私の名前
部活が早めに終わって、自宅で夕方の、県内の情報番組を見ていた。十分ぐらいの、恒例の駅前クイズコーナーがやっていた。
驚いた。クラスメイトが出ていたのだ。お調子者の3人組。僕はびっくりして、でもその後笑いながら音量を上げた。
解答チームは3組で、やはり3人ずつだった。みんな学生服を着ていた。中学生か高校生。ご丁寧に全員順番に名前を発表していた。
最後に回ってきた例の3人組。ふたりは何事もなく終えたが、1番のお調子者が、小さな悪ふざけを始めた。自分の名前ではなく、なんと僕の名前を言ったのだ。
その瞬間、えっ、と驚いたが、その後ニンマリと笑ってしまった。あいつ、やりやがったな、と。
その上、なんとその3人組が優勝し、優勝インタビューも僕の名前で進んでいった。
僕自身は何もせず、その名を県内に轟かせてしまったのだ。これはもはや、県を制覇したと言っても過言ではない。フフッ。
翌日。
なんで僕の名前使うんだよ、自分の言えよ、という話で盛り上がったのは言うまでも無い。
視線の先には
喫茶店。予備校帰りにいつもは数人で来るが、今日はたまたまふたり。初めて。
本人はきちんと会話できてるつもりなんだろうけど、そんなことはないと私にはわかるわけで……。
彼が止まることなくスプーンで掻き回している。ブラックなのに何をかき混ぜることがあるのか。
落ち着きのない彼の視線の先をこっそりたどる。
掲示板だ。左隅はお店のお知らせ。従業員募集中。今月の定休日。その他のスペースは、町の情報だ。
なになに。
迷子のワンちゃん探してます。
熱中症予防法。
俳句教室始めます。
無料法律相談開催日。
何か気になるのかな。他は……。
新作映画、予約早割。
今年もやります、花火大会。
ふむ。なるほど。
ん?もしかして。
いや、まさかね。
んん、でもそうなのかな。そうだったらどうしよ。
そうだとしても、そもそもどっちかな。前に映画が好きって教えたことあるけど。その場合ならそんなに問題ない。はず。映画館に行くだけだから。
でも花火大会だったらどうしよ。浴衣着なきゃだよね。着なくてもいいんだろうけど。でもどっちかだけ浴衣って変な感じもするから、ふたりで合わせたほうがいいかな。っていうか、別にまだ付き合ってもないのにふたりで浴衣もおかしいか。
勝手に浴衣姿で並ぶのを想像した。頰が赤くなるのを隠すように急いでカップに口をつけた。
彼が咳払いをしてから口を開いた。
あ、あのさ。
な、なに。
俳句って興味ある?
えぇ~。そっちなの〜。
私だけ
隣の大学サークルと、恒例の飲み会が開かれた。
上級生同士はすでに顔見知りで、気軽に、久しぶりといった感じ。新入生はまだ敬語混じりで初々しい。だが酒の力もあってか、緊張は程なくして溶けていったようだった。
それにしても。
最初から気になっていた子がいる。眼鏡をかけた金髪のショートカット。今回初めて見たから、向こうの新入生だろう。はじめから気後れもせず、こちらにも酒を注ぎにやってきた。笑顔の子だった。
僕がトイレから戻ろうとした時、偶然、その子と廊下で顔を合わせた。
彼女は笑顔で、どうも、と声をかけてきた。
それに対して僕はなぜか、大丈夫かい?
などと少しずれたような返事をしてしまった。
大丈夫ですけど。何です?何か変に見えます?
なんとなく。
どこがです?
上手く言えないけど、笑顔が上手だなと思って。いや、すまない、なんでもない。気にしないで。
僕は頭を振って、そそくさとその場を離れた。
飲み会終了後、店先で散開して帰ろうとした時、背中から声をかけられた。あの子だ。
ちょっといいですか。
なにかな。
さっきの話なんですけど。
ああ、ごめん。訳わかんないこと言って。酔ってたから。
なんでわかったんです?
なにが?
私の笑い方だけホントじゃないって。 彼女は真顔だった。飲み会での愛嬌は微塵もなかった。
みんなと同じようにやってるつもりだったんですけど。
うん。
やり過ぎでしたか?
いや、そんなことない。悪くない笑顔だったよ。
でもバレた。なぜ。
んん、と少し考えた。なんとなく、と、いい加減にあしらってもよかったが、彼女の真っ直ぐな視線が、僕の逃走を許さなかった。
僕も前はそうだったから。でもやめた。
やめられるの? 彼女は驚いたような声で言った。
たぶんね。
どうやって。
さあ。人それぞれだと思う。僕の場合は……。 彼女が息を飲んで答えを待つ。
まず、ロン毛の金髪をやめた。
ロン毛、だったんですか。
うん。
金髪?
うん。
彼女の視線が右上に向かう。きっと僕のロン毛金髪姿を思い浮かべているのだろう。そして、
あんまり似合ってない気がします。 頬を緩めながら言った。
うん。僕もそう思う。やめてよかった。 僕は笑顔で返した。
それじゃまた。
あの……。 背を向けようとした僕を彼女が呼び止めた。
わたしも金髪、やめたほうがいいと思いますか?
さあ。センスがない僕に聞くなよ。
はは、と彼女が笑う。今の笑顔は本物っぽいな。
小さな笑いだったけど、いい笑い声だなと思った。
遠い日の記憶
4歳のとき、家族でパンダを見に行ったらしい。うっすらと記憶がある。
不思議なのは、パンダではなく、家族が列に並んでいる光景が頭に残っていることだ。離れたところからカメラで撮ったみたいな。
僕は父におんぶしてもらっている。その姿をなぜか自分が見ている。幽体離脱で飛び出た魂が、自分の体を見ているような、そんな感じ。
昔のことを思い浮かべるとき、似たようなことが度々ある。なぜか自分を自分が見ている。明らかに客観的な視線で。
自分の中に、もうひとり、知らない自分がいる。なんとなくそう思っている。
もうひとりの自分は、時々、僕の記憶を脳に映すだけ。他に何もしないし、何も言わない。
どうしてそんなことをするのか、若い時はわからなかった。
おそらく、僕にとって大事なものだから忘れるなよ、と気を利かせているのだと今は思っている。
僕は記憶力には自信がある。さすがに4歳の記憶は厳しいが、それでも大体のことは覚えているつもりだ。
もうひとりのおせっかいな僕。
いつか話がしたい。お前が何を考えきたのか。僕という人生がどうだったか。
空を見上げて心に浮かんだこと
空を見上げてみた。田舎の空は大きくて広い。焦点をどこに置くべきか迷うほど。まあこれは生来の優柔不断も一因だろうけど。
もし鳥類学者なら、空の中の鳥に焦点を合わせるんだろう。
気象予報士なら、雲かな。
天文学者なら、さらに飛び越えて星。
さて、僕の焦点はどこがいいかな、なんて考えてると、偶然飛行機が飛んできた。
とりあえず、その飛行機が流れていくのをじっと見た。
梅雨の晴れ間でパイロットはラッキーだったね。
周りに誰もいないのを確認してから、手を振ってみた。見られたら恥ずかしいくらい大きく。まあ、空から見えるはずないんだけどね。
でも、もし、万が一、奇跡的に。飛行機の人たちが気づいてくれたら、なんて思うとちょっぴり胸がはずむ。