22時17分

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7/14/2024, 8:25:54 AM

プレバト「炎帝戦」を見ていた。

「黴臭いホテルだけど海デカい」

俳句らしからぬ口語感。でも、わかりやすくて好き。
個人的超訳としては、
……なんだよ、ネットの事前予約のホームページではオーシャンビューで凄くいい評価、文句なしの星5だっていうから予約したのに、来てみたらなんだ。客室はカビ臭いじゃないか。
ったく、今回の旅は高くつい……

(閉め切ったカーテンを一気に開く)

うおおおおおーーーー!
すげええええーーーー!

(ロックを外し、豪快に窓を開く)

でけええええーーーー!
海ひろーーー!
やばーーーーちかいーーー!
という、見事な手のひらクルックル感を想像した。

さて、優越感、劣等感というのがお題だ。
僕は忘れたわけじゃないぞ。
優越感、劣等感とは、何やら格差というイメージがある。優越は上から下へ見下すことで得られる偽物の幸福。劣等感は、まあ、今更言うまでもないだろう。

ただ、両者2つの概念は、別に格差を設ける必要はなく、同一空間、同一時間帯に存在することもある。
例えば先のホテルの例のように、窓を開けば劣等感のあるホテルから海の眺望の望める優越感に変貌する。
黴臭い部屋の臭気は、窓より流入する潮の香りによってかき消され、清涼となる。
だから、窓があるなら窓を開けましょう!
一階、二階、階数なんて関係ありません!
湿っぽいこと、思い詰めたこと、ネガティブ感情、その手の諸々の感情。脳内とともに部屋の換気をすればいいのでは?
それが直接作用するわけではないけど、回り回って、何かしらの分岐点になるのでは?

……しかし、この説明には明確な穴があって、
そもそも語りかけた本人の部屋に、窓がなかった場合は通じません。
例えば地下室。
地下室の住民は、陽の光を全く浴びたことのないモグラのような生活をしている貧困層の人々がいます。
大人のみならず、赤子、子ども、「それ以下」。

日本にはこういった「比喩」に該当する人は少ない。
誰だって窓のある部屋・家・間取りのある建物に住んだことがある。ホームレスの人だって、今そのような状態というだけで、ホームレス生まれホームレス育ちというわけではない。

時折、天気が崩れ、劣等感などを抱きながら雨宿りをし、なんでこんなことしてるんだろ、運がないなあ、と悪態をつきながら、目線を下げため息をつく。
足元を見る。アスファルト――地面が見える。
とはいえ、その人でも、どん底という人でもない。
その下、地下室やアスファルトの下に生活している人について、よぉく考えたことはない。
目線は常に自分。下に向いていても自分。
自分より下なんてない。
地面の上に自分の足。その下はない。
が、世界中に目を向ければ、その下の人なんて意外といる。住んでいる。

さて、こういう「アスファルトの下」に対して「窓を開けましょう」というきれいごとは通じません。
そもそも窓という設備がない、というよりは、地下に窓が必要ないことは「地上の人から見て常識である」から。
また、脱出経路を塞ぐ目的として作ることを禁じているとも思われます。

だから、劣等感があるのは、同一空間に存在する優越感に裏返る可能性があるかもしれず、実際劣等感を持たない、「劣等感を持つことさえも許さない」地域も少なからず存在する。
劣等感とは、あくまで底辺の一部であって、まっ黒な幻影の一部には到底たどり着けない代物なのだろうと愚考しました。
それにしても、海はデカいほうがいい。

7/13/2024, 2:41:06 AM

これまでずっと、空気を読んで言わなかった。
このアプリ、文章書いて投稿したら広告見せられるのなんでやねんって。

だって考えたらおかしいじゃないか。
お題一つについて考えて書いて、書き終わったら、
「よーし、広告見るぞ〜」
ってならないじゃないか。
みんな何食わぬ顔で恭順の意を示しているけど、やっぱりおかしいと思ったりする。
歴が浅いからできる気づきってやつ。

