無垢
いま話題といえば、都知事選、裏金、あたりだろうか。
テレビでもネットでも、今では誰もが政治家を批判している。この人は誰だろう、という若い芸能人も、平然と大物政治家を名指しして責め立てているのだ。僕が子供の頃では考えられない光景だ。
おそらく、としか言えないが、裏での政治家からの圧力は今とは比べ物にならなかった筈だ。政界に諫言できる芸能人は、ごく限られた人のみだった。出始めの芸人やグラビアアイドルが、彼らの批判を口にするなど考えられない時代だった。
だめだ、という話ではなく、そうあるべきと、もちろん思っている。ただ、そうあるべき状態になるまで、つまり誰もが自由に発言して良い、という社会になるまでに、多くの先達が苦労を重ねてきた、という事実を忘れてはならないと思っている。
インターネットの登場で、個人の発言力は確実に強くなった。だが、ネットがあればそれだけで個人の権利が守られる社会になるわけではない。現に彼の大国では、著名人の失踪事件は毎年発生している。道具だけではなく、人間の方もアップデートしていかなくてはならない。
僕ら世代から見ると、ネット社会に生まれた世代は、生まれた時から個人の発言力はすでに強い。だから、弱い状態から強くなった、という部分に関して無垢に見えることがある。強いのが当たり前だと、軽い気持ちでなんでも言っていいのだと。
繰り返すが、なんでも言っていいのだ。社会はそうあるべきなのだ。ただ、なんでも言っていい、しか知らないのと、これは言って良いがこれは言ってはいけない、を意識しておくのとでは、言葉の覚悟に差が出るように思う。一見、まともな政治批判をしているようで、中身が薄っぺらい発言がよく見られるのはその辺りが理由かもしれない。
楽しい言葉や嬉しい言葉は、いい加減な覚悟で発しても、悪いことはあまりないかもしれない。けど、批判的な言葉は誰かを傷つけることがあるかもしれない。
影響力の強い人、特に若い人が、僕が思う「無垢」さ故に、誰かを傷つけることが無ければいいなと思っています。
終わりなき旅
お玉に玉子をのせて、落とさないように歩く。
朝。
片手にお玉、片手に掃除機。一階、二階を慎重に歩く。
掃除が終わったらお出かけ。お玉を持って。
駅の改札を抜け満員電車へ。ガタンゴトン、ガタンゴトン。玉子はまだ落ちない。
駅からタクシーで空港へ。エコノミーで隣の乗客と肘置きの奪い合い。静かなバトル中、わずかに揺れるも、玉子は落ちない。
ホテルに荷物をおいて海へ。日本の海よりも高い波を乗りこなす。お玉の中でぐるぐる玉子が回転する。が、依然として落ちず。
一泊して次の目的地、エベレストへ。山頂へ近づくほど、気温が下がる。ブルブル
、ブルブルと、尋常じゃなく手が振るえる。酸素不足のせいか、揺れる玉子が2つにも3つにも見える。頂上に達したとき、玉子は凍ってしまったように見えた。が、依然としてお玉の中。下山して次へ。
フロリダ州ケネディ宇宙センター。お馴染みの宇宙服へ着替えて、スペースシャトルへ乗り込む。打ち上げ時の3G加速にも耐え、いざ宇宙空間へ。無重力で空中遊泳しようとする玉子をお玉で逃さず。一瞬離れたような気もするが、割れていないのでセーフとする。依然としてお玉の中。
地球に帰還した。
玉子が落ちて割れたらその時が旅の終わり、そう決めていたが、まだまだ終わりそうにもない。次はどこへ行こうかな。
と、地図を広げて考えていたら、ヒビがはいっているのに気がついた。どこかでぶつけたかな、と回想していると、どんどんヒビが広がり割れてしまった。
ぴよぴよ、ぴよぴよ。中からひよこが出てきた。
まあ、割れちゃったからしょうがない。今回の旅は終わりにしよう。というか、割れてくれて良かった。このまま終わりなき旅がずっと続いてしまったらどうしようかと、内心ビクビクしていた。
やっぱり旅は終わりがあったほうが良い。次のやることを始められる。
とりあえず、ひよこに餌をやろう。
ひよこって何食べるのかな。
「ごめんね」
新幹線で。
ひとりのおばあちゃんが隣りに座った。発車してすぐ、袋からお弁当を広げた。お寿司だ。
新幹線での食べ物の匂いは時折話題になる。隣の席でまさにそれを実感していた。
そんなことを思っていると、割り箸を割ったおばあちゃんが僕に、
「ごめんね、わたしイクラ苦手だから食べてくれる?」と言ってイクラの軍艦を箸で挟んで渡してきた。
びっくりしたけど、じゃあいただきますと言って食べた。
その後はひと言も会話をすることなく、おばあちゃんはお寿司を完食し、すぐにお昼寝してしまった。
僕は一駅先に下車した。おばあちゃん、寝過ごさないかな、とちょっと心配になったけど、初対面の人にお寿司を一貫だけ食べさせるメンタルの持ち主なら、きっと大丈夫だろうと思いながら改札を出た。
なかなかの印象深い一日だった。
半袖
夏日に。
暑いからくっつかないで、と年上の彼女に言われた。
普通だけど、と返す僕。
今まで通りに接していたつもりだが、半袖になったからだろう。腕と腕が肌で直接触れることが増えた。そのせいだ。
じゃあ手繋いで歩くのは?
