22時17分

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9/13/2024, 12:50:54 AM

本気の恋は、この場で発表するほどのことではないと思うので、退散したいと思いたい。
他の人の投稿でお腹いっぱい。

9/12/2024, 6:46:51 AM

日めくりカレンダーみたいに、一日ごとに誇張した日付を破り捨てるほど、僕は暇じゃなくなってしまった。

百均の廉価で質素なカレンダーがいい。
インク量を使わず、画像素材も飾りも要らない。

壁掛けカレンダーがいいや。
月一回、月を変えるときだけ。ビリッと破く。
そのほうが爽快だし、手応えがある。

一日一回とはいえ何回もやると飽きてきて、途中で苦行になってしまう。
そうなると日めくりカレンダーは、ただの置物。
いつしか主に見捨てられたようになって、何年前の日付を指してるんだよってなる。
回数制限って、なんか深い。

9/11/2024, 9:55:50 AM

喪失感。

僕はまだ見てないのだが、「有吉の夏休み」という番組にて某芸人の姿を番組スタッフが編集で消したらしい。
それで、SNSでは「◯◯を探せ!」が開催された。

いかにも悪趣味な遊び方をしているが、出演者の一部がいじったことで容認された見方がある。某芸人だから、笑えるならそれでいいと僕は汲み取った。

まるで出演してないような、声の痕跡がどこにもない。
現代の編集技術は進歩したなあ、昔はテロップを重ねて強制的に隠してたのに。
これが「本場の消しゴムマジックで〜」かな。
意外と人ひとりを消すのは容易なことではないのだが、そこはプロ。90%くらいは消えている。

でも、マジックも限度があったようで、店の鏡に写っていたり、腕の一部が消し忘れていたり。
あるいは、妙に画角がおかしい部分があったり、二画面構成で何かを映さない仕組みにしていたり。

番組は旅行記みたいなものだから、ロケ地巡りのそれぞれで出演者たちの集合写真を撮って、それをアルバム風に見せるのだが、どの集合写真も一人分のスペースがある。
みんな笑顔で笑っているのに、そのスペースに対して誰も指差しせずその状況を受け入れている。
誰かが写真を破って背景を付け足した。それで妙なスペースが生まれた。
これを喪失感と呼ぶかは微妙なところだが、何かを失ったのは確かだと思う。
補うのは、今は反省の時間。
視聴者には当然見えない。
だから、あれこれ不備を探したくなるのかな。

9/10/2024, 4:08:31 AM

世界に一つだけの残酷。
それは、普段ありきたりと思われていて、忘れ去られている。
テレビ番組で取り上げ、「考えさせられる」機会を設けないと、人の残酷な人生の結末なんて考えない。
幸せになるとは、大切な人と時間をともにすると共に、見えない人物を見ないようにすることでもある。
だから、「考えさせられる」だなんていう言葉がでてくるんだ。

そんな単なるモブの、何百何千という残酷な人生の結末をかき集めると「世界に一つだけの残酷」が出来上がり。
僕たちは本当に「世界に一つだけの残酷」のなかで暮らしているのでしょうか。
時々疑問疑答する。
学生であれば、いじめ、不登校、指定難病、小児終末ホスピス。一つの結末として自殺。

大人であれば、多岐に渡る。
金銭的格差、考えの格差。
置かれている境遇、記憶、時間の使い方。
各種格差による、未確定な時間の経緯の結末が今の自分を形作るって、いつ頃気づいた?

