春風とともに、ドアを叩く音がした。
トン、トン、トントン。
場所は玄関。木でできているから、軽いノックが音に乗る。
木こりの斧で叩かれたようだった。絵本のなかにだけ存在するおもちゃではない。まるで、本物そっくり。野生のリスでも狩ったのだろうか。だから、中にいた居住者は、身を竦める。
トン、トン。トントン。
不気味なノックは、なかなか不在着信にならなかった。
自分が彫刻になるように、仏に祈った。宗教なんて、身になじまぬ観念。生まれてはじめて教わった、名の知らぬ母からの記憶、入れ知恵。
絶妙な静けさ。ノックのみ響き渡る空間。
誰だ……?
と、異母妹は目線をあげた。手には血糊のついた包丁があり、氷柱のように鋭い。その時ほど、肝に据わった女性というのは、他に漏れないものだろう。
異母妹は血まみれで、異母姉は絶命。
数時間前までかりそめの家族だったものだ。今は、冷たいドライアイスのお世話になっている。細かく切り刻んでやろうとも思ったが、予定がクルッと変わった。
しばらく、音が止んだ。
不幸中の幸い。鍵を掛け、ドアロックをしてから凶行に及んだのだ。しかし、ここからどうすれば良い?
「ねぇ、どうすればいいと思う? ねぇ、ねぇ、ねぇ……」
春風とともに、振り下ろす凶器。
冬風とともに、吹き上げる狂気。
大家を携え、警察がドアを開けるまで、三十分以上も掛かってしまった。
「春香さん! 大丈……くっ、遅かったか!」
どうやら二人は天使になったようだ。玄関より吹いた春風とともに神聖なる羽根が生え、尊い宇宙へ羽ばたく。
「春香ぁ! はるかぁぁ!」
異母姉の名前だけを叫ぶ、母親を残して。
涙に影は出来るのか。
出来ない。だから、読み取るのは難しい。
人は、涙を通して何かを読み取るのではなく、顔を通して読み解くのだろう。あの、白黒の縞模様の、バーコードから、数字の羅列的な暗号資産を、光を当てて読む。
泣き顔のまま、グミを噛み締めるように。口を上げ、歯を見せ、零れ落ちる動機をみせ、おかしみを見せ。
だから、涙は弱々しい武器になる。
つながりを感じ取る、Communication要素の一つ。
春爛漫。
花が咲き乱れる様子の言葉だが、季節柄圧倒的に桜に対して使われるようだ。
「爛」は、爛れると書けるように、湿疹のように赤く、細かい所を表現しているらしい。逆に痛々しいとも読み取れる。
春は、花が咲き乱れて白紙に色を付けるような芸術的タッチ。それが桜並木として敢然と続くのである。風に煽られ、靡き、そしてたなびく。余波の一部が空を舞い、ひらりと剥がれていく桜のトンネル。
七色。
虹の架け橋で使われる定番の色を、まず想像したが、別に何色でもいいんだこれは。
誰かが言った「白って300色あるねん」みたいに、1色を7倍に増やしても良し。
まあでも。
基本的にはグラデーションになると思うんよ。グラデーションに区切り位置はないけど、色が変わったな、という所に境目が生じる。境界線はくすんだ色をしていることが多い。
でも、七色というと、グラデーションでなく境界線があるわけなので、明るげな色を選ぶ理由があると思うのだ。だってアレは、混ざって作り出される色――悲嘆、格差、貧困の色。
くすんだ色は、現在世界の何%を占めているのだろう。くすんだ色を選ぶ理由はない、と思っていた。皮肉にも、地球儀でいう大陸の色はくすんだ色を採用されている。
最も多く使われた色は、「地球は青かった」
温暖化による異常気象で白は青のなかに溶けていても、変わらず言うだろう。地球は青かった。宇宙にいるのだから。宇宙は、黒だから。七色の外側――それが宇宙なのだ。でも、赤だけは特別。太陽、アンタレス、超新星爆発……神さま。
記憶。
一ヶ月くらい前に「記録」という題がでてきたと思う。
記憶と記録。同じ意味合いのようでいて、若干の誤差がある。記憶は人間にだけできて、記録は人間以外でも使えるようにしたものだ。記憶は見えない。記録は記憶を見える化したものも含まれる。
見える化とは、形だ。本来見えないものを見えるようにする。大幅な簡略化。文字、数字、記号。それ故時間。過去現在未来。だいたいこれらは記憶を見える化した形。概念的の形も含まれる。
記憶は、ある種存在不明の無形遺産である。
記憶は見えない故に「憶えている」ことに主眼を置いていて、感情的なものほど頭に残りやすい。トラウマ、恐怖的出来事、象徴的脱皮。あるいは自身の欠点。
自分の欠点ほどよく見えるものはない。長所短所は記憶の積み重ねでできている。過去の積み重ねにより、現在の視点では「自分のこの部分が短所だと思います」と自認することができる。自認できなければ相手に伝えることはできない。だから性自認が問題になっている。
いつまでも自己が見えず、日々の記録のまま、置いてきぼり。人生という名の列車に乗り遅れた。それなら諦めて別の手段を探せばよいが、乗車したら心苦しい。切符を買った記憶が無い。いつどこで誰が……無賃乗車。
いつ降りればよいのか。今か。天候・現在地、あるいは時間、それらを見る余裕すらない。
そうして罪悪感にさいなまれ、窓を開ける。身を乗り出す。乗り出そうとする。助けられる。でも。
人身事故のために懺悔して、自らを刹那的な向こう見ず。ちょっと希望的な路傍の花に憧れて、それで。
記録の積み重ねでは考察はできても、それをフィードバックして改善することは難しい。しかし、記録はある程度ズルができて、例えば四捨五入。数や形を簡略化し、丸くする。
記憶の改ざん、というのが人間の得意とする特徴の一つだ。過ぎゆく現実を過去の形に置き換えるために、視覚的・聴覚的・感情的などの情報に分解する。あとで記憶として思い出せるようにする。
要素を記憶域へ格納し、短期記憶から長期記憶へと移行する際に、頭は思い出す光景を予め定めて、思い通りにする。因果を逆転させる。過去があって未来があるのではなく、未来を見据えて過去を改ざんする。それが記憶。
よく記憶が色褪せていくという表現があるが、元々記憶は褪せていると思う。自分自身が色を付けたのだ。
子供の頃に見た44色の色鉛筆。それを使って、鉛筆画を描いているにすぎない。色のついた芯が削られ紙につく。俎上される。見様見真似です。何を描いてもA評価。子供だから、落書きなほど褒められる。
それで時は未来。
「あなたは過去に何色を使いましたか?」とへたくその絵を見ながら問い質される。それが、人間が作り上げた文化、人間らしい文化なのであります。
そもそも記憶は見にくい醜い。多面的に乱反射。色を付けたら、そのようにしか見えなくなる呪い。