。
『風景』
タロットのフール、愚者のカードが昔から気になっていた。
ひとりの青年が、太陽の下、左手に花、右手に包みをくくりつけた棒、足元には一匹の犬と共に、空を見上げている。ルルルと鼻唄まで聞こえてきそうだ。
――あと一歩でも踏み出せば、崖から転落するという状況なのに。
目の前に迫る危険に気づかないことが愚かなのか、それとも気づいていて踏み出そうとしていることが愚かなのか。
どちらにしても、彼はどこか幸せそうに見えるのだ。恍惚の表情と言ってもいい。
うららかな陽光は、気持ち良かろう。
切り立った崖は、さぞかし見晴らしが良かろう。
彼の眼前に広がる風景は、いったいどんなものなのだろう。
それを見てみたいと思う自分も、愚かなのだろうか。