目が覚めると
前日のサークルの飲み会のせいで、大学には午後から行く羽目になった。頭が痛い。
加えて、年老いた名誉教授が念仏のようにつぶやいている。
必然、僕は夢の中へ。
目が覚めた。時計をみると、20分程寝ていたらしい。まだまだ念仏は続いている。起き上がると頭に加えて首にも痛みが増えた。やれやれ。
目が覚めてしまってはしょうがない。とりあえず広げていたノートに焦点を当てる。
あれ?なんだこれは。
左右見開きページを、鉛筆で書かれた右向きの矢印が横断している。自然と矢印を視線で辿る僕。
並んだ矢印は右のページを越えると、長テーブルの上にも続いていた。ぼんやりした頭でその先を追う。
空席上の矢印を越え、視線が終点にたどり着く。
2つ隣の席の女子が小さく手を振る。待ってましたとばかりに、自分のノートをめくって笑顔でこちらに見せた。
おはよう よだれついてるよ
そこにはそう書かれていた。
僕は慌てて口を拭った。彼女も飲み会に参加していたはずだが、僕よりはアルコール耐性があるみたいだ。
まだ数回しか話したことなかった僕に、なんでこんなことできるんだ、と思った。
でも悪い気はしなかった。
私の当たり前
僕も一個の矮小な人間なので、人波に溶けざるを得ないこともある。でも心のなかでは、絶対に譲らないと当たり前に思っていることもある。
iPhoneよりもAndroid
ホームズよりもポアロ
金田一少年よりも金田一耕助
巨人よりもヤクルト
フジよりもTBS
ステーキよりもハンバーグ
お中元はそうめんよりもサラダ油
お歳暮はハムよりもサラダ油
犬よりも猫(にゃあ♡)
異世界よりもZガンダム
Adoよりも佐野元春
すみませんよりもありがとう
ナポレオンよりもアレクサンダー大王
小池百合子よりもドクター中松
コーヒーよりもココア
夢よりも花
花よりも恋
恋よりも君
僕の中の当たり前。外因がどんなに強くとも、心の芯は何者にも侵されない。侵されてなるものか。
街の明かり
片翼に穴が空いている黒の悪魔が、上機嫌で街を浮遊している。その異形に似つかわしくない、やさしいメロディーを口ずさみながら。
今日の歌は、堺正章の『街の灯り』らしい。
街の灯りちらちら あれは何をささやく
愛が一つめばえそうな 胸がはずむ時よ
お気に入りのフレーズに差し掛かったとき、1軒の家を指差す。すると灯っていた灯りがすっと消えた。
また最初から歌い出し、別のところへ飛んでいく。
歌いながら、懐からメモを取り出し確認する。
ああ、あそこだな。
また、ある家に近づく。例のフレーズになると同時に指を差し、灯りをすっと消した。
この家も喧嘩ばっかり。愛がないなら灯りもいらんだろ。
また別のところへ飛んでいく。
最後はあそこだな。
ひと際大きな家に近づく。例によってあのフレーズの時に指を差し、その豪邸のすべての灯りを消した。
悪いことして金を稼ぐやつに愛はいらん。だから灯りはいらんだろ。
ククッ、と満足気に笑う。
ここには明日も明後日もくるからな。
そう言って月の光を避けながら飛んでいき、闇に溶けて消え去った。
七夕
7月7日。1年に1度、織姫と彦星が出会える日。まぁ。なんてロマンチック。
これ、子供の頃ね。
そもそもなんで離れ離れなの?と思って調べてみたら、ふたりはラブラブ過ぎて、仕事サボりまくったんだって。それで天帝が怒って引き離した。でもまあ、1年に1度くらいは、っていうのが七夕の日。
これをさ、大人は子ども達にきちんと教えるべきだよね。ロマンチックだね、で終わるんじゃなくてさ。仕事は大切だよ、とかさ。好きなことばっかりじゃだめだよ、とか。
人は美しいもの、自分に都合がよいものばかりを見たがる。日本人は特にそうなんじゃないかな。そんな人たちが、年に1度のロマンスにだけ光を当てて、それ以外から目を背ける。
そうやって築き上げられた社会。いやはや、現世とは蜃気楼の如く、美しき虚構なり、か。
うーむ。
なんだかジジくさいな。僕も大人になってしまったなあ。
ええっと短冊、短冊っと。
お星さまへ
次の誕生日までに、ピーマンを食べられるようになりますように。
友だちの思い出
時計屋を継いだ友人。販売よりも製作がメインでその道を選んだ。
僕が上京するとき、餞別だと言って1本の腕時計をくれた。彼のオリジナルだった。
機械式だ。メンテが必要だから、もってこい。 それだけ言って無作法に渡された。たまには帰ってこいよ、ということだ。
僕は、うん、と頷いた。
それがこれなんだ。 引き出しから出して年上の彼女に見せた。
ふぅん。初めて見た。もうしてないの?
それがさ、最初の1ヶ月で2時間もズレるようになってさ。さすがに使えなかったよ。継いだといっても、まだ駆け出しだったからね。
本人には言ったの?
うん。
それで?
やっぱり本格的にやんなきゃなってことで、スイスに留学した。
今は。
今も。だからこの前言ってやったんだ。たまには帰ってこいよって。
へえ。もしかしてさ、あなたが腕時計しないのって、友だちがそれを直してくれるのを待ってるから?
まあ、そういうことになるね。
ふぅん。なかなかいい話じゃん。 彼女が笑顔で言う。
実はね、次の誕生日プレゼント、スマートウォッチあげようと思ってたんだけど、そういう事情なら要らないね。
……要る。
どうして。
だって要るから。というか、スマートウォッチしたことないから楽しそう。音楽聞けるし心拍数も測れるらしいし。
でもその腕、もう予約があるんでしょ。
腕はもう1本あります。
両腕にするの?本田みたいに?
うん。
両腕に腕時計して私と街を歩くの?
うん。
レストランも?
うん。
んん、と目を閉じて彼女が考える。
とりあえず、1回だけ。試しに。
1回だけってどういうこと?
彼女が笑顔を向けた。
手をつないで歩いて、心拍数が上がったら許す。
……上がらなかったら。
私に飽きたと見なす。 笑顔だ。いま、彼女はなぜか笑顔なのだ。
ええっと。もし買ってくれたらさ、保証書ちゃんと取っておかないとね。スマートだろうがなんだろうが、所詮機械だから。数値がおかしかったら故障かもしれないし。あ、そういえば初期不良も多いって聞いたことあるよ。まあそもそも、あんなちっちゃいと、正確に測れるか不安だよね。大丈夫かな、あんなちっちゃい機械で。
……慌てすぎ。
ごめんなさい。