世界に一つだけの残酷。
それは、普段ありきたりと思われていて、忘れ去られている。
テレビ番組で取り上げ、「考えさせられる」機会を設けないと、人の残酷な人生の結末なんて考えない。
幸せになるとは、大切な人と時間をともにすると共に、見えない人物を見ないようにすることでもある。
だから、「考えさせられる」だなんていう言葉がでてくるんだ。
そんな単なるモブの、何百何千という残酷な人生の結末をかき集めると「世界に一つだけの残酷」が出来上がり。
僕たちは本当に「世界に一つだけの残酷」のなかで暮らしているのでしょうか。
時々疑問疑答する。
学生であれば、いじめ、不登校、指定難病、小児終末ホスピス。一つの結末として自殺。
大人であれば、多岐に渡る。
金銭的格差、考えの格差。
置かれている境遇、記憶、時間の使い方。
各種格差による、未確定な時間の経緯の結末が今の自分を形作るって、いつ頃気づいた?
こんな残酷、見たくないという人が多ければ、もっと残酷になる。
あるいは「底辺労働者を底辺と呼ぶな」などと、SNSではきれいごとを言っている有名人をフォローして、考えたくないと言えずに耳をふさぐ人もいる。
底辺って、あるに決まってるでしょ。
何言ってるのさ。
僕らがそれを直視しなければ、彼らがテレビの取材に応じた理由が無下にされる。
苦しい。つらい。
でも、やらなければ。
生きていけない。
ドキュメンタリーは、それが事実あるってことなんだよ。カメラに収められてるってことなんだよ。
進行形の病魔は降りかかり、ますます残酷は残酷になり、残酷なオンリーワンになる。
それを特別価格でお送りします。
あなたへそれをCMを見ているように見つめている。
こんな人が今も同じ日を過ごしているなんて、考えさせられるね――って人は、底辺じゃない。
底辺の人は、考える余裕すらない。
コーヒーも飲めない。
椅子に座らない。
テレビはリサイクルショップで買った5000円のごみ。
布団を模した段ボールを掛けて仮眠。
睡眠時間を削って眠眠打破を飲んでいる。
朝は眠らない。夜も眠らない。
僕らだけ寝ている。
贅沢な時間とは言わない。
やっぱり見えない人は見えないままだ。
9/10/2024, 4:08:31 AM