22時17分

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3/5/2025, 9:41:18 AM

約束の薬草を焼くそうだ。
村長が言うには、これで約束を破ったことになるそうだ。
「すまんな、英雄よ。村を、守るためには、こうするしか……」
そうして薬草に火を灯そうとした。しかし、それは燃えることを知らない。
村長はガクリと膝から崩れた。
「約束を破ることができないのなら……」
自害しようと首を掻っ切った。草だけ残され、雑草と混じった。

そのような理由により、約束の薬草は赤い色をしていた。明治時代の廃仏毀釈政策で廃寺となり、約束の詳細は敷地内を泥棒に荒らされ散逸してしまった。

末裔であるが、約束の者が訪れた。
この時代、出迎えてくれるものはいない。それでも良い。好都合だ。この到来を待っていたのかもしれない。
どこか日本風で、スラリと髪の長い彼女だった。
しゃがんで、植木鉢に約束の薬草を移し替えて、それから持ち帰った。
彼女は薬屋であった。薬屋に化けた化け狐。依然村長に助けられた女狐の子孫であった。

3/4/2025, 9:54:27 AM

ひらり、ほらりと白いもの。
シャーベット? ダイヤモンドダスト?
それとも天使の涙?
どのように例えよう、粉のように小さき雪を。
天寧の空に手を伸ばす王女。
この上ない喜びの表情で、久しぶりに見る天然を掴もうとする。軽い、軽い、掴もうとしても、彼らはひらりと身を躱す。

掴もうとするから取れないんだ。
王女は自分の手を制止して静止させた。
ひらり、ほらりと白いもの。
風に飛ばされた婉曲的恋愛の軌跡。
妖精のように、自由の翼で彼女の手のひらへ。
着地した。それをそっと、口の近くに持ってきて、ふぅっと吐息を投げかけた。
小さな小さな氷の粒は、溶けることなくそのままでいた。
どうやら雪ではない。たぶん、花粉。
彼女は花粉症。この城も花粉症。この先も世界は、宇宙は、ずっと花粉症。

――この花粉はどこから来たのかしら?

たぶん、いや、おそらく。
彼女の心の中は本音を炒めた。
この城の主である王子は、ずっと前からいない。
王女は魔族の王女であった。心の中のように、ずっと前から平和を標榜として、孤閨をかこっていた。
だからずっと花粉症なのだ。
鼻水が目から出てしまって仕方がない。

3/3/2025, 10:03:57 AM

「誰かしら?」
ピアノのメロディに釣られて、古風な問いかけをした。
見た目はグランドピアノっぽい。でも、本場と比べたら音が軽いので、電子ピアノの亜種ではないか、と思う。

いつもならなんてことのない、通勤駅――Y駅。
しかし、いつからか、あれは数年前だったな……。駅構内にピアノが置かれた。
駅ピアノ、ストリートピアノ、誰でもピアノ。
呼び方は定まっていないが、自由に呼んでも良い、ということでもないようだ。
最初の頃は設置期間は無制限だったのだろう。でも、いつの日か撤去された。こういう時、SNSとYouTubeは相性が悪い。一つだけでも厄介なのに、相乗効果だともっと酷い。独占されると耳をふさぎたくなる。
ピアノが弾けるという承認欲求丸出しのチャラいYouTuberが、何時間でも弾いていてウザかった。誰でもピアノは独占されていた。無料で聴けるから、演奏者は何でもやって良いのだ。そんなナチュラルに見下されたのが嫌だと思った。
そういうのは、売れないストリートギタリストくらいのランクの低さが良いのだよ。いいかい。こういうのはね。小銭専用の投げ銭入れを地面において、チャリンチャリンと。
そういう奴なら僕は許せる。だからピアノが撤去されたのだよ。

今回ばかりもそれと同じ。
通り過ぎようとする人物による軽蔑の一瞥。それが僕だ。今は帰宅するのに手一杯。
しかし、一瞥の目は、予想を裏切られたみたいだ。
少なくともイカしたビアノ系YouTuberではない、ようだった。YouTuberなら、近くに撮影用カメラやスマホを設置するだろう。物言わぬ指揮者役の三脚にスマホ。ピアノ演奏を動画にしなきゃ、ネットの海を回遊できない。そういう肉食魚だ。
だが、どうやら「彼」は身一つだった。ふらりとやってきて、弾いている。日常生活は昼間に溶けていて、夜は寝る。イスの横にはビジネス用のカバンが置かれてあって、暗い黄土色の冬用コートを羽織っていながらの、ぎこちない演奏。
僕に音楽の知識はない。どこかで聴いたことのある曲を弾いている。たしか都内のストリートで聞いた。立ち止まりたくなる。
時折0.5秒ほど、つっかえてしまう部分があるが、それが本来のストリートピアノなのだ。

