イオリ

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1/17/2024, 10:26:18 PM

木枯らし
 
 よく嘘を言う。すぐ嘘だとばれる無意味な嘘。私をからかうためなのだろうが。

 コーヒー淹れた、と言ってココアだったり、茹でてないのにゆで卵だと言ったり。他愛のない嘘。

 窓が振るえた。木枯らしかな。

 木枯らしは、木の葉を枯らす。

 窓に近づいて、施錠をしっかり確認する。

 この部屋には吹かないで。彼の言の葉、別に枯らさなくてもいい。

1/16/2024, 2:38:52 PM

美しい

 暗雲のなんと厚いことか。朝も夕も、不誠実の報せばかり。悪党が、善人を騙し、殺し、奪う。白昼堂々とだ。人ならざるものが、平然と街を闊歩する。こんなことが許されるのか。

 されど頼りの司法機関も、権力に法外におもねる毎日。小さき市民の叫泣は、虫の羽音の如し。

 ならば我がと、勇ましく起つ者稀にあれど、派閥の波に飲み込まれ、瞬く間に一抹の泡と化す。やれやれここにも光あらず。

 しからば金は如何なるか。いやいやこれこそさにあらず。金は天下の回りもの。我が宿は所詮、一晩の足休め。


 世の中をサラリと口にしてみたが、雲間の光ありやなしや。かてて加えて、暗雲の言、欠片も尽きぬ。例えば……。

 
 ……と、長々と不安ばかりを書き連ねる日々。私だけであろうか。




 













2024年 冬 
 ツェルマット村の山小屋から名峰マッターホルンの輝く雪を見ながら記す

 

1/15/2024, 10:51:26 PM

この世界は
 
 三分間は三分間だ。誰かが頼んだわけでもないだろうが、時計の針はせっせと進む。

 相手は長いリーチを活かした、典型的なアウトボクサーだ。距離の取り方がいかにも、というベテランの試合巧者ぶり。7ラウンドを終えても、今だに懐に入れてもらえなかった。

 一分間のインターバル中に、セコンドが必死に指示を出す。だが、はっきりとは覚えられなかった。覚える必要もない。やることはわかっている。

 ゴングが鳴った。標的に駆け寄る。が、スナップの効いたジャブでこちらを威嚇する。かすっただけで、皮膚が焼けるように感じた。

 頭を振る。もっとだ、もっと速く。作戦などない。彼の拳よりも速く疾走れ。

 二発目のジャブをギリギリまで引きつけてかわす。バランスを崩した相手は、ステップバックで距離を取ろうとした。

 逃さない。疾走れ。速く、速く。
 あんたにも他の誰にとっても、世界は同じ時間の見せ方をするんだろう。けど俺だけは、今の俺だけはちがう。世界の全てを置き去りにして走る。
 
 一気に間合いを詰めた。慌てたショートフックが出てきたが、パワーがない。長い腕が邪魔そうだな。ストレートを振り抜いたあと、そう頭に浮かんだ。
 

 

 

1/14/2024, 10:01:53 PM

どうして

 親に連れられて、妹と共にホームセンターに行った。好きなのを選んで、と言われて、それぞれ一本ずつ手に取った。トマトの苗だ。ちゃんと自分で育てるんだよ、と任された。
 
 二ヶ月経つと、二本ともにきれいな実がなった。早速収穫して食べた。美味しくできたね、と両親は笑顔を見せたが、妹の口数は少なかった。

 次の年もまた、ふたりでトマトを植えた。できた実を食べると、やっぱり妹は静かになった。気付いた母が、声をかけた。
すると、どうしてお兄ちゃんのはこんなに美味しいの、と小さく答えた。

 ズボラな僕は、しょっちゅう水やりをサボっていたが、妹は毎日欠かさずやっていた。今度こそはと、2年目はより多く水やりをしていた。

 残念ながら、トマトにはそんなに水は必要ないらしい。でも、小さな妹にそれを話してもわかってもらえるかどうか。

 来年はサボらずにやろう。たくさんやろう。

1/14/2024, 12:50:48 AM

夢を見てたい

 祖父の部屋では、エアコンやファンヒーターではなく、石油ストーブを使っていた。乗せたヤカンから湯気が出ているのを確認して、僕にココアを淹れてくれたのを覚えている。

 無口なひとだった。テーブルの上に散らばった、小さな板切れや細い棒を長いピンセットで黙々と運ぶ。その作業を口を開かずにとなりで見ていた。

 ボトルシップ、いわゆる帆船模型だ。最初に完成品を見たとき、なぜ瓶の中に船があるのかわからなかった。だから、部品を一つ一つ小さな口を通して、中で接着して組み立てると知った時にはとても驚いた。

 少しあとになって知ったのだが、作り方がいくつかあるそうだ。大きく分けてふたつ。一つは、ある程度瓶の外で組み立てて、中にいれる方法。もう一つは、全て瓶の中で組み立てる方法だ。当然ながら、前者のほうが難易度は低い。が、祖父はそのやり方をとらなかった。

 早く出来上がるやり方をなぜしないのか、僕は訊いた。彼は、ゆっくりでいいんだよ、といった。その時はよくわからなかったが、彼がまた無口な作業に戻ったのを見て、僕も無口な見物に戻った。

 
 

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