いやいや、広告見せられるのは当たり前だろ。
これ無料アプリじゃん。無料でダウンロードできるじゃん。テレビだってそうネット番組だってそう。CMや広告を見せられるのは当然じゃん。
無料の代わりに広告を見せられる、それに何の文句があるの?
そんな考えなしに疑問の芽を潰そうとするイデオロギー的常識の圧力に屈しないように、僕はなおも続ける。

いやね、陰謀があると思うんだよ。
だって広告を見終わったあと、すぐにハートが送られてくるじゃん。
これおかしいよね。時間差おかしいよね。
たった今だよね。
ハートを送りつける条件で、広告を見させられるというものがある。
となると、投稿した直後に広告が入って、その後即座にハートが来るってことは、投稿直後に見た人が秒速1キロメートルでハートを送るボタンを押して、広告を見て、ってしないと送れないよね。
ちょっと機構がおかしいよねこのアプリって。
歴が浅いからできる気づきってやつ。

いやいや、そんなことどうでもいいじゃん。
というか、そんなこと言うと垢バンされる可能性あるよ。
ありがたい気持ちで僕らは文章を書き、無料で提供し、神にすがる仔羊みたいにしとけばいいんだよ。
広告のタイミング?
そんな、余計なことなんて考えなきゃいいんだよ。
そんな心配を装って考えなしに思考停止の良さをプレゼンする者の圧力に屈しないように、なおも続ける。

それでさあ、僕Androidのアプリ版を使ってるんだけど、GooglePlayの評価を見るとさあ、「ハートが付く条件、ただ見られただけ説」というのがあってさあ。
僕はこれ説を「気に入って」いるんだよね。

気に入っている?

そうだよ。
僕は「この説」を見てこのアプリのダウンロードを決めたんだよ。
なにさ、気に入った人だからという理由があっても、広告を見てまでハートを送るって?
そんなの、幻想だよ幻想。
でも、考えてみたらわかる幻想でもアプリ開発者がそう言ってるからそうだっていうひとが多数だと思う。
信じたい人っていうのかな……。
でもね、そんな重たいハート、ぼくは要らないよ!
僕はね、サラッと見れてサラッと読める文章を書いてるんだから。
だから、その説を見たときにハッとしたんだよね。
なら、始められるなって。
気楽さ。そう、気楽さだよ。
ただ見られただけっていう軽いものなら、他人からの期待感とか考えなくていいんだって。
だから、広告とハートを分離して考えることにしたってわけ。

広告のタイミングだって、ホントは意地悪な設定にすることができる。
アプリのうざすぎる広告ゲーみたいに、二〜三個他人の投稿みたら広告。また二〜三個みたら広告、とか。
そんな事も出来るはずなんだよ。
というか、そっちのほうが広告を見る回数を稼げる!
なのにしない。

……なるほど、わかったよわかった。
君にはこう言えばいいんだね。
「なにか自慢したいことがあるの?」

よくぞ空気を読んで、言ってくれました!
ねぇねぇ、聞いて聞いて。
最近ハートが100を超えたんだよ〜!
すごいよすごい〜!
僕ってすごい!
みんながみんな神アプリっていうけど、違うよ。
続けている僕がすごいの〜!

7/11/2024, 2:35:55 PM

世の中、本当に生きづらい世の中でございます。
えー、数多くある小噺のなかで、『一件のLINE』というものがございます。
これは現代落語といわれる、ごく最近作られた噺でございます。
まあ、LINEというのは、皆様もご存じの通り、ぽつ、ぽつ、と小雨のような短文をこう、相手に送りまして、相手のほうも、
「おっ、来たかあ」
と気づき、送り返してくるという、連絡ツールといいますか、まあそういうものになります。

いやもう、生きづらい世の中の中で唯一と言っていいほど進化したものでございます。
昭和のころは文通とか、もっと昔では電報という、電報……、最近の若者はわかりますかね、
「チチキトクスクカエレ」「サクラサク」など代表的なものがありますが。もはや古典落語でしょう。

