22時17分

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8/29/2024, 9:57:19 AM

突然の君の訪問。
とても困るのでお引き取りください、と僕は君に風船をくくりつけることにした。
幽霊のように意外と軽いから、大きな赤い風船とともにふわふわと浮かんで去ってしまった。
徐々に小さくなっていくのを見送る。

「これでよし」

僕は現場猫のような指差呼称で確認する。
右よし、左よし、前よし、後ろ……
と後ろを振り向いたら、赤い風船が見えたものでちょっとびっくり。
いや、びっくりしなくてもよかった。
これは自分で用意していたものだった。

遠目から見たら、バラの花束のように見える。
リビングの窓が開けっ放しなので風が入り、赤い風船たちを揺らす。それだけなのに、空にとんでいってしまった彼女が、その中で蹲っているのではないかと思ってしまう。
一応、手を突っ込み、無いのを確認。
玄関に戻り、施錠。
……あれ? 靴が一足増えている……?
侵入を許したようだ。

8/28/2024, 4:07:24 AM

雨に佇むものは、空にある慟哭に目を投げていた。
今まで、どれくらいの涙を流したというのだろう、天も自分も……

百代は永遠、過客は旅人――という意味。
月日は百代の過客にして~、と昔の人は詠んでいたというが、彼らにも汗に似た涙を地面に流している。
山に登れば自然に反応して汗をかくように。
それが雨粒で地表を滑り、川に流れて海にたどり着き、それが蒸発して雲になって、雨となって下る。

降りしきる雨のなかで、置いてきぼりを食らわされているそのものは、人間でない代物をしていた。

身体の色は全身白色をしていて、白いエビフライのような見た目をしていて、雨の中でもちょっとかわいい。
古い言い方をしたら白いアザラシである。
けれども図体はそれなりに大きくて、700メートルの山よりも大きく、まるで小大陸のように寝そべっていた。

周りは海しかない。空模様は止まない雨である。
そう、この星は、数百年前からずっと、止まない雨を降り、それを続けている。
今日も雨、明日も雨、一年後も雨だろう。

ちょっとしっぽに意識を向けてみた。
かわいいしっぽはすでに海の中。
持ち上げてみないと海の外にいけない。
渦が生じるような水の重さを感じ、ざばあ、としっぽを動かした。
ちょっとだけ別の生き物が出現したような感じがして、個人的に楽しい。

そのものの体色は、最初は黒土のように黒っぽかった。
土の中に埋もれていたような恰好をしていた。
地震の正体は、そのものが「ごろり」と寝返りをしたからだったが、地上の人々はやけに高技術なものを駆使して予測しようとしたり、プレートやマントルを研究していたらしい。
それを翻弄するようにそのものはそうしていたが、誰かが儀式でもしたのだろうか。
長い雨がやってきて、長い雨によって、そのものと地面の境に氾濫した川や、水の流れによって浸食した溝をいくつも作るようになって、今ではもう、それらの文明は海底の仲間入りとなった。

すべてが水没した。そのもの以外。

陸地が雨の幾重もの打撃によって、陸地が砕け解けたように見えた。
実際は陸より水の海域が広がっただけなのに。

そのものはまだ遠慮して、その場にとどまっていた。
過去に行った「ごろり」による影響を鑑みて、世界的に影響があると認識していた。だから雨が降ってから今日にいたるまで、苔むした石のように固まって濡れていた。
けれども、このままだと大量の雨粒の音を聞いて、身体がくすぐったくて、くしゃみや身体のふるえを引き起こすかもしれない。

そのものは泳ぐことにした。
そのものは体長1キロメートル以上はあるので、数分ほどで雲の端が見えるところまで泳ぎ、雨粒から逃れることができた。
やった、と嬉しそうにした。
そのものは海面をランランと泳いでいたが、海底とやらがどのくらい下にあるのか興味を覚え、ドルフィンのように海に潜った。

天に届くくらいに長いしっぽが塔のようにそびえ立った。ゆらゆらと揺れ、雲の欠片を払う。
それによりようやく、止まない雨はない、と言えた。

8/27/2024, 4:01:16 AM

私の日記帳。

学生時代には、日記帳を含むノート類は手に馴染みがあった。
一教科につき一ノートを買うレベル。
これって実際おかしな話だ。十教科あれば、十冊ものノートを用意しているわけだろう?

