あの日の温もり
電車に乗って帰路についていた。
始発駅からの乗車だったので、すみっコの席ですみっコぐらし。目の前は優先席、隣は車椅子専用の空間。つまり、この席は2人掛け用だ。ボックス席ではないのに不自由を強いられている。
学生が隣に座った。これで埋まった。他の席も空いてるのにな。みたいな感じになる。学ランか、と見やっていたら、彼は卒業生らしい。3月◯日に卒業するのか今は、となった。
新品の卒アルをカバンから取り出して、膝に置いた。新品同然のアルバムカバー。ちょっと膨らませて、指先を入れて中身のアルバムを掴んで外へ。薄いエメラルドグリーンの表紙・背表紙・裏表紙。
電車内で見るとはいい度胸だ。こっそり見よ、ってなった読書中の僕は、盗み見できる視点で隣をチラリ。
アルバムを傾けて、ページが露わとなる。裏表紙が表だった。真っ白の余白のページ。それを彼は真っ先に見た。
寄せ書きのページだった。黒マジックペンで文字が敷き詰められている、というよりか、少し余裕のあるメッセージだった。それでも十五人くらいはあるだろう。見開き二ページを使っていた。
メッセージはなんてことはない。3年間ありがとう。ドイツ語マスターしてね……。
む、コイツ、ドイツ語学んどんのか!
などと密かに目を見張る。
そのページをじっくりと見ていた。
2〜3分のような一分だった。高校生の集中とは、このような真剣なものだったのだろうか。
寄せ書きの中には上下逆の文字もある。あるなー、これ。アルバムが机に張り付いているような感じで、誰かが上から書いたんだろう。あるいは、進行形で書いている人とは反対で、同時進行形となったのだ。
真ん中にはサインのような行書。ミミズを通り越してヘビだ。走り書きみたいな、わざととぐろを巻いて書かれている。
個性が表れていた。
まだアルバムが真っさらだった時に書かれたのか、ひどくスペースを使った「ま さ よ」の文字。
それに付随する「きゃ ん と」。
前者は名前だろうが後者は何だ。意味が分からない。いや、意味なんて要らない。卒業日に書かれた事が大事なんだと。
それで見知らぬ卒業生の彼は、左手の、分厚いものを掴んでいたそれを、ヘラリ、チラリとページ落下させていく。意図せずページが開いたみたいに、何十ページが飛ばされて、証明写真ゾーンに切り替わった。
この辺は僕の時代と変わらない。3センチ4センチの大きさの、青背景の写真。笑っていたかどうかはわからない。制服を着て、生徒名の上に首から上の人物が載っている。何組あるのか知らないがきっと自分のクラスを見ていると仮定する。
それで、本来のアルバムを見る流れとなった。証明写真ゾーンを抜けて、クラス写真があった。
視点を所有者の顔へ上げてみて気づいた。
耳にワイヤレスイヤホンをはめていた。どこかにある電子機器から受信した音楽を聴きながら、卒業アルバムを眺めていた。
それで、アルバムを閉じ、入れづらいだろうアルバムカバーに入れようとするのを若干手間取っていて、入れて、カバンに入れた。
スマホを取り出した。TikTok。
左手は電車の手すりから外に放り出して、右手でスマホの表面をはじく。
こんな文章を書いているが、圧倒的にスマホをいじっている時間のほうが長かった。
イヤホンを耳にはめている時から気づけばよかった。現代ってそうだった。紐がないから耳栓代わりかな――なんて、一縷の望みにかけていたのかも。
3/1/2025, 9:06:50 AM