もう二度と、気安く反応しないこと。
売り言葉に買い言葉。
ここではないどこかのサイト。
どうやら学タブの運用年数に応じて、利用者の年齢が小中学生よりになってきている。応援コメントでも何でもない、アンチコメントが届くようになった。
せっかくかいてくれたのだから、一応目を通すのだが、なになに……今年で義務教育を卒業したのだから言っている?――こちらが小学生だと思っているらしい。アタマが終わっているようだ。
上から目線になってしまうのだが、文構造がオカシイ。卒論なら教授に痛めつけられるレベルだ。赤ペンで、ここの助詞がオカシイ。参考文献はどれだ。著作権に違反しないような書き方にしろ。考察の結論がどうだ、など。
どうあがいても中卒。僕にかなうものか。
まったく、たしかにこちらは美大出身。短大みたいなものだ。絵描きのタイムラプス動画を編集したショートを上げている。かっこよく言えばフリーランスだ。
そこまで人気でもないのに、僕にアンチコメントを書いてくれるなんて、なんてアタマの悪いバカなんだろう。きっと人生の選択をミスった低学歴。不登校児、なのかな……という煽りを飲み込む。それで、丁重に頭を下げて、無視した。かえって返すと相手が調子に乗るし、ヒートアップする。同じ土俵には立たない。見なかったふりをする。
現時点で中卒、これからは努力次第だけど、こんなに長い文章を書けて偉いね。そう思いながらコメントブロック。すると見なかったふりができる。
以前は頭に血が上って、感情の揺さぶられる思いのまま返したことがある。頭のなかがかゆくなる感じだ。脳みそは皺くちゃなのに、さらにシワが増えそう。これも一種の雑念なのかもしれない。筆が乗らず、いくつもボツにした。それがのちのち教訓になった。
SNSにて、やれ論破だ、やれ論理破綻だ。などといって茶々を出してくる暇人は多い。見ている分には楽しいが、当事者だと金にならないし、はっきり言って時間の無駄。
相手は僕が返事を書くのだと思ってくれている。だから脳みその軽い子供なのだ。想像力がない。
その間に僕は、パフェでも喰っている時のように、何食わぬ顔をして絵を書くのだ。今日は白鳥のような美しい絵を描くよ。あわわ、コーヒー零しちゃった、どうしよう。白を基調とした鳥は描けないから……結末を予想して――と、想像性も創造性もない一般的なへたくそたちを煽る。空よりも高視点から見下ろした画角の、鷹揚とした鷹を描くさま。
編集したものをネットに上げると、みるみる視聴数がうなぎ上りになった。鰻じゃないよ、鷹だよみんな!
コメント欄が盛り上がって、少なくとも僕は嬉しい。
雲り。
雲が広がって曇り空に。
雲と曇。
同じ意味合いの漢字なのに、後者のほうがなんだか黒っぽい。
どうしてなのかな、と空を見上げたらそりゃそうか。太陽を乗せた雲のほうが、分厚くならなきゃ曇じゃない。
画数が多いだけ。宇宙の先に太陽がある。
そんなことを言っているから感性がつかないのだ。
ほら、あの曇り空を、亀の甲羅のように想像したまえ。
分厚く、濃緑色の曇り空のほうが、湿度が高くてカビが生えやすそうじゃないか。甲羅の溝のように、規則性が見えるようで見えない光の亀裂で、しきりに雲の中で仕切りを作り出そうとしている。その前兆が、あれらの色味なのだ。
きっと天上で誰かが亀を飼っているのだろう。この地帯を覆い尽くす程にでかい亀さんだ。
怖がらないで。家の中へ入ってごらん。
一日くらい、かめ様に明け渡しなさいな。甲羅干しをしたら、神社の池の中に返ってくれる。その時には薄い雲りになって、太陽が出てくるようになるだろう。
bye bye…
ニュースを見ていたら、関東準大手の新京成線の名称が来月から無くなるらしい。正確に言えば京成グループの一部となる吸収合併なのだが、駅ナンバリングや駅名簿が張り替えられ、テーマカラーが一新される。駅の雰囲気が変わらないようで変わるようだ。
路線名は京成松戸線。
新京成って京成の仲間でしょ、と思っていたので、これはこれでいいかなって思ったが、地元民は突然のことで戸惑っているだろう。
別路線の路線図も残さず張り替えられる。新京成という名をこの世から無くそうと躍起になっている。結構大ごとのようだ。地元民の一部撮り鉄は、ブログにて新京成の名前が取り去っていくさまを、写真と文章で克明に残していく。過渡期、そう言っていた。
テーマカラーはジェントルピンクと呼ぶらしいが、それからブルーになる。
車体のピンク塗装もブルーカラーになる予定だ。すべての車体を来月一日から、とはならなそうだが、徐々に塗装工事を施して、一本ずつ無くしていくのだろう。
鉄道むすめというのがあって、新京成にはピンク髪の女の子キャラが駅員服で勤めている、という設定があるようだが、これはどのようになるのだろう?
