『愛言葉』
2020年代に凶悪強盗事件が急増し、警察や警備会社は頭を抱えた。
そこで従来の生体認証や音声解析技術を研究し、より高度なセキュリティシステムへと転化することに成功した。
建物や敷地に立ち入る際は住人や持ち主に呼びかけると、その音声に含まれる親愛の情が解析され、セキュリティ解除対象かどうかジャッジされる。
悪意あるものは侵入できない。
つまり、愛情の有無が鍵となるのだ。
人々はそれを合言葉ならぬ、「愛言葉」と呼んだ。
かつてない画期的なシステムだと注目を浴びたが、程なくして人々はそのシステムを取り外してしまった。
それまで仲良くしていた者が解除されない事態が相次ぎ、思わぬ形で互いの心の内を曝け出したのだ。
友人や親戚だけでなく、家族でさえも家に入れない者が続出したという。
『友達』
1.まず、自分の好きなものや興味のあるものを集めて粉々にし、石灰と水でよく捏ねてから、「種」を埋め込み放置します。
2.たまに話しかけたり、食べ物や飲み物を置いて様子を見ます。
3.このとき、日向に置くか日陰に置くかで陽キャと陰キャに分岐します。
4.日向に置いてから日陰で放置したり、その逆をすると、少々複雑な性格になるので要注意です。
5.形が出来て起き上がったら、名前をつけることをお勧めします。
6.はじめのうちはぎこちなくても、次第に好きなものの話で打ち解けるでしょう。
7.時には喧嘩をするかもしれません。
8.そんな時はすぐに切り捨てず、互いに歩み寄りましょう。
9.どうしても許せない、相容れない、そんなこともあるでしょう。袂を分かつのも致し方ありません。
10.ただ、同じ「友達」は二度と作れませんので、それだけはご了承ください。
(「友達の種」説明書より抜粋)
『行かないで』
私の朝はいつも同じだ。
家族を起こし、身支度をさせ、朝食を並べて送り出す。
食器を洗ってかたし、ゴミを捨て、洗濯機を回し、その間に掃除をする。
郵便バイクのエンジン音に、外へ出てポストを覗く。ダイレクトメールの類をシュレッダーにかけ、必要なものは家族ごとに振り分けて置いておく。
こういった無数の日々の小さな労働は、やることリストとして組み上がっている。その項目に頭の中で線を引いて消してゆく。
それらは私の1日のすべてを支配している。
「あなた、誰?」
不機嫌そうな小さな子が、リビングの真ん中に突っ立って、こちらをきつく睨んでいた。
どこかで見たことがあるような。
「どこから来たの?」
黙って、ただ責めるように私を見ている。
嫌な感じだ。
見ているとモヤモヤしたものが、胸に溜まっていく気がする。
その子はスタスタと私の横を通り過ぎ、洗ったばかりの洗濯物を床に落とした。
それだけではない。仕舞った皿も、仕分けた郵便物も、片づけた部屋の物も、全部床にぶちまけて、地団駄を踏むように踏みつけている。
まるで、なにもかもが気に入らないとでも言うように。
「待って、行かないで」
踵を返したその子の、特徴ある走り方。
あれは私だ。
遠い昔の小さな私。
片づけが嫌いで、何か新しいことがやりたくて、蔑ろにされるのが許せなくて、もっと自分を見てくれと、全身で叫んでいた頃の。
『やわらかな光』
ほのかに白く光る真珠を幾つか、それとカミツレの花のエキス、緑柱石の欠片、獣蝋の削り粉、匂い消しに金木犀の花粉。
薬鍋をぐるぐるかき混ぜながら窓の外に浮かぶ月を見る。
今日は1年で一番大きな満月が昇る日だ。
北方ではすでにジャック・フロストが山を下りてきたとか。
今頃はきっと少年の姿で冷えた空気を振り撒いているのだろう。年の暮れには青年の姿、春先には老いた姿となり、最後は雪解け水として消えてゆく彼を想う。
さあ、仕上げにとっておきのものを注がなくては。
火から薬鍋を下ろして、窓辺に置く。
この熱が冷める前に、1年で一番大きな満月のやわらかな光を鍋の中へ。
上手くできたら、彼にも分けてやろう。
もしも気に入って彼が居座ったら、寒波が続いてしまうけど。
『カーテン』
「ポアロシリーズの中でも『カーテン』は印象深い。最後の作品でもあるしね。
最初の作品の舞台スタイルズ荘で幕を開け、またその場所で幕を閉じるというのも、読者のセンチメンタリズムを煽る」
キミ、読んだかい?、と彼が振り返った。
頷いてみせると、なら話は早いと薄く微笑む。
「僕は常々思っていたのだけれど、名探偵というものは究極の孤独を抱え続ける精神力が必要なんじゃないかな。
人の罪を暴くという快感が得られる一方で、その罪を請け負わなくてはならない。
それなのに、往々にして褒められず、感謝もされず、疎ましがられ、時に罵声を浴びせられる」
なんともやりきれないね、と彼は窓辺でカーテンに手を伸ばす。
「僕は君の気持ちが痛いほどわかるよ。だって、僕たちは表裏一体なのだから」
ゆっくりと引かれる、血のついたカーテンを目で追ってしまう。
「だからもう、こちら側へおいで――名探偵くん」