「チチキトクスクカエレ」というのは、これはわかりやすいですね。
父が危篤であぶないから、今すぐにでも実家に帰ってきなさい、という緊急性を伝える慶弔電報。
では「サクラサク」というのは?
開花宣言……電報で?
と思うかもしれませんが違いますよ。桜が咲くのは春先、つまり学生の合格発表を意味するんですね。

そんな感じで当時では最も速達性に優れた情報伝達ツールですが、もうちょっと笑えてきますね。ダイイングメッセージみたいな感じじゃないですか。
しかも、「スグカエレ」じゃなくて「スク」ですよ。
濁点が使えなかったんですからね。
文字数に応じて金額が決まってきますから、必要最低限の文字数で内容を伝えようと短くする。そうなると濁点なんて使えるものか! と我慢すると。ケチなものです一文字なんてそんな! ――と。
まあでも、了解のことを「り」とかで送ることがあったとかないとか……。
それを考えると昔の人をバカにできなくなりましたね。本当に生きづらい世の中になりました。

それで昨今の、なんといいますか、Z世代とでもいえばいいんですかね。
そのようなキッズが、ある日押入れの奥から電報の紙を見つけまして。
これが忘れ去られたように保管してあったわけですよ。

「けほっ、けほっ。な、何だこれえ、古びた紙だなあ、ばっちいぞお」
と物珍し気に目を凝らしてみますと、なにやらダイイングメッセージみたいなものが書かれている。

これを見て、好奇心が刺激されたんでしょう。
三度の飯より好きなスマホを使って、解読することにしたのです。
まずはGoogleレンズ。
ご存じですか、すごいですよねぇ。
自動読み取り機能があるので、かざせば自動で読み取ってくれる。
最近のキッズは自分で文字を打たないんです。
全部機械。全部スマホ。
でも、古びた紙ですし、よくある黒いシミだらけですから機械の目では無理な話です。
「あれー、おかしいぞー。いつもならこれで、宿題を、終わらせられるのに」
とか言って、悪戦苦闘するんですが、読み取ってくれないポンコツなので、写真に撮ってLINEで友達に送ることにしたのです。

※アプリが重くなったので残念ながら終了。
『一件のLINE』という現代落語はありません。

7/11/2024, 12:30:27 AM

目が覚めるとアザラシになっていた。
アザラシ? とアザラシは思った。
前ヒレをぺたんと自分のほっぺたにつけて、ファンデーションをするようにもちもちさせた。
そうやっていると、そういえばそうだったなと思い直した。

アザラシになった手前、こんな話をするのは良くないとは思っている。
前世という概念が仮に続いているのであれば、アザラシの前世は人間ということになる。

人間時代、しごおわに家に帰り、部屋にぐでんと待っている130センチの抱きぐるみにむぎゅうすること。
するといつの間にか朝を迎える、というのが、一日のスケジュールだった。

アザラシの抱きぐるみである。
白いもふもふ。正体はアザラシの形をした綿であるが、それでも脳みそは癒しを求めていた。
社会という波に揉まれて、身体のすみずみまで疲れの色素が沈着していた。その身体の上に、お留守番していたぬいぐるみを乗っけて、
「あ〜、今日も疲れてますね〜」
と一人芝居をしていた。数え切れないほど、
「あ〜、しろ◯んになりたい〜」
と言いながら睡魔にいざなわれ、どこかの手違いで白いアザラシになった。

時々自分がアザラシであることを忘れてしまう。
鏡があれば一目瞭然なのだが、ここは動物園である。
たしかにガラス壁はあるのだが、反射が心もとない……仕方がない。
保護されている立場、王様ではないのを自覚する。
それ以前に言語が喋れなかった。
あれしろこれしろと命令ができない。
アザラシに命令されて、嬉しくてたまらないという人間はガラスの壁の向こう側、のみならず、いたるところにいるのに。できない。もどかしい。