京成に移るのか。でも、新京成のマスコットキャラは卒業するらしいから……。
悲しいお題だ、書いていて思ったけど。卒業式とかけているのだとは言え。電車の広告で、
「卒業は終わりじゃない。新たな始まりだ」
とキャッチコピーで謳っていた。卒業式で貰う筒を持って、卒業生たちが集まって、集合写真の被写体となっている。キャッチコピーのように思っているのは、手前側の人間だけではないか。奥の人ほど小さくなる。これも過渡期……懊悩とした。
君と見た景色は、お生憎様、世情に恵まれませんでしたね。
不要不急、不要不急、不要不急……。これが常套句となっていた、コロナ禍のお付き合いでした。
緊急事態宣言が初めて出たのが四月。最初は首都圏と一部都道府県のみだったのが、全国に広がっていって、五月上旬までの予定……かと思ったら、延長に次ぐ延長。
うがい手洗い・マスク。そのマスクが、アベノマスクと揶揄されて、「アベノマスクは、まだこないのか」とLINEで雑談した日々。
星野源の「うちで踊ろう」に合わせて、首相がお茶を飲んだり、テレビを見てくつろぐ姿を撮影した動画がアップされ、炎上した日々。まだTwitterと呼ばれていた日々、タイムラインは怒りと嘆きに溢れていて、コロナによる失職と減給の沈み込みが垣間見えたネット。
消毒、換気、手洗い、加湿。……密。
あの頃はお互い神経を使いましたね。
私は2.5回、コロナになりました。0.5の部分は、疑陽性みたいなものです。医療崩壊があった頃に罹りまして。とこもかしこも予約電話がつながらず……。ああ、脱線。失礼しました。
ともかく、これからは、どこかへ行きましょう。
どことは明確に決まっていないけど、生きましょう。
それだけは決まっています。
手を繋いで。
ついこの間まで、世界は一つの輪になるように手を繋いで「へいわー」と言っていたと思う。
多様性とか、包括的とか、DEIとか。
けど、昨今のトランプの戦況を見てみるに、せっかく手を繋いだのに、それをちょん切っているようだ。
手を繋ぐまでは協力的だったけど、繋いだままとなると話は別。ずっと握りしめると手に汗握る。汗をかきっぱなしだと汗臭くなる。不愉快。でもみんな、そのことを隠したまま、顔に笑みの仮面をつけて、ニコニコ。
それが無理が祟った。なかなかのエリート層はそのほうが良いと思っている。けど、国連加盟国全員がそう思っていたわけではない。
こちらはこちらでやりますから、あとのことは知りませんと。
アメリカの方針転換に対して「むっ」となるのは致し方ない。そういえば、GHQだってそんなことをやっていたではないか。日本占領中に財閥解体をしようとしたのに、朝鮮戦争が勃発したので方針転換。通称逆ルート。
4年後、また大統領が代われば、「なかまー」ってなるのかな。そうはならないだろうと思うのだが……。
経済制裁、したままだよね?