『大事にしたい』
「《暑さ寒さも彼岸まで》その言葉を我々は信じて今日まで耐え難きを耐えてきたのです!
それなのに、なんですか! 明日はもう彼岸の中日になろうというのに、未だ熱中症警戒アラートが発令されている! これをどうお考えなのか教えていただきたい!」
私は握った拳を机に叩きつけた。痛い。
「そう言われましても、このところの気候変動には貴方がた人類が大きく関わっているのではありませんかな。その責をこちらに押し付けないで頂きたい」
彼岸(秋)がヒンヤリとした目つきでこちらを睨む。その冷気を環境に還元してくれ。
「我々は約500万年前から存在している。だが、高温化はここ十数年での急激なものだ。我々だけが原因ではあるまい」
睨み合うばかりで、先程から話し合いは遅々として進まない。
「まあまあ、私共彼岸の期間は7日間あるわけですから、彼岸明けまで様子を見るということで如何でしょうか」
彼岸(春)がのんびりした口調で言う。
「お前はいいよな、酷暑に比べれば命の危機を感じさせるほどの気温ではないのだから」
拗ねた口調で彼岸(秋)が言うのは気安さからか。
この辺りが治めどころであろう。
「分かりました。それでは彼岸明けまで様子を見ることにします」
私の言葉に場の空気がほっと緩む。
「しかしながら、私たち日本人が金科玉条の如く毎年口にしてきた言葉《暑さ寒さも彼岸まで》は、大事にしたいのです」
よろしくお願いします、と彼らに頭を下げた。
『夜景』
「そこには綺麗な花畑が広がっていて、なぜか懐かしい気持ちになりました」
うっとりとどこか遠くを見るように、その人は言う。
私は返事をせず、夕飯を並べる手を止めない。
窓の外に広がるのは、湿度でうっすらと靄がかった夏の夜景だ。雑居ビルの隙間に薄汚れた路地裏が見える。花畑など、どこにもない。
「はじめはね、腹が立っていたんですよ。蝋燭を渡したくらいで、こんなことになるなんて思わないじゃないですか」
もう一度窓を見る。
夜景の手前、照明が反射して硝子に映し出された室内は、私の他に誰もいない。
「でも、あんなに綺麗な花畑を見せられたら、怒る気も失せてしまって」
私は返事をせずに夕飯を食べ始めた。
『命が燃え尽きるまで』
どうも、おばんでござんす。
Y君からのLINEで召喚されまして。ええ、こちらに伺うようにと。
なんですか、命が燃え尽きるまでを見届けたいとか。ははぁ、よくわかりませんが、つまりは誰かの死に目に立ち会いたいと、そういうわけですかな?
ちなみに『死神』はご存知ですかね? ええ、そちらもですけど、落語の演目のほうの。人間の命の火を灯す蝋燭を交換する話なんですけどね。
あぁ、あそこの蝋燭、ええとアロマなんとかのやつですかな、太くて立派なもんですな。それにちっとばかし火を点けてこっちにいただけますかな、ええ、そう、そんな感じで。
この立派な蝋燭がアナタ様の命の灯火だとして、それをこの小さくて細い蝋燭、たまたまアタシが持ち合わせてたヤツなんてすが、ええ、これね、仏壇なんかの燈明に使う、中でも一番小さくて細い、女性の小指ほどもないやつなんですけどね、これにその灯火を、こう、こうして移し替えると。
さあ、これで終いです。
どうです? これ、この灯火が消えた時がアナタ様の命が尽きる時ですな。
え? 冗談なんかじゃありませんよ。こっちだってそんなに暇じゃありません。はあ、なにをそんなに怒ってるんですかな。命の燃え尽きるまでを見届けたかったのでしょう?
いいですか、冥土の土産にお教えしますが、自ら火を点けた蝋燭を死神に差し出すなんて、そんなこと、お巫山戯や冗談でもやっちゃいけませんよ。
最初に申し上げましたでしょ?
アタシは召喚されたのだと。
『夜明け前』
「本気じゃないなら、それは恋じゃない。ただの遊び。本気のやつだけを恋って言うんだろ」
夜明け前のコンビニ。
イートインスペースでそんなことを言ってる子がいた。
そう、子供。まだ小学生くらいの。
話を聞いている相手はいない。
ハンズフリーで通話中とか?
それにしても凄いな、少年。
年齢=恋人いない歴の私には、とても含蓄あるお言葉に聞こえますですよ。
「まあ、おまえのソレが本気かどうかはどうでもいいんだけど」
そう言って手を伸ばした先に、うっすらと黒いモヤのような物が見えた。
それがだんだん濃くなって、人の形を取り始める。
「夜が明けたら帰るんだぞ」
そう言って少年は消えてしまった。
人型になったモヤが、ゆっくりとこちらに振り返る。
それは、私がまだ自分の気持ちにさえ気づいていなかった幼い頃、川で溺れた……
『カレンダー』
今では皆、スマートフォンのアプリでスケジュール管理をしているらしい。
我が家のように月毎に日付のみが書かれていて、余白に各自の予定を書き込むタイプのカレンダーは見ないそうだ。
スマホの電源すら入れ忘れる私には、逆に不便。
我が家のカレンダーは、各自が好き勝手に予定を書き込む。
「この日は帰りが遅いから夕飯はいらない」とか、「ここからここまで出張です」の横に「お土産は○○を買ってきて!」だとか、賑やかで楽しい。
朝起きてきて、居間に掛けられているそれをチラッと見るだけで、それぞれの予定がわかる。
まあ、独り暮らしの我が家で、私以外に誰が書き込んでいるのかは謎なんだけれど――