プレバト「炎帝戦」を見ていた。
「黴臭いホテルだけど海デカい」
俳句らしからぬ口語感。でも、わかりやすくて好き。
個人的超訳としては、
……なんだよ、ネットの事前予約のホームページではオーシャンビューで凄くいい評価、文句なしの星5だっていうから予約したのに、来てみたらなんだ。客室はカビ臭いじゃないか。
ったく、今回の旅は高くつい……
(閉め切ったカーテンを一気に開く)
うおおおおおーーーー!
すげええええーーーー!
(ロックを外し、豪快に窓を開く)
でけええええーーーー!
海ひろーーー!
やばーーーーちかいーーー!
という、見事な手のひらクルックル感を想像した。
さて、優越感、劣等感というのがお題だ。
僕は忘れたわけじゃないぞ。
優越感、劣等感とは、何やら格差というイメージがある。優越は上から下へ見下すことで得られる偽物の幸福。劣等感は、まあ、今更言うまでもないだろう。
ただ、両者2つの概念は、別に格差を設ける必要はなく、同一空間、同一時間帯に存在することもある。
例えば先のホテルの例のように、窓を開けば劣等感のあるホテルから海の眺望の望める優越感に変貌する。
黴臭い部屋の臭気は、窓より流入する潮の香りによってかき消され、清涼となる。
だから、窓があるなら窓を開けましょう!
一階、二階、階数なんて関係ありません!
湿っぽいこと、思い詰めたこと、ネガティブ感情、その手の諸々の感情。脳内とともに部屋の換気をすればいいのでは?
それが直接作用するわけではないけど、回り回って、何かしらの分岐点になるのでは?
……しかし、この説明には明確な穴があって、
そもそも語りかけた本人の部屋に、窓がなかった場合は通じません。
例えば地下室。
地下室の住民は、陽の光を全く浴びたことのないモグラのような生活をしている貧困層の人々がいます。
大人のみならず、赤子、子ども、「それ以下」。
日本にはこういった「比喩」に該当する人は少ない。
誰だって窓のある部屋・家・間取りのある建物に住んだことがある。ホームレスの人だって、今そのような状態というだけで、ホームレス生まれホームレス育ちというわけではない。
時折、天気が崩れ、劣等感などを抱きながら雨宿りをし、なんでこんなことしてるんだろ、運がないなあ、と悪態をつきながら、目線を下げため息をつく。
足元を見る。アスファルト――地面が見える。
とはいえ、その人でも、どん底という人でもない。
その下、地下室やアスファルトの下に生活している人について、よぉく考えたことはない。
目線は常に自分。下に向いていても自分。
自分より下なんてない。
地面の上に自分の足。その下はない。
が、世界中に目を向ければ、その下の人なんて意外といる。住んでいる。
さて、こういう「アスファルトの下」に対して「窓を開けましょう」というきれいごとは通じません。
そもそも窓という設備がない、というよりは、地下に窓が必要ないことは「地上の人から見て常識である」から。
また、脱出経路を塞ぐ目的として作ることを禁じているとも思われます。
だから、劣等感があるのは、同一空間に存在する優越感に裏返る可能性があるかもしれず、実際劣等感を持たない、「劣等感を持つことさえも許さない」地域も少なからず存在する。
劣等感とは、あくまで底辺の一部であって、まっ黒な幻影の一部には到底たどり着けない代物なのだろうと愚考しました。
それにしても、海はデカいほうがいい。
7/14/2024, 8:25:54 AM