短い手紙とそれから合鍵をポストに入れて私は家を出た。
ありがとう、もう二度と関わることはないと心に誓って。
それなのに何故、君がここにいるのだ。
「お迎えに来ました」
口角だけは少し上がっているが、その目の奥は笑っていない。
手には合鍵、くしゃりと丸められた紙は手紙だろうか。
「なんで……」
「それはこちらの台詞です。……まあ言い訳はベッドで聞くので、ひとまず帰りましょう。お兄ちゃん」
ぐいと掴まれた腕が痛い。振りほどくことは叶わなかった。
目の奥が鈍く光っている、そう思った。
頭は熱で火照り、感覚は馬鹿みたいに過敏になっている。
「ゆめゆめ忘れるでないぞ、お主はワシのものじゃということを」
緩く突き上げられて、強制的に返事を促される。
イエスか、はい以外の選択肢は与えられていない。
頭では分かっているのに口からまろびでる言葉は正反対のもので。
「……やだね」
覆い被さる男の眼が一層紅く輝いた。
ずっと、そうなったらいいなって心の底では思っていたのかもしれない。
汗ばむ肌、はらりと落ちる栗色の髪。
私は君よりも随分年上で、君の向けるそれは情愛と思慕とを取り違えているのだとずっと宥めすかし続けていたのに。
「どうしたら私の本気の想いをわかって頂けるのですか……!」
滅多に泣いている姿を見せない君の涙に、心は揺らいだ。
それと同時に自分の醜い本音が殻を破って首を擡げたのを感じた。
嗚呼、もう逃げられない。
お互い全てを取り去って、生まれたままの姿を曝け出して。
「ごめんね……もう離してあげられない」
「望むところです」
上に覆い被さる君からぽとり、落ちる汗が混じり合う。
ずっと追い続けていた。
美しい光と共に消えていったあなたの行方を。
あの時あなたは、一体何を見たのですか。
会いたい、話をしたい、ワイングラスを酌み交わしたい。
艦内の窓から宙に目をやると、そこには只管弾け消えていった数多の星々が散らされている。
あなたもこの星の輝きの中にいるのだろうか。
どこか遠くで私を呼ぶあなたの声が、聞こえた気がした。
その日の朝はこと骨身に染み入るような冷たさだった。
吐き出す己の息で悴む両の手をそっと温める。
朝刊を取りに行った郵便受けに夜露が光っている。
「世の中には必要な犠牲ってあると思うんだよね」
いつかあなたがくれた言葉を自分の中で反芻する。
ありがとう、身を以てその意味を証明してくれた。
リビングに戻り、温かいホットミルクを一つ机に置く。
朝刊のトップニュースからざっと言葉の羅列に目を通す。
今日もあなたの名前は載っていない。
それでも地球は廻って朝と夜とを一巡する。
お揃いのマグカップはいつまでも片割れを見つけられない。
絆創膏塗れの指で持つマグカップはほんの少し震えていた。