こんな残酷、見たくないという人が多ければ、もっと残酷になる。
あるいは「底辺労働者を底辺と呼ぶな」などと、SNSではきれいごとを言っている有名人をフォローして、考えたくないと言えずに耳をふさぐ人もいる。

底辺って、あるに決まってるでしょ。
何言ってるのさ。

僕らがそれを直視しなければ、彼らがテレビの取材に応じた理由が無下にされる。
苦しい。つらい。
でも、やらなければ。
生きていけない。
ドキュメンタリーは、それが事実あるってことなんだよ。カメラに収められてるってことなんだよ。

進行形の病魔は降りかかり、ますます残酷は残酷になり、残酷なオンリーワンになる。
それを特別価格でお送りします。
あなたへそれをCMを見ているように見つめている。

こんな人が今も同じ日を過ごしているなんて、考えさせられるね――って人は、底辺じゃない。

底辺の人は、考える余裕すらない。
コーヒーも飲めない。
椅子に座らない。
テレビはリサイクルショップで買った5000円のごみ。
布団を模した段ボールを掛けて仮眠。
睡眠時間を削って眠眠打破を飲んでいる。
朝は眠らない。夜も眠らない。
僕らだけ寝ている。
贅沢な時間とは言わない。
やっぱり見えない人は見えないままだ。

9/9/2024, 8:33:12 AM

胸の鼓動を調べる検査がある。
別段、特別な検査ではない。
全国どこでも、あるいは年齢問わず。
法律で決まっているからという真っ当な理由で、大人は普通に受け入れるべき出来事。

内科検診である。
聴診器を当てて胸の音を聞く。
心臓の音を聴き、ちゃんと動いているか調べるだけ。
それは年に二回、春と秋に訪れる。
どうしてなのか、子供たちにはよく分からない。

昼休みの後、幼稚園の先生の声に呼ばれて列を作る。
人数は30人。対象年齢は5歳。
来年春になれば小学校に入学する、背の小さな集団だった。

男女混合の列。
背の順でもなんでもない並び方だった。
だが、列の前の方はおとなしく、後ろにいくにしたがって私語をする子供たちが多い。
列の十人くらいは、私語をしても先生たちには気づかれない、という量の笑い声が聞こえている。

内科検診について、特に説明する様子はなかった、とその子は思った。その子は列の後方にいて、ぞろぞろと遅めに歩き、順番待ちをする。
先頭から順に、何かをしている。
何をするのかな。と列の先頭が気になるように、その子は小さなかかとを上げて背伸びをするようにした。
しかし、ほんの数センチくらい高くなるだけで見えない。

一人ずつ、知らない大人の前に立たされていた。
「えんい(園医)」と呼ばれる知らない人だ。
「えんい」にはいつも、看護師がいた。残念ながら、歳は食っている。それにメガネ越しの目も笑っているようで笑っていない。本当は子どもなんて好きじゃないのだろう。

その子の名前が呼ばれて、顔を見られ、本人確認される。
「じゃあ、めくって~」
と「えんい」に言われ、戸惑っていた。

いつもはやさしい幼稚園の先生は、後ろに回ってその子の両手首を固定していたからだった。
誰がめくるのだろう。どこをめくるのだろう。そのままなのか。言い間違いなのか。
子供の表情。戸惑いと微かな目の動き。
言葉にできるほどの年齢は、残念賞。持ち合わせていない。

助手の看護師が、許可なくその子のシャツの裾へ手を伸ばし、上へ持ち上げた。
シャツの下はまだ誰にも見なれ馴れていない白い肌があった。
その子自身も、上半身を見られた、という感覚はまだ芽生えていない。
「じっとしててね〜」
服をめくり上げ、他人の手によって鎖骨が見えるほど持ち上げられた。それで素肌に判を押すように、園医は直に当てた。

十秒も満たない時間。感覚。
その子の年齢では目的も何もわからないもの。

円盤型の銀色の道具で、布のない胸の中央に当てられた。
そうしてその変な恰好で、おなか側と背中側を看られた。「はい、いいよ〜」
と言われ、その子は解放。
次のこどもにバトンタッチ。
同じようにシャツをめくり上げ、上半身を裸にさせた。
大人たちは各々の仕事の役割を理解した連携を見せた。
分け隔てなく子供を拘束し、心臓の音を効率よく聴いていた。鼓動のスピードは皆速い。

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