ヤダ。
どして。
大人だよ、私達。大人はね、腕を組むの。
じゃあ無理じゃん。
うん。あきらめて。 彼女が少し距離をとって歩く。ちょっと寂しい。
それにしても日差しが強い。街路樹の影がありがたい。まだ5月なのにこの暑さはなんだ。先が思いやられるな。
ん、先?
じゃあさ、梅雨で雨の日にさ、傘が一本しかなかったら?相合い傘でくっつかざるを得ないときは?
んん、と彼女は少し考えて、
許す。と言った。
そうだよね、不可抗力だからしょうがないよね。
でも、相合い傘は歩きづらいから、基本的には別々の傘ね。大人だし。
も、もちろん。あくまでも緊急のときの話だから。
せっかくだから買っていこうか、傘。お洒落なやつ。
今から?
今から。
僕も?
そう。わたしのとあなたのと。2本。
う、うん。わかった。
お洒落な傘っていくらぐらいするのだろう。いつもは、コンビニのビニール傘しか買わないから全くわからない。
できれば安いのでいい。どうせ持って行くつもりはないから。
天国と地獄
無人島に1つだけ何を持っていく?という話は誰もがしたことがあるはず。もし地獄に行くなら何を持っていくべきか。
やはり脱出の道具ということになるのかな。
西洋美術の描く地獄は、明確な拷問だ。悪魔や異形の怪物が、人間をいたぶったり丸飲みにしたりする。あれらを見ると全身全霊で逃げなくては、と思う。
何がいいだろう。天国を目指すなら、スペースシャトルの様な乗り物かな。さすがに蜘蛛の糸じゃ心もとないし。
それとも逆に考えて、脱出ではなく征服を目指す、というのはどうだろうか。マシンガンで悪魔を一掃し、第二の天国を築く。
ただ、そうなると地獄が無くなって、罪人がさまよってしまうか。まいったな。地獄って必要なんだな。
いやまて。そもそもなぜ僕は地獄に行くことが前提になっているのか。はじめから天国に行けばいいじゃないか。よし、天国に行こう。
天国に1つだけ持っていくとしたら。
天国ってどんな毎日なんだろう。みんなが幸せな毎日なんだろうね。みんな笑顔でさ、花も枯れずに、地震も起こらず、事件事故もなく。天使が祝福のラッパを吹いて。告白しても振られないのかな。
……なんとなく、それはそれでつまんなそうだな。
よし。
火を持っていこう。生まれた時に地獄の悪魔から授かった悪意の火種。
胸の中から少しちぎって、天国の住人に気づかれないようそっと投げる。
楽園にスリルをもたらしてやろう。
どうだ、平和ボケした人間ども。慌てふためき、慄くがいい。人を信じず、人を裏切り、人を地獄へ落としてしまえ。仮面を剥ぎ取り己の醜い本性をさらすがいい。それこそが人間だろうが。偽善者どもめ。
……ええっと。僕はやっぱり地獄に行く人間なのかもしれません。心の中の悪意の火種を消す術が見つからない。いつか消せる日が来るのだろうか。