『心の中の風景は』
心象風景、とでもいうのだろうか。
子供の頃からずっと、目を瞑ると浮かぶ景色がある。
静かな木立の少し開けた場所にある、小さな山小屋。
外側には薪が積み上げられ、傍らには古い切り株に斧が立てかけてある。
中に入ると意外にも清潔で、全開にされた窓からは爽やかな風が吹き込んでいる。
誰もいない。私ひとり。
いや、そもそも風景だけが見えているので、私がそこに存在しているとも言えないか。
長いこと、そこには何の変化もなかった。
ところが、少し前からその景色の中に黒い影が見え隠れするようになった。
はじめは家の外の地面に。
次は家の壁に。
その次は家の扉に。
やがて、家の中にその影は入ってきた。
この影はいったい何なのだろう。
私の心の何かなのだろうか。
それとも外から入り込んだ何かなのか。
今では家の中の中央に、小さく開いた穴のように存在している。
床にではない。空間に、である。
家の真ん中の、ちょうど私の目の高さ。
ソレを覗いたら何が見えるのだろう。
ソレに指を差し入れたらどうなるのだろう。
私の心の、更に深いところの景色が見えるのだろうか。
『夏草』
この暑さの中でも植物は元気だ。
人間が命を落とすほどの日差しを全身に浴びて青々と茂っているのを見ると、地球上で一番強かなのは植物だと思う。
ヒマワリ、アサガオ、サルビア、ユリ、キキョウ、ノウゼンカズラ、百日草、ハイビスカス、フヨウ、ドクダミ、クズ、エノコログサ。
ひとつひとつを挙げていけばキリがない。
それよりも、夏草と言われて脳裏に思い浮かぶのは、ザワザワとした草むらで強い日差しに照らされてムワッと立ち上がる、あの青臭い熱気。
夏特有の草いきれ。
あの熱気を思い出すと「生」というものを強く感じる。
だからだろうか、夏が舞台のミステリーは多い。
周り中から生の圧力を感じる季節だからこそ引き立つ、死。
夏と花火と私の死体
向日葵の咲かない夏
姑獲鳥の夏
真夏の方程式
自由研究には向かない殺人
孤島パズル
月光ゲーム
屍人荘の殺人
夏草の記憶
うん、ミステリーが読みたくなってきた。
『言葉にならないもの』
書き物をしていると、モワモワと頭の中に湧いてくるものがある。
台詞でも場面でも設定でもなく。
ただモワモワと、湯気のような綿菓子のような何か。
色でも匂いでも音でもないソレを、なんとか掴み取ろうとして四苦八苦する。
文章どころか言葉にすらならないソレに、頭の中の引き出しをひっくり返してピッタリ嵌まる言葉を探す。
ジグソーパズルのように。
大抵の場合徒労に終わるが、稀にカチッと音が鳴るくらいピッタリ嵌まることがある。
そうすると不思議なもので、それまでただのモワモワだったものが一気に収束していって、あれよあれよと言う間に文章が綴られる。
自分でもびっくりするくらいの速さで。
推敲もいらないくらい過不足なく。
それを一度でも体験してしまうと、その気持ちよさが忘れられなくなるんだよなぁ。滅多に起こらないんだけど。
『真夏の記憶』
トマス・H・クックの著作に記憶シリーズと呼ばれているものがあって、そのうちの一冊が『夏草の記憶』だったっけ。
一瞬、それとこのお題を混同してしまった。
本のあらすじは、アメリカ南部の田舎町である女子高生が痛ましい事件の被害者になり、それから三十年後に、彼女に思いを寄せていた主人公の「私」が事件の全容を知ることになる……というもの。
ミステリにおいて、夏をテーマにしたものって主人公が10代の青春ミステリか、田舎を舞台にした郷愁を誘うものが多い気がする。
『こぼれたアイスクリーム』
覆水盆に返らず。
そんな言葉を思い出してしまうのも無理ないと思う。
たった今、買ったばかりのアイスクリームがぺちゃりと間抜けな音を立てて地面に落下した。
咄嗟に手を出すこともできなかった。
ただ、周りの音が消えて、やけにゆっくりと落ちていくのを見ていただけだ。
私が余所見をしてたから。
反対側の通りを、私の彼と私の友達が仲よさげに腕を絡めて歩いていたから。
だから――
彼らの姿が向かいのテナントビルに消えていくのを見届けてから、足元を見る。
あんなに美味しそうだったのに、いまや地面を汚すべちゃべちゃした気持ち悪いナニカだ。
あーあ、もったいない。
でも、もう一度買い直そうとは思わなかった。
「もう、いらないな」
気晴らしに、誰かを誘って映画でも観に行こう。