ホームにいかず、尿意を催したと理由を拵え、トイレへ行った。戻って来ると、ちょうど終わりかけのメロディだった。ホームに続く、階段を下りる途中で演奏者の手を止めた。僕は、背中で聞いたが、パチパチパチ……と、数人程度の拍手が湧いた。
どうやら投げ銭入れがないから階段まで感謝の音が零れたらしい。

3/1/2025, 12:47:35 PM

芽吹きのとき。

おい、自覚してっか?
あと2カ月経ったら、「夏」が来るんだぞ!

3/1/2025, 9:06:50 AM

あの日の温もり

電車に乗って帰路についていた。
始発駅からの乗車だったので、すみっコの席ですみっコぐらし。目の前は優先席、隣は車椅子専用の空間。つまり、この席は2人掛け用だ。ボックス席ではないのに不自由を強いられている。

学生が隣に座った。これで埋まった。他の席も空いてるのにな。みたいな感じになる。学ランか、と見やっていたら、彼は卒業生らしい。3月◯日に卒業するのか今は、となった。
新品の卒アルをカバンから取り出して、膝に置いた。新品同然のアルバムカバー。ちょっと膨らませて、指先を入れて中身のアルバムを掴んで外へ。薄いエメラルドグリーンの表紙・背表紙・裏表紙。
電車内で見るとはいい度胸だ。こっそり見よ、ってなった読書中の僕は、盗み見できる視点で隣をチラリ。
アルバムを傾けて、ページが露わとなる。裏表紙が表だった。真っ白の余白のページ。それを彼は真っ先に見た。
寄せ書きのページだった。黒マジックペンで文字が敷き詰められている、というよりか、少し余裕のあるメッセージだった。それでも十五人くらいはあるだろう。見開き二ページを使っていた。
メッセージはなんてことはない。3年間ありがとう。ドイツ語マスターしてね……。
む、コイツ、ドイツ語学んどんのか!
などと密かに目を見張る。

そのページをじっくりと見ていた。
2〜3分のような一分だった。高校生の集中とは、このような真剣なものだったのだろうか。
寄せ書きの中には上下逆の文字もある。あるなー、これ。アルバムが机に張り付いているような感じで、誰かが上から書いたんだろう。あるいは、進行形で書いている人とは反対で、同時進行形となったのだ。
真ん中にはサインのような行書。ミミズを通り越してヘビだ。走り書きみたいな、わざととぐろを巻いて書かれている。
個性が表れていた。
まだアルバムが真っさらだった時に書かれたのか、ひどくスペースを使った「ま さ よ」の文字。
それに付随する「きゃ ん と」。
前者は名前だろうが後者は何だ。意味が分からない。いや、意味なんて要らない。卒業日に書かれた事が大事なんだと。

それで見知らぬ卒業生の彼は、左手の、分厚いものを掴んでいたそれを、ヘラリ、チラリとページ落下させていく。意図せずページが開いたみたいに、何十ページが飛ばされて、証明写真ゾーンに切り替わった。
この辺は僕の時代と変わらない。3センチ4センチの大きさの、青背景の写真。笑っていたかどうかはわからない。制服を着て、生徒名の上に首から上の人物が載っている。何組あるのか知らないがきっと自分のクラスを見ていると仮定する。
それで、本来のアルバムを見る流れとなった。証明写真ゾーンを抜けて、クラス写真があった。

視点を所有者の顔へ上げてみて気づいた。
耳にワイヤレスイヤホンをはめていた。どこかにある電子機器から受信した音楽を聴きながら、卒業アルバムを眺めていた。
それで、アルバムを閉じ、入れづらいだろうアルバムカバーに入れようとするのを若干手間取っていて、入れて、カバンに入れた。
スマホを取り出した。TikTok。
左手は電車の手すりから外に放り出して、右手でスマホの表面をはじく。

こんな文章を書いているが、圧倒的にスマホをいじっている時間のほうが長かった。
イヤホンを耳にはめている時から気づけばよかった。現代ってそうだった。紐がないから耳栓代わりかな――なんて、一縷の望みにかけていたのかも。

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