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6/3/2025, 9:29:44 AM

『傘の中の秘密』

“夜目遠目笠の内”という言葉がある。

夜の暗がりで見たとき、遠くから見たとき、笠を被って顔が部分的にしか見えていないとき。
そんな状態で見ると人は想像力を働かせ、実際よりも美しく見えるという意味の言葉だ。

この笠は、昔の人が旅や外出時に被っていた菅笠(すげがさ)のことだろう。
今でも花笠音頭や阿波踊りなどで見ることができる、アレだ。

現代では日常的に被ることがなくなったから、雨の時にさす傘と混同しても意味は通る。

これからの時期は雨が多くなり、傘をさしている人とすれ違うことも増えるが、さて。

そのときあなたは相手の顔を覗き込むだろうか?

とてもじゃないが、私は恐ろしくてそんなことはできない。

だって私は見たことがあるのだ。
ふとすれ違った人の、ぬめぬめとした、瞼のない――

だから私は覗き込まない。決して。

6/2/2025, 9:59:21 AM

『雨上がり』

雨が降った後は、空気中の埃が洗い流されて、少し視界がクリアな気がする。

くすんでいた庭の草木も艶々だ。
サツキ、紫陽花、スイカズラ。

花弁や葉に乗る水滴が、オパールのように虹色に輝く。

まだ暑さの一歩手前。
蒸し加減もまだ大丈夫。

これくらいの気温で、もう少しいて欲しい。
今日は長袖で丁度いいのに、明後日からは真夏日だそうな。

5/31/2025, 7:16:22 AM

『まだ続く物語』

誰にでも、死は訪れるものでございます。
そしてそれは避けられない。

そうわかっているのに、死んだ後どうなるのかは誰も知らない。
不思議なものでございますね。

神話に描かれる死後の世界は、そんな人々の恐れや期待によって生み出されたのでございましょう。

宗教の教えによくある死後の裁きというものは、善なる生へ導かんとする知恵なのでしょうが、死後に裁くくらいなら生前悪人をとっちめて欲しいものです。その被害を受ける者がいるのですから。

天国、楽園、極楽浄土。
そこへ辿り着いたその先は、はて、いったいどうなるのでありましょうや?

そも、善人とはどこまでの者を指すのでしょうか?

日々の鬱憤や鬱屈、妬みに嫉み。
誰かを恨んだり、恨まれたり。
小さなことで一喜一憂し、己の境遇を嘆いてやさぐれるのは、善人から外れるのでしょうか?
常に前向きに、直向きに、朗らかに?
清く正しくあらねば、失楽園とあいなるのでしょうか?

おや?
それでは、今とそう変わらないのでは?

5/30/2025, 5:00:44 AM

『渡り鳥』

空を群れだって飛んでいく様子を見た記憶は、あまりない。

だから、この辺りは渡り鳥の飛来地から外れているのだろうと、漠然と思っていた。

ところが検索してみると、意外にも渡り鳥が多く見られる土地らしい。
シギ、チドリ、カモメets.

ああ、水鳥はよく見るなぁ。
カモなんてそこら中の水辺にいるのが当たり前で渡り鳥として見ていなかった。

ちょっとまって。
こんなにいっぱいいて、飛んでるところを見たことがない?
いったいいつ来て、いつ渡って行ってるの?

5/29/2025, 5:25:45 AM

『さらさら』

誰が私を推薦したのか知らないが、実に都合の悪いタイミングで電話がかかってきた。

部屋の壁紙を修復、あるいは張り替えてほしいと。

なぜ私がそんなことを、と思わないでもないが、きっと私を推薦した誰かは何か思うところがあったのだろう。
話を聞くだけ聞いて、その誰かを後でとっちめてやろうと出かけることにした。

電話の主の家に着き、部屋に通されて納得する。
なるほど、これは私を呼ぶしかなかったであろう。

部屋全体に染みついた血の匂いと、暗く淀んだ陰鬱な気配。

壁のシミを指差して、家主が言う。
「これなの、落ちなくて。このさらさらした手触りが気に入っていたから、部分的に何かで隠そうかとも思ったのだけれど、いっそのこと張り替えちゃったほうがいいかと思うの」

家主は、私をリフォーム業者かなにかと勘違いしているようだ。
私の名を教えた推薦者の名前を聞き出した後、少しやることがあるからとひとりになった。

有名なポオの作品のように壁の中から出てくるか、それとも床下か。
家主の女性は平気で私を招き入れたので、おそらく何も知らないのだろう。
多分、その配偶者の仕業。

さて、どういう手筈で暴露しようか。
こうして呼ばれてしまった以上、この家の住人がどんな罪に問われようと、看過する気はさらさらない。

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