終わりにしよう
ほんの少しのはずが、予想以上にやってしまった。終わりにしようと何度も思った。でも気になって続けてしまう。
鏡を見た。
ちょっと整えるつもりが、眉毛が全部なくなってしまった。どうしよう。
と、年上の彼女が言ってきた。
僕は、大爆笑し、
仁義なき戦い出るの?梅宮辰夫的な。 と言ったら、カミソリをタオルで丁寧に拭きながら、
お前のも剃ってやろうか、と聞いたこともない低い声で言われました。とても怖かったです。
で、でもさ、全部剃ったら、自由な形に描けるんでしょ?
それはそうだけど。
じゃあ前向きチャンスととらえてさ。どっちにしろもうないんだから、あれこれ言っててもしょうがないし。
まあ、そうね。どうせ1ヶ月ちょっとで生えるし。
そうそう。前向きにね。
でもメイク買ってこないと。もう使っちゃって無いから。
じゃあ買い物行こ。 と言って僕は野球帽を渡した。
なに?いらないよ帽子。
いやいや。 僕はニヤニヤをできるだけ抑えながら、
美容コーナーに梅宮辰夫が来たら、店員さんが怯えちゃうから。 と言った。
彼女は無言で、棚からおにゅーのカミソリを取り出し、
やっぱりお前のも剃らなきゃな、と悪魔ボイスを漏らした。
結局、彼女は全眉、僕は罰として片眉だけ剃られた状態で買い物に行った。
ふたりともちゃんと帽子を被って行きました。
ああ、僕も眉の描き方勉強しなきゃな。
手を取り合って
打席に入る直前、試合前の会話を思い返していた。
朝、幼馴染が声をかけてきた。ひとつ年下の4年生。
絶対打ってよね。 声には怒りがこもっていた。
なんだよ。どうした。
あいつね、私のこと振ったって言いふらしてるの。ブスを振ってやったって。でもほんとは逆なの。私があいつを振ったの。腹いせに言いふらしてるの。
そうなのか。
うん。だから絶対打って。メッタメタに。
やってみるけど。でもあいつの球、速いからな。今まで打てたことない。
もし打てたら、何でも言うこときいてあげるから。
……何でも?
うん。
わかった。もし打てなかったら?
あんたとも一生口聞いてあげない。
呼吸を整えてバットを構える。晴天の空から、天使と悪魔が手を取り合って、この対決を見ている。
重心を落とし、真っ直ぐあいつを見る。
きれいに整ったフォームから、唸るような速球が飛び込んできた。
僕は自然とみなぎる力を感じながら、全力で大きくバットを振った──。
ごめんって。
話かけるな。バカ。
だってさ、すげー速いんだよあいつの球。あんなの誰も打てねーよ。
知らない。ついてくるな、バカ。
そんな怒んなよ。
スタスタと真っ直ぐ歩いていた彼女のスピードが、ガクッと落ちた。そして小さな声で、
……ブスって言われた。すっごいヤダ。
恐る恐る彼女を見た。なんとなく目が赤くなってる気がした。
気にすんなよ。ブスじゃないから。
……本当に?
