「誰かしら?」
ピアノのメロディに釣られて、古風な問いかけをした。
見た目はグランドピアノっぽい。でも、本場と比べたら音が軽いので、電子ピアノの亜種ではないか、と思う。
いつもならなんてことのない、通勤駅――Y駅。
しかし、いつからか、あれは数年前だったな……。駅構内にピアノが置かれた。
駅ピアノ、ストリートピアノ、誰でもピアノ。
呼び方は定まっていないが、自由に呼んでも良い、ということでもないようだ。
最初の頃は設置期間は無制限だったのだろう。でも、いつの日か撤去された。こういう時、SNSとYouTubeは相性が悪い。一つだけでも厄介なのに、相乗効果だともっと酷い。独占されると耳をふさぎたくなる。
ピアノが弾けるという承認欲求丸出しのチャラいYouTuberが、何時間でも弾いていてウザかった。誰でもピアノは独占されていた。無料で聴けるから、演奏者は何でもやって良いのだ。そんなナチュラルに見下されたのが嫌だと思った。
そういうのは、売れないストリートギタリストくらいのランクの低さが良いのだよ。いいかい。こういうのはね。小銭専用の投げ銭入れを地面において、チャリンチャリンと。
そういう奴なら僕は許せる。だからピアノが撤去されたのだよ。
今回ばかりもそれと同じ。
通り過ぎようとする人物による軽蔑の一瞥。それが僕だ。今は帰宅するのに手一杯。
しかし、一瞥の目は、予想を裏切られたみたいだ。
少なくともイカしたビアノ系YouTuberではない、ようだった。YouTuberなら、近くに撮影用カメラやスマホを設置するだろう。物言わぬ指揮者役の三脚にスマホ。ピアノ演奏を動画にしなきゃ、ネットの海を回遊できない。そういう肉食魚だ。
だが、どうやら「彼」は身一つだった。ふらりとやってきて、弾いている。日常生活は昼間に溶けていて、夜は寝る。イスの横にはビジネス用のカバンが置かれてあって、暗い黄土色の冬用コートを羽織っていながらの、ぎこちない演奏。
僕に音楽の知識はない。どこかで聴いたことのある曲を弾いている。たしか都内のストリートで聞いた。立ち止まりたくなる。
時折0.5秒ほど、つっかえてしまう部分があるが、それが本来のストリートピアノなのだ。
ホームにいかず、尿意を催したと理由を拵え、トイレへ行った。戻って来ると、ちょうど終わりかけのメロディだった。ホームに続く、階段を下りる途中で演奏者の手を止めた。僕は、背中で聞いたが、パチパチパチ……と、数人程度の拍手が湧いた。
どうやら投げ銭入れがないから階段まで感謝の音が零れたらしい。
3/3/2025, 10:03:57 AM