鳥かご
休日に年上の彼女が来た。
来るなり、僕の家に、前には見なかった物体を見つけ訝しげに声を出した。
なに、これ。
鳥かご。見ての通りの。
わかるけど。どうしてって意味。
大学時代の友人から、インコ1羽、もらってくれないかって話がきてさ。1羽ぐらいならまあいっかと思って。昨日買ってきた。
ふぅん。
実は子供の頃飼ってたことがあったんだ。ピー助って名前で。可愛かったよ。最後は逃げちゃったんだけどね。
ふぅん。
な、なに、その反応。怖いんですけど。
あなたの家だからあなたの自由だけど、私はヤダな。
インコが?
インコだろうがオウムだろうが。
鳥アレルギー? 彼女は首を振った。
インコだろうがオウムだろうが、犬だろうが猫だろうが、熊だろうがクジラだろうが。要するに、かごに閉じ込めるのが好きになれないってこと。
で、でもインコはかごに入れておかないと、あっちこっち飛んじゃうし、フンもあっちこっちするし……。
あっちこっち飛びたいんでしょ。生きてるんだから。
い、いやそうかもだけど。
彼女は厳しい視線を向けながら、僕に手を伸ばした。
スマホ出して。 僕は、なんで、と言いたいのを我慢してポケットからスマホを出して渡した。
すると彼女は、僕のスマホを新品の鳥かごの中に入れて、小さな扉を閉じて鍵をかけた。
今日は1日、これで過ごします。 彼女は鍵を自分のポケットにしまいながら、静かな笑顔で言った。意味深なその表情はいつも通り、有無を言わせず、なので、不満を抱きながらも、
わかりました。 と答えた。
そんなやり取りを経て、コーヒーとポップコーンを手にテレビをつけた。2人並んで、ネットフリックスでアクション映画を鑑賞。前からずっと見たかった作品だ。配信日の今日が待ち遠しくて待ち遠しくて。ずっと楽しみだった。
のだけれど……。
テレビとは反対方向、つまり僕らの背中側に置いてある鳥かごが、どうしても気になってしまう。
スマホなんて、別にどこに置いても変らないはずだけど、なんだか居心地が良くないな。
よく考えると、スマホってすごいよな。自分の交友関係がほとんど全て入ってるし、過去未来のスケジュールも入れてるし、好きなインフルエンサーとか動画とかのログもあるし。口座とかも紐づいてるし。自分のほとんどが入ってると言ってもいいかもしれない。
振り返って鳥かごの中のスマホを見た。
ちょっと息苦しさを感じた。なんだか、自分自身が閉じ込められてるように見えて……。こっちは、映画鑑賞という自由を満喫した分、尚更そんな気がしてきた。
あのぅ……。 僕は恐る恐る彼女に声をかけた。
やっぱりさ、インコは無理だって断ることにするよ。
そう。自分で決めたんならそれでいいんじゃない。
うん。 あ、あれ?これって自分で決めたって言えるのかな。などと一瞬考えたが、すぐに考えるのをやめた。
じゃあその鳥かご、どうするの?
うーむ、どうしよ。処分するしか。
だったらさ、中に2層ぐらい網を張って、ドライフルーツ作ってみない?バナナとかみかんとかキウイとか。
なるほど。それは使えるかも。
生き物閉じ込めるよりも絶対にいいよ。 彼女が楽しそうに言った。
じゃあ今から果物買ってくるね。
え、ひとりで?僕も行くよ。
いいから、外、暑いし、言い出しっぺは私だから。あなたは友だちにお断りの連絡でもしてて。
うん。わかった。
じゃあ行ってくるね。 彼女が颯爽と出かけていった。
よし、じゃあ電話するか、と思ったが、
あっ、かごの鍵。 彼女のポケットに入ったままだ。
別に急いで連絡しなくてもいいんだけどさ。
スマホは目の前にある。でも絶対に届かない。
こうなると、かごの監禁力の凄まじさを嫌でも感じる。
ごめんな、僕。 と、中のスマホに向かってそっとつぶやいた。
友情
2階の窓辺に座って外の世界を眺める我が家の猫。朝日が眩しそうだけど、網戸越しから流れてくる夏風が気持ち良さそう。
チュンチュンと声がした。1羽の雀が窓際にやってきた。瓦の上をちょこちょこと歩き回る。
始めはじっと見ていただけの愛猫だが、我慢できず網戸にカリッと爪を立てる。案の定、雀はパッと飛んでいってしまった。
こらこら、友だちを驚かせたら駄目だぞ。冗談ぽくそう言い聞かせながら、両手で両頬の肉を摘んで軽く引っ張ると、
にゃあ(わかったよ)。と鳴いた。
翌朝。
雀がまた来ていた。同じ雀かな。だとしたらよく来たな、なんて思いながら、定位置に鎮座している愛猫を見る。
昨日と同じように観察しているようだったが、やはり昨日と同じように手を伸ばしだした。
止めようかな、どうしようかなと考えているうちに、彼女の手は網戸に達していた。
サッ。
あれ、昨日はカリッと聞こえたけど。
よく見ると、爪ではなく、肉球で網戸に触れていた。どおりで音が違うわけだ。