うん。
彼女が立ち止まった。そしてなぜか声を上げて泣き出した。
なんで泣くんだよ。泣くなよ。俺のせいだと思われるだろ。
だって。だって。
少しおとなしくはなったが、まだ少しグスッと泣いていた。
どうしたらいいかわからず、それでも何か言わなきゃと思い、僕は無理やり口を開いた。
帰ろう。
うん。 目をこすりながら彼女が答えた。
彼女の手を引こうと思ったが、やめた。なんとなく卑怯な気がして。
優越感、劣等感
日曜日は町のお祭りがある。夏祭りだ。
自宅の隣は県内でも有数の大神宮だ。参道には朝から夜中までずらりと屋台が並ぶ。
子供神輿が町を回ったあと、神主が祭礼用の刀を祀り、皆が頭を下げて祈祷する。少子化のこの時代でも、なかなかの規模の祭りだ。
土曜の午後は部活がある。だから、こんなにも早く帰宅した僕に、はやいね、どうしたの、と母が声をかけてきた。僕は、別に、とだけ言って自転車用のヘルメットと竹刀袋を腕に抱えて洗面所に入った。
顔を洗った。何度も洗った。丁寧に洗いたかったが、手が震えていたので上手くは出来なかった。
鏡を見る。
なんとまあ、醜い顔なのだろう。目は細く頬はニキビだらけ。顎は片方だけ出っ張っていていびつな輪郭。醜貌そのもの。自分の心の醜さは、この見た目のせいに違いない。
だが、それも今日で終り。
子供の頃から、隣の神社は遊び場だ。どこに何があるかも熟知していた。
もちろん、祭事の刀の保管場所も。
持ってきたヘルメットに手を伸ばす。ぐっと力を込めて中身を引き出す。
眉目秀麗。学校いちの人気者。絵に描いたような優等生。その頭部。
血で汚れた彼の顔を水で洗う。タオルで拭いたあとじっと見てみた。
美しい。間違いなくイケメンだ。こんな顔で生きていけたらどんなにか幸せだろう。明日のお祭りも、今までで1番楽しいだろうな。
僕はワクワクしながら、竹刀袋から血まみれの刀を取り出し、自分の首にあてた。
さっさと取り替えよう。コンナ顔。今日から僕はイケメンだ。
力を込めて一気に振り切る。
頭は……。彼の頭はどこだ。早くくっつけないと。手探りで必死に手を伸ばす。
あ、これかな。手にあたったものを確かめる。
よし、これだ。この美しい顔。新しい僕の顔だ。
あ、あれ?自分で自分の顔って見えるんだっけ?
そんなことを思いながら、静かに目を閉じた。
これまでずっと
新しい靴を履いた年上の彼女と街を歩く。
映画を見たあと喫茶店でコーヒーを飲んだ。
店を出たのは4時半頃。スーパーで買い物して帰ろう、という流れ。
ごめん、ちょっと待って。 彼女が言う。
なに、どうした?
ちょっと靴擦れ。かかと痛い。
大丈夫?おんぶしてあげようか?
やめてよ、大げさな。そこまでじゃない。でもちょっとだけゆっくり歩いて。
わかった。
言葉通り、ゆっくり歩く。後ろから来た人に次々と追い越されていく。なかには、このふたりはなんでダラダラしてるの、というような顔をして行くおばさんもいた。
ごめんね。
いや、全然。急ぐ理由もないし。真っ直ぐ帰る?スーパー寄らずに。
だから大丈夫だって。
そう言ってまたノロノロ歩きを続ける。
ゆっくりだ。実にゆっくり。イライラしてると言いたいわけじゃない。ゆっくりだなぁと思った。ただ、それだけ。
ん?あれ?
あのさ、僕、歩くの早い?
んん、うん。まあ、ちょっと。
いつも?今までずっと?
んん、まあそうね。
なんだよ、言ってくれればいいのに。
大丈夫。 彼女が笑顔で言う。
そういうのは私がちゃんと合わせてあげるから。でも今日だけはごめんね。
うぅ。そうだったのか。気づかなかった。これは彼氏としてあるまじきことだったな。
いつもありがとうございます。
1件のLINE
小指のささくれのような。
無視してもいいが、そうもいかない面倒な存在。
LINEをほぼ使わない僕には、その通知はだいたいストレス。
たまに会話を続けたがる人がいる。こちらに悪印象を持ってはいないだろうから、まあやむ無し、と付き合う。疲れるけど。
便利なんだろうけど、社会に押し付けられた感を抱いている僕には、少々厄介な機能だ。
風呂上がり。通知に気づいてスマホを手に取る。
この瞬間。
何かいい知らせが来てるかも、と毎回、淡い期待を仄かに抱いている自分に気づく。
そんな自分がたまらなく嫌いだ。他人に何かをすがっているような、自分の情けなさを再確認させられる気がして。
……そっか。
よく考えれば、受け取るばかりで自分から送ること、ほとんどなかったな。
誰かにいい知らせ、楽しい話を送ろうなんて考えてもいなかった。
まずはこっちからだね。
こちらから始まる1件のLINE。
ちょっと頑張ってみようかな。