日陰に行くと俯瞰的になれると思う。
特に冬はそうだ。
所詮今見てる風景だって、光が見せる幻想に様々な色を散りばめたものだから、綺麗だとか汚いだとか見たくないだとか、そういった瞬間的な感触は勘違いだったこともあり得るたろう。
日なたから日陰へ。
差し込まれる光の強さが弱まることで、届く光の量も少なくなり、色が暗然となっていく。色が静かに沈むように、地面へ目を向ければそこは、マンホールがあったりする。蓋の模様って大事だなあって思った。
「小さな勇気を大きく変える方法」と検索してみた。
ネットをぶらりと探してみるに、成功体験を積み重ねて、レベルアップをしていけば良いという。
「そんな時間があるかよ」
彼はネットに悪態の指を突き立て、画面をオフにする。
こういった時、やはりネットは使えない。
タイパ、タイパと時間を節約させているが結局のところ時間がかかることばかりサジェストされる。
彼の心の辞書には「努力」という言葉は載っておらず、今まで運と幸運だけでこなしてきた。
動物の食物連鎖で言えばライオン。
人間界で言えば皇太子。
けれど、今ばかりはそれができない。
ツケを払わされる、格好の餌食。お天道様が突然首を傾げて「はて?」と言っていそうなくらい、小動物になっていた。
運と幸運を与えてくれたのは両親である。
政治家、財界のコンサルタント。金は潤沢にある。
……今までは。
たった数時間前に電話が鳴り響いた。警察からだった。
「あの〜、〇〇さんのお宅でしょうか。たった今ですねえ、いわゆる交通事故が起きましてね〜。はい、はい、そうです、事故です。事故が起きましてね〜」
ひと言で言えば両親は轢き殺された。
仲睦まじく歩いていたところを車で、だ。
加害者は狂乱状態で「やったぞ! オレがやったぞ!」と叫び散らかしているそうだ。
現行犯逮捕!死刑確定!死刑執行人!
SNSではこのような言葉遊びでトレンド入りしている。
これからの出来事もひと言で言えればいいのに。
と思って、彼はもう一度指でスマホを叩く。
「小さな勇気を大きく変える方法」
彼は今、屋上にいた。冬晴れの輝くような陽光に照らされたビル風が突風と化している。
スマホになければ親に聞くしかない。今までもそうしてきたように、これからも……
眼下に広がるは空谷の跫音。
聞こえたか聞こえまいが、不意の突風が彼の背中を押してしまった。
屋上。
取り残されたスマホ画面は言葉遊びで更新されていく。
ネットが言うには「革命」らしい。SNSはさらなる喜びを見せた。遺族がいないからであろう、事件現場の写真も無遠慮に飛び交っている。
「わぁ!」と大げさに言ってみた。
物陰に隠れた子供の声で、相手は「わぁー!」と言いながらずっこけた。
「あっ……」と子供は戸惑いの表情。
驚かせる相手を間違えてしまったのだ。
本来の相手はその子と同じ背格好の、子供の予定だった。
端的に言えば、鬼。自分は隠れる逃げる潜む子。
二人はマンションの敷地内でかくれんぼをしていた。
遊んでいた子供も同マンションの子供。それも下級生だった。
1Fエントランスホールは顔認証システム搭載のセキュリティロックだから、マンションの住民同然である子供たちは出入り自由だ。
けれども、出入りする際の自動ドアによって音が出てしまうのが難点。潜伏ごっこには不利だと子どもは考えた。
そろそろ二十分ほど経過してしまう。
あまりマジなかくれんぼは場が白けてしまう。
相手は下級生だし? こっちはいわゆる上級生?
だから、その子は逆に鬼をおどかせようと小粋なことを考えた。
藪から棒に、と棒として飛び出すところを選んだのは、エレベーターホールの柱の陰だった。
ここなら廊下から及んでくる足音でタイミングも掴めるし、と考え潜んでいた。それで、タイミングバッチリ、驚かす人だけをミスったのである。
「イテテ……」
と女性は尻もちをついている。
子どものいたずら通りの反応だ。
長い髪、多分買い物をしてきた後だと思われる。
ドラ◯もん柄のエコバッグから、野菜たちが転がっている。ニンジン、タマネギ、カボチャ……すべて二分の一カットだ。昨今の冬野菜高騰の波を受けている。
バッグの中にとどまっていた細長い緑はネギらしい。
他は半分だがネギは1本分買っている。今夜は鍋にでもしようとしていたのか。
「あっ、武井さんのお母さん」
その子は女性が知っている人だと分かった。たしか4Fの。ちなみに子供は7Fに住んでいる。
その後、ごめんなさい、と丁寧なお辞儀をしつつ、ぶちまけた買い物たちの片付けを手伝った。
女性も「ごめんね〜」と言いながら、買い物袋に入れ、アンニュイな感じにエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターのガラス越しの会釈を忘れない。武井さんはやさしいので、たぶん大丈夫だろう。
その子は一人取り残されるようにエレベーターホールに居残った。3分の沈黙。足音が近づいてきて、
「わぁ!」
リハーサル通りにできた。
今度はタワマンに泣き声が響いてしまった。
終わらない物語にも物語とついている以上、終わりがある。終わりを知らないだけかもしれない。
知っている人はだれ?
頭の中。
やさしい嘘を求める接吻を彼にした。
最初はこわばりのものだったが、すぐにやわらかい受け入れに変わった。
このときで最も不一致のキスだった。しかし、一層それがスパイスになる。
四面楚歌。けれど二人の周りは瞬間的に恋人の聖地とかした。舌を入れ中身を味わい、離れる。
「これで最後ね」
そう言って彼女はすぐに暗殺者になった。
一人二人三人、人だったモノが四方に散らばっている。
背後を振りむく。彼が見ていた。自発的に振り向いてくれたのはこの時だけだった。
これも最後の……
彼女は自ら囮になっていた。
投獄された未来であっても、彼は助けてくれる。
だから、今は宿命から逃げて……っ。
彼女は血の海で声なき声で叫んだ。血糊のナイフが踊り狂う。