『奇跡をもう一度』
たそがれのおかのうえでしゃぼんだまをとばしていたら、せんせいがきました。
なにをしているのかきかれたので、しゃぼんだまをとばしているといいました。
せんせいもやりたいのときいたら、ちょっとわらってぼくがやっているのをみているからいいといいました。
ぼくはしゃぼんだまをとばしました。
まあるくてきらきらしていてとてもきれいでした。
すこししたらせんせいがなきそうなかおでぼくをみていました。
やっぱりやりたいのかなとおもってきいたら、ぜったいにもとにもどすから、といわれました。
しゃぼんだまをどこにもどすのときいたら、おまえはおれがぜったいに、といってなきだしてしまいました。
せんせいはぼくよりちいさいので、すこしかがんであたまをなでてあげました。
「あの事故で助かったのは奇跡なんだ……もう一度奇跡を起こしてみせるから…だからまた一緒に研究を……」
よくわからないけど、せんせいがなくのはいやだなとおもいました。
『きっと明日も』
与党の新しい総裁が決まった。
マスコミは連日報道し、表面上は随分と賑やかだが、一週間も経たないうちにみんなの興味は薄れるだろう。
もとより、心から関心を持っている人がどれだけいるのかも怪しい。
国民の関心事は今、別のところにあるのだから。
毎日届く1枚の葉書。
その日、その人に起こる出来事が詳細に書かれていて、全ての国民に送られてくる。
一般市民であろうと、国会議員であろうと、関係ない。
どこから送られてくるのかもわからない。
噂によると、その通りに行動しないと、大変なことが起こるらしい。
テレビの中では、新総裁の記者会見が行われている。
あの人にも葉書は届いているのだろう。
私にも、あなたにも、きっと明日も。
『静寂に包まれた部屋』
数日前から、妙な噂が広まっていた。
近いうちに世界が終わるのだとか。
核兵器によるものか、巨大な隕石によるものか、宇宙からの侵略によるものか、そのどれでもない未知の事態が起こるのかもわからない。
そのせいなのか、今日は平日にもかかわらず休みとなった。
不思議なことに、全国一斉に学校も会社も官公庁も休みである。
理由は知らされていない。
それがまた噂の信憑性を増し、人々が戦々恐々と周囲を伺っている気配がする。
外にいてもピリついた空気に疲弊するので、部屋に籠もることにした。
喧しいのでテレビはつけない。
溜まっている未読の本でも読もうかと本棚の前に移動すると、不意に窓から指す陽射しが翳った。
空に大きな、いや、空一面を覆うほどの巨大な足の裏が、ゆっくりとこちらに振り下ろされようとしている。
皆気づいているはずだが、声を上げる者は一人としていない。
私もまた、静寂に包まれた部屋の中で、ただ呆然とそれを見ていた。
『別れ際に』
別れ際にこんなことを言うのは気が引けるけど、最後なので言わせてもらう。
ああ、いや、別れたくないとかそういう話じゃなくて。
君のその精神力に感心してる。
なんのことか解らないって顔してるね。無理もないと思う。君はまったく気づいてなかったから。
君の好きな色はなに?
君の好きな花はなに?
君の好きな曲はなに?
戸惑っているね。
昨日までは淀みなくスラスラ言えたことが、今はまるで思いつかないんだろう?
ちなみに、昨夜の電話でなにを話したか覚えている? え? 電話をした覚えがない? ああ、そうか、それも残らないようにしてたっけ。
いや、いいんだ。
これでもう、君に用はないよ。
それじゃ、サヨウナラ。
『通り雨』
「窓の外の景色におかしなモノが見えた話はしたかしら?
形はないけど対話ができる生き物や、巨大迷路と化したジャングルジムの話は?
……そう。
それじゃきっと、夜空に瞬く星ぼしから聴こえる声の話もしてないわね」
その人は、ふぅと息をつくとティーカップに口をつけた。
「大したことは何もしていないのに、日々の雑事に取り紛れて、こうしてお話する時間がなくなるのよね」
わかる。自分のためのたっぷりとした時間なんて、そうそう取れるものじゃない。
「もっと時間がほしい。もっとお金がほしい。そんなことを言い続けて、一生を終えるのかもしれないわ」
それを寂しいと思うか、そんなものだと笑うのかは、人それぞれなのだろう。
そこへ、飛び込むように男性が駆け込んできた。入口で肩を払っているのを見るに、おそらく通り雨にでも降られたのだろう。
男性は「珈琲、ホットで」と、ひとこと言うとカウンターに座った。
そしてスマートフォンを取り出して何かの遣り取りをした後、ふと気がついたように私に触れた。
「これは、なんて言う観葉植物?」
ティーカップを置き、サイフォンで珈琲を淹れ始めたあの人が答える。
「ガジュマル。精霊が宿る木ですよ」