サッ、サッと何度も肉球タッチをする猫。雀の方は驚いた様子も無く、瓦散策を続けている。
数分のち、さすがに飽きたのか、雀は飛んていった。あっという間に姿は見えなくなった。
見えなくなったけど、愛猫は目を細めながら外を眺め続けた。
友だち、明日も来るといいな、あご下をなでなでしながら言うと、
にゃあ(メシー。はやくしろー)。と鳴いた。
花咲いて
丁寧に丁寧にお手入れされた花は、それはそれは美しい。それはそれでとても素晴らしいことだと思う。
でも、僕がハッと心惹かれるのは、こんなところに、だったり、いつの間に、のように、こちらの予想外なタイミングで咲いる花のほうだ。心の隙間を突かれる、とでもいうのか、妙に気を引いてくる。不思議な魅力がある。
誰かにさほど興味を持たれなくても、彼らは彼らで必死に根を伸ばし、葉を茂らせ、見事に花を咲かせたのだ。まさにあっぱれだ。
2024年7月。
今大会も、僕や皆が知っている花がたくさん咲いてくれることだろう。でも、今まで知らなかった無名の花も、きっと見事に咲いてくれるはず。それを見つけた僕たちは、また感動するんだろうなあ。
花の都パリ。頑張れ日本。
もしもタイムマシンがあったなら
コーヒー豆とサラダとハンドソープと焼きプリンと洗濯洗剤とそうめんと食パンとにんじんと豆腐と納豆と小豆アイス買ってきて、ついでに雑誌も買ってきて、と年上の彼女に言われて買ってきた。この炎天下の中。汗だくで。
アイスコーヒーを飲みながら、買ってきた雑誌を広げる彼女。
タイムマシンって無理なんだって。
そうなの?
うん。ここに書いてある。
まあそうなんだろうね。できてたら、未来から誰か来てるはずだからね。
でももしあったらどうする?どっち行く?過去、未来。
もちろん過去。 僕はきっぱりと断言した。
どうして。
過去に戻ってもっと頑張る。
何を。
全部。勉強も運動も仕事もめちゃくちゃ頑張って、めちゃくちゃいい男になる。
すっごく漠然とした答えだね。
めちゃくちゃいい男になって、今度はそっちから付き合って下さいって言わせる。
彼女はちょっとだけ目を丸くし、へえ、そう、と少し頬を緩めながら言った。
できるかなぁ。
うん。絶対惚れさせてやる。
(そうすれば、炎天下でお使いに行かずに済むかもしれないから)
今一番欲しいもの
休日の自宅にて。
あのぅ、と恐る恐る年上の彼女の横顔に声をかけた。
……なに。 うわっ。まさに。まさにこれが棘のある声というやつだ。
まだ怒ってる?
……別に。怒ってません。
……怒ってるじゃん。
彼女が、キッとこちらを向く。
だって。私はあなたの母親じゃないの。くつ下も脱ぎっぱなし。お皿もそのまま。テーブルにペットボトルいくつ置きっぱなしにするの?今日、わたしが来るのわかってたよね。わたしがやるの?そうなの?最近ちょっと、気を抜き過ぎなんじゃない?待ち合わせも寝坊するし。
だからごめんって。今から全部やるから。許して。
ヤダ。今日はもうしゃべりたくない。
そういうと、彼女は無言で片付けを始めた。慌てて僕も倍のスピードで動き出す。
どうしよ。困ったな。ほんとに怒らせちゃったかな。うーむ。
でもちょっと怒り過ぎな気もする。だっていつもよりほんの少し、散らかってるだけだから。もしかしてほんとは怒ってなくて、僕をからかってるという可能性もあるのでは……。
よし、確認しよう。
実は、僕は彼女が本心を隠す時の癖を知っているのだ。話しながら左に視線を向け、右耳に髪をかける仕草。この時100%、彼女は欺いている。
ちなみに、僕がこの癖を知っているということを彼女には教えていない。フフッ。
ではでは。さっそく調査開始だ。
あの、ほんとごめんね。
……。(反応なし)
今度からちゃんとやるから。
わかった。もう怒ってないから。もういいから。(反応なし)
晩ごはん、カレーにしよう。好きだよねカレー。シーフードカレー。
嫌い。(反応なし)
あ、ワイン飲む?買ってこようか?
いらない。(反応なし)
デザートは?アイス食べる?
いらない。(反応なし)
……怒ってる?
だから全っ然、怒ってないって言ってるじゃん、全く。(反応なし)
……無い。今一番欲しい反応が……。
これは、決定的に、本格的に、破滅的にまずいのでは。
僕は全身の血が冷めていくのを感じた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
みたいな感じで、今、彼の頭の中はパニックになっているはず。
全然怒ってないけど、大人なんだから、掃除ぐらいは自分でちゃんとやらなきゃね。たまにはこのくらい叱ってあげないと。
ちなみに、彼が私の癖を知っている、と思い込んでいることを私は知っています。
そんな癖、本当はありませんよ。