イオリ

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友だちの思い出

 時計屋を継いだ友人。販売よりも製作がメインでその道を選んだ。

 僕が上京するとき、餞別だと言って1本の腕時計をくれた。彼のオリジナルだった。

 機械式だ。メンテが必要だから、もってこい。 それだけ言って無作法に渡された。たまには帰ってこいよ、ということだ。

 僕は、うん、と頷いた。

 
 それがこれなんだ。 引き出しから出して年上の彼女に見せた。

 ふぅん。初めて見た。もうしてないの?

 それがさ、最初の1ヶ月で2時間もズレるようになってさ。さすがに使えなかったよ。継いだといっても、まだ駆け出しだったからね。

 本人には言ったの?

 うん。

 それで?

 やっぱり本格的にやんなきゃなってことで、スイスに留学した。

 今は。

 今も。だからこの前言ってやったんだ。たまには帰ってこいよって。

 へえ。もしかしてさ、あなたが腕時計しないのって、友だちがそれを直してくれるのを待ってるから?

 まあ、そういうことになるね。

 ふぅん。なかなかいい話じゃん。 彼女が笑顔で言う。

 実はね、次の誕生日プレゼント、スマートウォッチあげようと思ってたんだけど、そういう事情なら要らないね。

 ……要る。

 どうして。

 だって要るから。というか、スマートウォッチしたことないから楽しそう。音楽聞けるし心拍数も測れるらしいし。

 でもその腕、もう予約があるんでしょ。

 腕はもう1本あります。

 両腕にするの?本田みたいに?

 うん。

 両腕に腕時計して私と街を歩くの?

 うん。

 レストランも?

 うん。

 んん、と目を閉じて彼女が考える。

 とりあえず、1回だけ。試しに。

 1回だけってどういうこと?

 彼女が笑顔を向けた。

 手をつないで歩いて、心拍数が上がったら許す。

 ……上がらなかったら。

 私に飽きたと見なす。 笑顔だ。いま、彼女はなぜか笑顔なのだ。

 ええっと。もし買ってくれたらさ、保証書ちゃんと取っておかないとね。スマートだろうがなんだろうが、所詮機械だから。数値がおかしかったら故障かもしれないし。あ、そういえば初期不良も多いって聞いたことあるよ。まあそもそも、あんなちっちゃいと、正確に測れるか不安だよね。大丈夫かな、あんなちっちゃい機械で。

 ……慌てすぎ。

 ごめんなさい。
 

 

7/6/2024, 10:33:35 PM