イオリ

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今一番欲しいもの

 休日の自宅にて。

 あのぅ、と恐る恐る年上の彼女の横顔に声をかけた。

 ……なに。  うわっ。まさに。まさにこれが棘のある声というやつだ。

 まだ怒ってる?

 ……別に。怒ってません。

 ……怒ってるじゃん。

 彼女が、キッとこちらを向く。

 だって。私はあなたの母親じゃないの。くつ下も脱ぎっぱなし。お皿もそのまま。テーブルにペットボトルいくつ置きっぱなしにするの?今日、わたしが来るのわかってたよね。わたしがやるの?そうなの?最近ちょっと、気を抜き過ぎなんじゃない?待ち合わせも寝坊するし。

 だからごめんって。今から全部やるから。許して。

 ヤダ。今日はもうしゃべりたくない。

 そういうと、彼女は無言で片付けを始めた。慌てて僕も倍のスピードで動き出す。

 
 どうしよ。困ったな。ほんとに怒らせちゃったかな。うーむ。

 でもちょっと怒り過ぎな気もする。だっていつもよりほんの少し、散らかってるだけだから。もしかしてほんとは怒ってなくて、僕をからかってるという可能性もあるのでは……。

 よし、確認しよう。

 実は、僕は彼女が本心を隠す時の癖を知っているのだ。話しながら左に視線を向け、右耳に髪をかける仕草。この時100%、彼女は欺いている。

 ちなみに、僕がこの癖を知っているということを彼女には教えていない。フフッ。

 ではでは。さっそく調査開始だ。

 あの、ほんとごめんね。

 ……。(反応なし)

 今度からちゃんとやるから。

 わかった。もう怒ってないから。もういいから。(反応なし)

 晩ごはん、カレーにしよう。好きだよねカレー。シーフードカレー。

 嫌い。(反応なし)

 あ、ワイン飲む?買ってこようか?

 いらない。(反応なし)

 デザートは?アイス食べる?

 いらない。(反応なし)

 ……怒ってる?

 だから全っ然、怒ってないって言ってるじゃん、全く。(反応なし)


 ……無い。今一番欲しい反応が……。

 これは、決定的に、本格的に、破滅的にまずいのでは。

 僕は全身の血が冷めていくのを感じた。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。



 



 みたいな感じで、今、彼の頭の中はパニックになっているはず。

 全然怒ってないけど、大人なんだから、掃除ぐらいは自分でちゃんとやらなきゃね。たまにはこのくらい叱ってあげないと。

 ちなみに、彼が私の癖を知っている、と思い込んでいることを私は知っています。

 そんな癖、本当はありませんよ。


 
 

7/21/2024, 12:47:04 PM