そんなアザラシでも、園内を勝手に散歩することは許されていた。
いや、許されているというか、自由気ままに行動した末に迷子になって、ちょうどよく飼育員に見つかって、救助されて、台車に乗せられて丁寧に戻される、ということが多い。
脱走に怒られるどころか、戻るついでに小魚もいっぱいもらえて嬉しい。

飼育員はさぞや脱走癖のあるくせ者扱いしているだろうが、ライオンが脱走するより無害だからか、ゆるい容認がされている。
アザラシ自体もそこはわきまえているというか、園内までにしてやろう感があって、決して動物園の敷地外には出ない。種族は違うが他の動物はみんな友達である。

そういうわけで、アザラシはこの日も脱走した。
しばらくして、女性の声がした。
「今日はキリンさんのところか〜」
動物園的には、ある種この脱走癖を利用していて、広報までするくらいだった。
いたるところにカメラを置いて、アザラシの首元に仕掛けたGPSをつけさせて、園内サイネージに道筋と現在地を表示させている。
このアイデアは、この女性の飼育員由来。
以来この動物園の定番にまでさせていた。
パンフレットにも「今日はランちゃんはどこにいるのかな?」と茶化している。容認というべきか心が広いのである。

予想通りキリンのところにいくと、先に発見したらしい人だかりができていた。見ると、アザラシはキリンの肩にいてジョッキーの真似をしていた。
自由なアザラシは制限されても自由のマスコットだった。

7/9/2024, 2:46:34 PM

私の当たり前。
それは平日の朝、Fe鉄入りの飲むヨーグルトを買うこと。
この習慣は、数年前の血液検査で貧血の診断をもらった日からずっと続けている。
「う〜ん、この数値。思春期の女の子……、小6の女の子と同程度しかないよ」
と医者に言われてから。
低血圧の貧血。朝はマジで弱かった。
早寝早起きとか地獄だった。学生の頃は貧血気味と自覚していたが、死の秘宝を抱えているまでに至っていたのかと再認識した。ラベルをみたら誇大広告。蓋を開けてみれば重大だった。

サプリメントに手を出すこともあったけど、ちょっと努力義務を果たせばいける程度だと思い、以来この飲料を飲んでいる。
1日分の鉄分。その言葉が嘘か真か、よくわからない。
プラセボだろうが血液検査の数値は良くなっている。
しかし、あの頃と比べても、朝は弱いまま。
貧血と低血圧だったら、低血圧のほうが軍配があがる。無理やり起きている。

社会人になって、都内へ向かう通勤電車。
当たり前という名の、このつり革に掴まって、ゆらゆらしていれば目的地に着く。
大多数がこの当たり前を享受しているけれど、目的地は人それぞれだし、通勤電車とは無縁の人もいる。
昼夜逆転、夜職の人もいる。数年前、私は学生であり、この電車に揺れていなかった。

私の当たり前は、当たり前じゃないと気づいたとき、じゃあ一体何が当たり前かと疑問した。
生まれてから今まで。ずっと当たり前だったこと。
意識せず呼吸すること。
勝手に心臓が動いていること。
悩み続けていること。
ストレスに晒されていること。
運動不足でいること。
生きていると実感しないこと。
生きていることが当たり前だと思わなくなったこと?

満員御礼のつり革。席。ところどころ遠慮の見える青いシートの優先席。
ゆらゆら揺れていたら、突如急ブレーキがかかった。
ギギギ、と身体が引っ張られて、引っ張られて、さらに引っ張られて、最大限に引っ張られて。
そして――ガタンッ。
人いきれの熱気とともに元の場所に戻った。

「ただいま車内で急病人の対応があり……」
車内放送が淡々と事実を述べる。
地震のときのアナウンサーのように、出来事を伝える手段の代わりを務めている。
本日の気温は猛暑だから、熱中症だろうか。
熱中症は夏のときだけ。それが当たり前だった。
でも今は、春でも秋でも起こり得る。気温に従うと最近理解した。

私の当たり前。
それは突如として崩れるもの。
それは人によって当たり前じゃないもの。
熱中症のような、人が我慢することで生まれる代物。

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