雪
雪が白で良かった。もし黒だったらと思うと目を覆いたくなる。
「東海道五十三次 蒲原 夜之雪」。深々と夜の村に降り積もる雪。静岡の蒲原に、豪雪の可能性は低い。だが、村人とその足跡を見ると、物語が確かにあると感じられる。広重が謎で魅了してくる。
浮世絵は和紙だ。絵師は、和紙の肌地で白を見せることがある。つまり、雪の白も月の白も和紙の白なのだ。もし雪が黒だったら……。
いや、北斎も広重も春信も、それでも僕たちを魅了する術を見つけてくれたはず。
君と一緒に
例えるなら、ウォーレス・リードまたはジェームズ・ディーン。直感の正しさに浸りながら、撮影が進む。
最後のメガホンに選んだ、二十歳の青年。恋、暴力、鬱屈。どのシーンも、こちらの声が届かぬ速さで、彼は走った。沸騰する若さを前に、いつの間にか声を掛けるのを止めていた。ただ見とれた。
杖をついて独りで映画館に入った。客入りも良い。終わった後の表情も。
最後に立ち上がり、館を出た。地面を叩く杖の音が、何度も何度も問いかけてくる。
悔いだ。何もしていない。何もしていないじゃないか。彼が自分で光っただけ。
もっといい画が撮れたはず。知識も経験もあったのに。心が手抜きした。
杖を握る手に力がこもる。
隙を作るな。杖先まで感覚を伸ばせ。再び灯ったこの炎で、次こそは彼を燃やし尽くせ。
冬晴れ
気まぐれでメールを書き始めた。普段言えないような言葉で。1年分の想い。
たった1年だが、いざ書き出すと、手が止まらない。最後の日だから、というのもあったからかもしれない。あれもこれもと詰め込む。出来あがった時には、すでに年を越していた。
まとまり無い手紙だが、気恥ずかしさで自分をごまかす。送信前に読み返すと、冒頭ではっとした。
『冬晴れが心地よい師走の候、いかがお過ごしでしょうか……』
冗談の挨拶で始めた、気まぐれの筆。書き直してもかまわないが……。
せっかくだから、もう一年分加えて送ろう。うん、そうする。そうなるといい。
幸せとは
真っ白な紙を折りたたむ。丁寧に、真っ直ぐと。幾度か繰り返したあと、窓を開けた。少しひんやりとした空にそっと投げた。
テイクオフ直後、急下降した。ブロック塀にぶつかりそうになったが、なんとか立て直す。見慣れた家々をすり抜けて、街へ進む。
歩道橋をくぐり、学校の屋上を飛び越えた。しばらくコンクリートの景色を進むと、突如、横風を受けた。ビル風だ。強く厳しい衝撃。何度目かの不自由な風を、翼でコントロールする。駅を通り、街を過ぎた。前方の山を超えると海が見えてくる。
青だ。空も海も。海風に逆らい、洋上に出た。海面に影が見える。イルカの群れだ。こちらを追いかけるように泳いでいる。くるっと旋回で挨拶し、尖った先端を上に向けた。
一直線に速度を上げる。全速力で飛び上がる。あっという間に青を離れた。満月を一周し、太陽の方角へ針路を取る。無重力の海を走る。金星で花火を見て、水星のクリスマスツリーでUターンした。
長い旅路を終え、家に戻ってきた。純白だった機体は、どす黒く変色していた。翼も折れ、全身に亀裂が入っている。
もう飛べない紙飛行機を、ガラスの箱に入れて窓辺に置いた。箱の中は、いつも光で輝いている。
日の出
横向きで目が覚めた時は、出来損ないの睡眠の証だ。ダリの時計のように、全身が柔らかくひん曲がっている感覚。
君には君の都合があるのだろう。誰かのため、何かのため、あるいは理由など何もなく。
どうでもいい。朝日よ、他のなにでもなく、まず僕を照らせ。肌を焼き、骨を溶かし、脳を沸かせ。君はそれだけでいい。そこから先は、僕が主演だ。