ずっとこのまま
気を利かせた部下が、密かに報告してきた。思いも寄らない内容だった。確かめるまで待ってくれと私は頭を下げた。
いつもならカウンター席に並んで飲むのだが、今夜は奥の席に座った。乾杯もせずにお互い飲み始めた。
同期だ。互いの家族も知っている。三十年の間に、衝突も何度かあった。それでもこの店で飲む習慣は、ふたりとも止めなかった。
鞄から書類を出して彼に見せた。察しが付いていたのか、すぐに目を伏せた。それが全ての答えだった。
上には明日言うよ、私がいうと、すまん、彼はそれだけいった。
酒はなかなか進まなかった。グラスが空いたら、明日が近づくような気がして。
できるならこのまま。できるなら。
寒さが身にしみて
鼻を通る空気の冷たさで目が覚めた。部屋は真っ暗。暖房も切れている。
夜中の2時、ぐらいだろうか。軽くストレッチをして寝床を出た。
廊下を歩く。裸足の皮膚に冷気が張り付く。素早く用を足したあと、皿に残った夕飯を軽くつまんだ。
首を伸ばして窓を見た。雲が一つもない。どおりで寒いわけだ。今夜は今までになく冷える。
来たみちをそれて、別の布団を探した。ふたつある。
右の布団に近づく。少し匂う。これは、お酒の匂いか。やめておこう。
左の布団に近づく。汗の匂い。けど嫌じゃない。何故か落ち着く匂い。
小さな隙間を見つけ、そのまま頭から侵入した。向きを変え、先客に背中をくっつけた。伝わる熱を感じながら、爪を舐めた。次に手。足。お腹。おっと尻尾も忘れちゃいけない。
やれやれ。テレビでは暖冬だと言ってたが、やっぱり冬は冬だにゃー。
20歳
息が途切れそうになる。跳ねるたびに、体中の関節が声を上げ始めた。
長い坂だった。何回も走り込んだ馴染のコース。若い時には、すでにラストスパートをかけていた。だが、ここ数回の大会で、それが戦略ではなく若さだと気付いた。競技場に近づくにつれ、増える歓声に踊らされていた。
前方の背中が大きくなってきた。若い背中だ。左右に揺れが見える。
トラック勝負にはさせない。クライマックスの歓声は、20歳の若者に火を入れる。
スパートをかけた。最後の角の手前で並び、外からの右折で一気に追い抜く。背後の気配が遠ざかる。残り50メートルは歩いてもいい。そのつもりで飛ばした。彼の心をここで刈る。
彼は間違ってはいない。そういうものなのだ。そういう走りでいい。
三日月
速度を落として、ひねくれたカーブを下りていく。途中で視界に月が入ったが、すぐに運転に意識を戻した。
料金所を出て、左折した。信号待ちの列に加わる。知らない街だが、さして新鮮味もない風景だった。
家を出たときの母の表情を思い出した。違和感があった気がする。はっきりとは言えないが。そう思うと昨日の父の様子も、どこかよそよそしい様に思えてきた。だが、もし何かがあったとしても、今できることはない。
青に変わった。アクセルを踏む。
月は三日月だった。まだ全ては見えない。
色とりどり
いちいち数えてもいないし、気にもしていない。
いや、そうじゃないな。映っている自分の弱さを知られたくなくて、あえて逸らしているだけだ。
顔を上げろ。今度は僕の瞳の色を見せつける。