22時17分

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1次元と2次元が「向かい合わせ」の席についた。

どちらも人間が作った概念であるので、正確な表現を使うと、窓の正面になるように、PCの向きを変えた、というべきだろう。

1次元は向かって左にあり、3階から景色を見下ろせる窓そのもの。見方を変えれば3次元の世界の入口となる。
2次元は向かって右にあり、窓の正面にあるPC。
PC画面は今、とあるSNSトレンドが映し出されている。
購入者とその操作者は、どちらも気まぐれな人間である。

夏になった。
1次元の窓からはいつも、内海の穏やかな青い海が見下ろせた。
いつも穏やかで、人間たちの喧騒を知らないでいる。
海の上にはピアニストの指先のように、左から右へと滑らかに動く漁船があった。

しかし2次元の世界であるPC画面はいつも荒波が立ち、穏やかを知らないでいる。
包装紙、ペットボトル、マイクロプラスチック……
現在の海はゴミだらけであり、魚もまともに生きていけない。
毒素の溶け込んだ病巣であり、きれいな海などこの世にはもう存在しない。
ましてや1次元の窓が映し出す風景はもう見れない、とネットの海で口々に主張した。
自身が自身のゴミを見分けられないでいるのである。

秋になった。
1次元の窓は、眼下の風景が緑から色づき、赤や黄や紅葉の色を楽しめた。
近くに神社があり、お稲荷さんの顔にかかるもみじの葉の香りが、こちらまで届いてくるかのようだった。
時折秋の大風が、落葉の集まりを吹き壊して空中散歩へといざなうようで、一枚、また一枚と窓からやってくる。
気まぐれな人間はそれを見ては拾い、栞として加工する。

しかし、2次元はいつも季節の区切りを知らず、どうどうとざわめいている。
最近のトレンドは秋が遅れていることに対しての憂慮であり、まだ秋は来ないのか、などと言っている。
こちらはもう秋がやってきたというのに、一歩も外にもでずに近場まで秋がやって来ないことに関してつぶやき果てているのである。

冬が来た。
1次元の窓は雪化粧にされ、室町時代の水墨画のような白黒のはっきりする景色となった。
気まぐれな人間は、あまりに寒いとわかっているにもかかわらず窓を開け、外の空気と換気する。
着ぶくれしたガウンの外着に手袋、マフラーなどを着て外に赴き、何もない冬の空の下を散策する。

一方2次元の世界は相変わらずの内々しさであり、陰鬱である。インドアのインドアを決め込んでいる。
何やら芸能人の不祥事を皮切りに、他人の寒々しくあかぎれの肌に塩を塗り込む行為に勤しんでいる。
自身も防寒着も着用しないので、キーボードを叩く姿は暖房器具のオンオフを忘れているがごとくである。
指先の爪に火を灯し、火傷を負って恨み骨髄である。

気まぐれな人間には知らない、芸能人はその後、無期限の活動休止へ追いやられた。
季節が暖かくなる頃には、事実上芸能界引退に至り、その裏ではその人の自殺説も流布されているという。

春になった。
1次元の窓からは、気まぐれな人間が所有している庭の草花が芽吹いている。
水やりを終えた気まぐれな人間は、ふとした気まぐれに従い、この対面の構図を一枚の写真に収め、それをSNSにあげることにした。

左に1次元の窓、右に2次元のPCの構図。
1次元だというのに演出をしたようで、ふわりとした風を受け、カーテンはあまく弧を描いた。
一方2次元は何もせず、ノートPCの平面さを主張し、横方向からの構図のため、2次元の世界は見えない。

狭い世界に桜吹雪が吹くように、桜の花びらが隅々まではいきわたるように。
2次元の世界に2次元の写真のそれに、三万のいいねが届いたが、気まぐれな人間に会いに来たものは一人もいなかった。すべて2次元を通して……のみである。

夏になった。
窓の景色は今、漁船の浮かんだ青い海を映じている。
船は自然の力のみの無音さで、左から右に流れていった。
PC画面は相変わらずであり、気まぐれな人間の投稿したものは忘れ去られてしまった。
気まぐれな人間は電源を切った。
そして、静かな内海を背景に、木工用ボンドとピンセットを持ちかえながら、ボトルシップに取り組むことにした。

8/26/2024, 4:17:34 AM