ノートを忘れることに関して怒られるなんて、ちょっと理不尽。子どもにそこまでノートを何冊も持たせたら、忘れたり無くしたりするのは仕方がないと思える。
どうせ、ノートの最後のページまで使わないだろうと目論んで、既存のノートの反対側から書き始める、ということを僕もやった気がする。

あれは、ノートを忘れた後ろめたさもある。
忘れたとき用の単なるメモ書きで、家であとで写せばいいかと思っていたが、子供の脳みそなんて鉛筆の色で塗りつぶされたがのごとく忘れがちだから、数日の授業の末に忘れて、同じようなことをして「あ」と気づく。
しかし、その後は反省なんかせず「まあいいか」で済ませて。
それでノート提出のときに慌てて、夜な夜な呻吟するのである。

小学校あたりまで記憶を遡ると、日記帳というものは、たしか上に絵を描き、下に文章を書く構造だったと記憶している。
どこの学年からだろう。たしか美術と呼ばれるよくわからない絵画鑑賞が現れる頃には、日記帳=文章のみになっていた。

他の人達の投稿を見るに、日記帳というのは、メモ帳の類似品のように、そのときの文章を書き留めておくためのもの、という認識が強くあるらしい。

別に絵は描かなくとも良い、ということになっている。
これは、思考を主として、抽象度が高くなって、文章からその時の場面が立ち上がるようになったからだろうか。
そんな事はない、ような気がする。

いつしか日記帳は、メモ帳のように軽く書き留める代物になった気がした。
だから、自分の生み出した文章を軽んじて、書き殴ったり紙を破り捨てたりすることが軽くできるようになった、と思った。
同様に、そんなことをする人たちは、自分の心もそうしているのだろう、と陰ながら心配もする。

じゃあ、文章の上に絵を描けば日記帳に戻るのかといえば、僕はもう汚い絵を描くに値しないプライドを持ってしまったから、もう絵はかけない。
仕方がないからネットのフリー素材を探し出して、それを貼り付けたとしても、やはり捨ててしまう。
所詮他人が描いた絵の、量産品だと思ってしまうから。

日記帳って、こうしてみると、自分の画力の無さを棚上げしてまで、あそこに汚い絵を描く理由があったのだろうな。
だから、――ってあの頃に伝えたくなる。

8/26/2024, 4:17:34 AM

1次元と2次元が「向かい合わせ」の席についた。

どちらも人間が作った概念であるので、正確な表現を使うと、窓の正面になるように、PCの向きを変えた、というべきだろう。

1次元は向かって左にあり、3階から景色を見下ろせる窓そのもの。見方を変えれば3次元の世界の入口となる。
2次元は向かって右にあり、窓の正面にあるPC。
PC画面は今、とあるSNSトレンドが映し出されている。
購入者とその操作者は、どちらも気まぐれな人間である。

夏になった。
1次元の窓からはいつも、内海の穏やかな青い海が見下ろせた。
いつも穏やかで、人間たちの喧騒を知らないでいる。
海の上にはピアニストの指先のように、左から右へと滑らかに動く漁船があった。

しかし2次元の世界であるPC画面はいつも荒波が立ち、穏やかを知らないでいる。
包装紙、ペットボトル、マイクロプラスチック……
現在の海はゴミだらけであり、魚もまともに生きていけない。
毒素の溶け込んだ病巣であり、きれいな海などこの世にはもう存在しない。
ましてや1次元の窓が映し出す風景はもう見れない、とネットの海で口々に主張した。
自身が自身のゴミを見分けられないでいるのである。

