イオリ

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8/10/2024, 4:21:38 AM

上手くいかなくたっていい

 暑中、いかがお過ごしですか。

 こちらもまだまだ暑い日が続いております。

 体調を崩さないようご自愛下さい。


 よし。こんなもんかな。

 どう?これで。 彼がパソコンの下書きを見せてきた。

 うん。いいんじゃない。

 よし。ん、あれ?でもさ、もう立秋超えたから、暑中じゃなくて残暑のほうがいいよね。

 さあ、そうなの?

 そのはず。じゃあ、残暑、いかがお過ごしですか、っと。ん?いかがお過ごしですか、じゃなくて、残暑御見舞申し上げます、のほうがいいかな?

 そんなの、どっちでもいいよ。

 いやいや、こういうのはちゃんとしないと。となると、ご自愛下さい、よりも、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします、のほうがいいよね。

 まってまって。堅い、堅苦し過ぎるよ。

 いや、でもさ、僕はね、君の両親とも上手くやっていきたいと思ってるから。こういうのもちゃんとしないと。

 気にし過ぎ。暑中見舞いか残暑見舞いか分かんないけど、そんなの上手くいかなくたってうちの親、全然気にしないから。

 そう?

 うん。

 いや、でもなあ。 そう言って夫は再びスクリーンとにらめっこを始めた。

 電話で、体調どうですか、ぐらいで十分なんだけど。

 でもその心配りがとても嬉しい。


 えぇっと、

 残暑の候、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

 平素は格別のご高配を賜りまして、厚く御礼申し上げます。

 例年になく暑い日々が続いておりますが、お父様、お母様におかれましては、お変わりなくお過ごしでしょうか。

 秋が待ち遠しく感じる今日このごろ、またお会いできる日を心より楽しみにしております。

 今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。


 よし、どう?

 まってまって、ホントにまって。こんな仰々しいの届いたらうちの親、びっくりしちゃうから。なにかあったのって、心配するから。逆に上手くいかなくなるから。ホントにやめてね。

 そう?残暑見舞いって難しいなぁ。

 
 

 

8/9/2024, 12:49:45 AM

蝶よ花よ

 書道教室、バレエ教室。どこへ行くにも親が車で送り迎え。

 近所の幼馴染の子。蝶よ花よと大事に育てられてる──はずだけど。いつも暗い表情に見える。

 
 給食の時間。隣の席になったあの子が、小さい声で聞いてきた。

 体育のあと使ってたタオル、あれってもしかして新日のタオル?
 
 えっ、そうだけど。

 ごめん、たまたま見えたから。ロスインゴの内藤哲也だよね。

 知ってんのか。意外だな。プロレス好きなのか。

 うん。スマホで見てる。こっそり。

 こっそり、か。まぁそうなんだろうな、と思ったが、口には出さなかった。

 今度さ、録画しておくからうちのテレビで見るか?

 え、いいの?  突然声を上げた彼女に視線が集まった。はっと気づいた彼女は慌てて下を向いた。

 急にでかい声出すなよ。

 ごめん。

 ったく。ちなみにさ、お前はだれが好きなの?

 ……鈴木みのる。

 マジで? 今度はこっちが声を上げた。

 ちょっと、静かにしてよ。

 悪い、悪い。意外すぎて。

 周りの注目が早く消えるようにと、できるだけ普通の表情を心がけた。だが、抑えきれず笑いが漏れてしまう。

 お前が、鈴木みのるって……。

 ちょっと、笑わないでよ。 そう言った彼女の顔は、いつもより明るく見えた。



 

8/8/2024, 12:03:40 AM

最初から決まっていた

 暑い。

 暑さ寒さも彼岸まで。ばあちゃんが毎年言ってる。

 本当か?もうお彼岸だけど、依然として殺人的暑さ継続中だぞ。

 気分だけでも涼しくなろうと、夏休みの絵の宿題は、アサガオを描くことにした。

 庭には数種類の色のアサガオが咲いている。その中で1番、目に止まったのは、紫色で、周りが白で淡く縁取られているアサガオだ。他のもいいけど、この色合いが1番涼しさを感じさせる。

 よし、これを描こう。


 ──のはずだったけど。

 だって暑いからさー、どうしてもダラダラしちゃうよね。夜、ようやく涼しくなるから、そこからいろいろ活動を始めたりして。オリンピックも見たりして。

 結果、朝起きられない。起きたときには、しぼみ始めている。

 アサガオは朝。最初から決まっている。わかってるんだけど。

 だって暑いからさー。しょうがないじゃん。

 
 ……ひまわり、にしようか。 チラッと隣のひまわりに目を向けた。

 ああ、やっぱりだめ。ひまわり、お前は元気過ぎだ。暑すぎる。

 ……頑張って早起きしよ。

8/6/2024, 12:43:11 PM

太陽

 絵が下手だった。子どもの頃は、写生の時間が本当に苦痛だった。何を書いても、自分が見ているものと、描いた絵が違いすぎてうんざり。

 でも、唯一自信を持って描いたのは、太陽だ。赤々とまん丸に。まさに日の丸。気分が乗っていたら、その周りに放射状の光を足したりもした。

 そもそも、太陽を赤で描くのは日本ぐらいらしい。アメリカなどはオレンジ、北欧あたりだと白っぽく描かれるらしいが、その理由が面白い。

 簡単に言えば、緯度の違いらしい。低い緯度の場合、太陽との距離が近いので、赤い光が多く、逆に緯度が高いと、距離が遠くなるので青い光が多くなる。高ければ高い程、白っぽく見えるのはそのためだ。

 太陽はその圧倒的存在感ゆえ、誰もが根元的な生命力を感じるもの。しかしながら、
太陽は誰にとっても同じ太陽、というわけではなさそうだ。

 ──てなことを考えながら、ひまわりに水をやる。

 なぁ、ひまわり。お前は赤々の太陽と白っぽい太陽、どっちがいい?やっぱり赤だよな。

 ひまわりは僕には答えず、ただひたすら太陽を見ていた。


 

8/5/2024, 10:24:58 PM

鐘の音

 苦しい、もうだめだ、と全身が悲鳴を上げている。

 自分は1流ではない。意図せずたまたま、この位置にいるだけ。どうせこれが終わったら、退部届を出すつもりだ。そんな自分が、トップクラスの連中によくここまでついてこれた。もう十分だ。

 力を抜こう。限界。よくやったよ。

 
 ラスト1周。

 激しく鐘の音が響く。それに呼応して競技場の声援が何倍にも膨れ上がる。トラックの温度も一気に上がった。

 ちょっと待ってくれ。何だよこれ。こんなふうにされたら。

 まだ諦めるわけにはいかないじゃないか。

 腕を大きく振る。ストライドも大きくなる。つま先に向かって再び血流が流れ出すのを感じた。

 勝てるとは思わない。でも……。

 まだ走れる。

 そう思った最後の1周。自分の知らない自分の走りに出会えた。


 その日の夜。

 湯船に浸かりながら、今日のレースを思い出す。

 順位はたいしたことない。予想通り。でもそんなことはどうでも良かった。

 鐘が鳴ってからのあの感覚。あんなのを味わったら……。

 やめられないなあ、もう。

 
 部屋に戻る。

 髪も乾かさずにカバンを開け、退部届をちぎって捨てた。


 

 

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