花畑ほどの数の真実が虹の下に群生していたとしても、花の色は決まっているという。
あか、あお、きいろ、むらさき、藍色。
仮に虹の道を進むことができるなら、半透明色たる虹の下から花畑を見下ろすことができる。
なんてきれいなんだろう。
そんなことを思う人が、人の世の0.0003%ほどの人間がいたとして、花畑たちはゆらゆら揺れていることだろう。
穏やかな風に吹かれ、自由に花粉を飛ばし、生物の侵略もない。あるのは移り変わる季節のみ。
一年草、二年草、多年草。いつしか木も生えるだろうが、それでも花畑から逸脱するかといえば、そんなことはないのだと思う。
僕は虹の道より、地上を選びたい。
花畑をかき分けて、気に入った花束を作るようにしてみたい。
そういえば、そんなことは花屋でもできる。
けど、花屋ではできないことを、花畑では感じることができる。きっと花の香りに包まれているようなのだ。
それは、今の人たちには幸福に感じられるかもしれない。
……幸福ってなんだろう。
空が泣くのはどうしてなのか。
今までこんなことはありえないことだ。
もちろん、海面が蒸発して雲ができて……ナドというものではない。そんなことで空は泣かない。
雲が勝手にできて、雨を降らしているだけで、空は本来泣かないものだ。
空の色合いが毎時間に変化する。虹色の構成する色全ては体験したし、その色に属する雨の色が雲もないのに落ちてくる。酸性雨。喜ぶ雨とは到底思えない。
空は、泣いているのだ。理由究明が各地方で叫ばれた。
旅客機のパイロットがある日突然発見した。
空と宇宙の間にある成層圏にて、いびつな雲の形があったとの目撃情報があった。
あとでそれは天空に描かれたある種の文様(魔法陣)であることが後世にてわかり、世界に激震が走った。
世界中の研究者たちが一丸となって原因究明すると、どうやら海の底に鍵があると目論んだ。
こぞって、賞金稼ぎなどのトレジャーハンターたちが、冷たい氷海の中へ無謀な潜水を披露したり、国盗りレベルの設備投資額でゴリ押して、水中深くまで専用の潜水艦を沈ませたりもした。
すべては海の底にある。深海生物を蹴散らし、まだ奥へもっと奥へ……。
その言葉を信じて数々の人たちは挑戦し、そして自然に敗れた。深海は過酷な環境だ、なにせ人が住むような快適な場所ではない。
だから、二度と浮上することは叶わなかった。
空が泣いた1年後、空を見上げた。
青い空が広がっている。青い空?
どうやら空は泣いていない。
なぜだ?
わからない。
なら、どうして空は泣いたのだ?
それもわからない。言語を喋る口も聞くための耳も鼻もないから。
地上の人たちは訝しがっていた。それだけで済んでよかったと空は思った。
空が泣く、その理由は一つだけ。
宇宙がなくなっていたからだった。
君からのLINEが届いた時、私は人を殺している途中だった。
文章にすれば驚くものを書いているかもしれない。
しかし事実だ。
さして物騒なものではない。
ファンタジーのように残忍の夜の帳が下りた世界観ではない。
それとはスケールが違う。かなり小さいものだ。
魔王なんていない。勇者なんていない。皆殺しにあう村人などはいない。しかしそれでも人は死ぬ。
何も知らない人によっては、人を殺していると捉えられるだけで、当事者の女たちと私との間では、命が宿る袋の中を淡々と掃除しているだけ、という認識でいる。
金を支払えば私はこれをする。
そうでなければ、目の前の患者はいずれ精神的鬱で、母子ともに死んでしまうだろう。
いわゆる医者という、職業をしている。
産婦人科医。
しかし、経産婦のような命を出迎える、ありがたい光景を生業としているのではなく、薬物を使って計画殺人に加担している、ようなものだ。
それは産みたくないという女性の意志を尊重していると、私が思っているため。
それの名前は特になく、単なる子宮内容物であり。
命なんていうものは、人間たちの思い込み。それを単純に感じる日々。
まだ腹は膨れていない彼女に麻酔薬を吸わせた。
股を開かせ、金属状のくちばしで入口付近を無理やり開く。
無理やりやられて出来てしまったから、というのが本日の来院理由。よくある理由だ。
開いて覗いた。
好きでもない人の、粘膜色を覗き込む作業に、劣情を催すほどの若い年齢でもなくなった。
医療用の吸引器のスイッチを入れた。
風の音の吸い込みとともに、冷たいはずの機械を滑らせて、ものの一分二分で終わってしまった。
その時刻に、君からのLINEがあったのを知った。
「やっと妊娠したみたい」
そう書いてあって、既読をつけてしまったことに後悔している夜9時。
「命が燃え尽きるまで」を現実世界でやったら人生終わるんだよね。
今はもう過ぎ去った時代、昭和・平成時代には「24時間戦えますか」なんていうキャッチコピーが流行った。
戦わなければ、生き残れない……!
栄養ドリンクのキャッチコピー。
企業戦士、勤労礼賛、サビ残は当たり前。
結果、リストラや人件費削減などにより「失われた30年」などと言われる不況になってしまった。
「命が燃え尽きるまで」
この言葉は、話がファンタジーであるほど似合っていて、しかしながら、現実の一部地域はこの事実がある。
過去は言葉通りに過ぎ去るよりも、ファンタジーに溶け込ませたほうがいいな、と思う。
だから、ファンタジーに熱血さのある場面がところどころに出現するのだろう。そう思った。
夜明け前の薄明時刻。
東の空から新たな光が供給されて、暗き黒の領域の一部が濃紺になってきている。
浮かんでいた小さな雲の存在が目立つようになって、夜が明けてくることを空が自覚する。
深夜のコンビニで、「夜明け前」という酒を買ってきた。
名前の通り、これは夜明け前に飲むのがいいと思って寝ずの番をしていたが、バカなことをした。
名前の通りなことをせず、安酒の通りにすればよかった。けれど、その後悔の記憶は、真上で展開される夜のよろけ具合を見ると、どうでも良くなってしまった。
磨かれたグラスに「夜明け前」を注ぐ。
日本酒の香り高い空気と共に、吸う。
鼻から鼻腔を通り、喉の細胞で香りを味わう。鼻の中を通る淡い香り。
一口味わうように飲むと、山田錦の澄んだ深みを感じて、空を見上げた。
夜明け前から夜明けに推移した、明るい青が見えた。