秋になった。
1次元の窓は、眼下の風景が緑から色づき、赤や黄や紅葉の色を楽しめた。
近くに神社があり、お稲荷さんの顔にかかるもみじの葉の香りが、こちらまで届いてくるかのようだった。
時折秋の大風が、落葉の集まりを吹き壊して空中散歩へといざなうようで、一枚、また一枚と窓からやってくる。
気まぐれな人間はそれを見ては拾い、栞として加工する。

しかし、2次元はいつも季節の区切りを知らず、どうどうとざわめいている。
最近のトレンドは秋が遅れていることに対しての憂慮であり、まだ秋は来ないのか、などと言っている。
こちらはもう秋がやってきたというのに、一歩も外にもでずに近場まで秋がやって来ないことに関してつぶやき果てているのである。

冬が来た。
1次元の窓は雪化粧にされ、室町時代の水墨画のような白黒のはっきりする景色となった。
気まぐれな人間は、あまりに寒いとわかっているにもかかわらず窓を開け、外の空気と換気する。
着ぶくれしたガウンの外着に手袋、マフラーなどを着て外に赴き、何もない冬の空の下を散策する。

一方2次元の世界は相変わらずの内々しさであり、陰鬱である。インドアのインドアを決め込んでいる。
何やら芸能人の不祥事を皮切りに、他人の寒々しくあかぎれの肌に塩を塗り込む行為に勤しんでいる。
自身も防寒着も着用しないので、キーボードを叩く姿は暖房器具のオンオフを忘れているがごとくである。
指先の爪に火を灯し、火傷を負って恨み骨髄である。

気まぐれな人間には知らない、芸能人はその後、無期限の活動休止へ追いやられた。
季節が暖かくなる頃には、事実上芸能界引退に至り、その裏ではその人の自殺説も流布されているという。

春になった。
1次元の窓からは、気まぐれな人間が所有している庭の草花が芽吹いている。
水やりを終えた気まぐれな人間は、ふとした気まぐれに従い、この対面の構図を一枚の写真に収め、それをSNSにあげることにした。

左に1次元の窓、右に2次元のPCの構図。
1次元だというのに演出をしたようで、ふわりとした風を受け、カーテンはあまく弧を描いた。
一方2次元は何もせず、ノートPCの平面さを主張し、横方向からの構図のため、2次元の世界は見えない。

狭い世界に桜吹雪が吹くように、桜の花びらが隅々まではいきわたるように。
2次元の世界に2次元の写真のそれに、三万のいいねが届いたが、気まぐれな人間に会いに来たものは一人もいなかった。すべて2次元を通して……のみである。

夏になった。
窓の景色は今、漁船の浮かんだ青い海を映じている。
船は自然の力のみの無音さで、左から右に流れていった。
PC画面は相変わらずであり、気まぐれな人間の投稿したものは忘れ去られてしまった。
気まぐれな人間は電源を切った。
そして、静かな内海を背景に、木工用ボンドとピンセットを持ちかえながら、ボトルシップに取り組むことにした。

8/25/2024, 9:22:53 AM

やるせない気持ちでいっぱいです。
もう終わった、あるいはそろそろ夏休みが終わることで、学生たちは阿鼻叫喚。
下品な例え方ですが、◯んこを蹴られたあとの疼痛に苦しむことでしょう。
もう一ヶ月も経ってしまったという事実。
その痛みは、まさしく「お疲れ様」と投げかければよいでしょうか。

夏休みが終わってくれて、せいせいします。僕としては。
きっと、昼夜逆転している生活リズムを整えるべき日数もなく、夏休み期間中であればおふとんぬくぬくしていた時間に登校して授業して、ということを再開する。彼らなりに抱く、密かな怒り、悲しみ、やるせなさ、後悔。あるでしょう。

僕としてはそれよりも、夏休みが終わった直後である9月の自殺率が若干高めであるという統計データがある。
それに予告のような、予防措置が行えないことにやるせない気持ちを抱く……

8月が終わる一週間前。
どうもそんな香りがしてくるのです。

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