「お兄ちゃん」
はい、と渡しているのは可愛らしくラッピングされたチョコレートだった。
途端、花が咲いたように綻ぶ笑顔を浮かべる兄と呼ばれた男。
「これって……バレンタインでくれるのかい?」
「そうです、大好きお兄ちゃん」
兄よりも大分背の小さい少年は、思いっきり兄の腰へと抱きついた。
「ああ、そう言えばそんなこともありましたねえ」
「あの時はただ、兄弟として……だと思っていたんだけどねえ」
ベッドで二人、大の大人が裸で寝転んでいる。
枕元には手作りらしい、少し歪な形をしたチョコレートの食べ残しが置かれていた。
「私はあの頃からずっとあなた一筋です」
お兄ちゃん、と真剣みを帯びた眼差しが真っ直ぐに兄を射抜く。
「……君って時々、凄くストレートな物言いをするよね」
「あなた限定ですよ」
にこり、と笑む弟らしき男。
「あなたの手作りチョコを食べられる、世界一幸せな弟です」
パキリ、と枕元にあった一欠片のチョコを口に咥えて兄の口元へ近寄せる。
ほんの少しの間があって、やおら兄もそのチョコレートの端をカリ、と齧った。
ミルクチョコレートのふわりとした香りが二人を優しく纏っていく。
そう遠くない未来、身も心も堕ちてしまう気がした。
何が俺をそうさせたのかは分からない。
ただ只管逃げなければという己の直感に従い、着の身着のまま身を隠すに至る。
それなのに、だ。
「帰ろう」
どうやってここを嗅ぎつけたのかは分からない。
目の前にいる白髪の男、よく見知った顔なのに、今はただただ身体の震えが止まらないのだ。
「お主、本当は知っておったのじゃろう」
男は俺の身体を指差す。
「……もう、そこにおる、よ」
少し膨らんだ己の腹、ここ最近の嫌になるほどの体調不良、答え合わせをされた気がした。
「帰ろう、皆がお主の帰りを待っておる」
くらくら目眩がした、と思ったらそのまま意識は泥のように闇中に沈んでいった。
「あなたの心と身体を奪います」
そう宣言してから果たしてどれくらいの月日が経っただろう。
身体は早々に奪うことに成功した。
それでも中々ココロを溶かすことは未だに出来ずにいる。
あなたのココロが心になって、こころを開いてくれるのはいつの日になるのか。
「……もう、いやだ」
「はいはい、またいつものですね」
布団の中に篭って出てこない。
それを無理くりひっぺがすと、小さく身を縮めた裸の男がいた。
怯えたようにこちらを見つめる、泣き腫らした瞳が愛おしくてたまらない。
「今日こそあなたのココロをください」
ゆっくりと覆いかぶさる。
身体を蕩かすことで、いつかあなたの頑ななココロも解けていけばいい。
空からひとつ零れ落ちる雫を指で追い掛けてみる
昔祖母が言っていた、流れ星がひとつ落ちると魂がひとつお空に上がっていくんだよ、の言葉がどこか今では近く感じられた
あの日もきっと夜はたくさんの涙が零れ落ちたのだろう
私の流す涙もいつかそこに綯い交ぜになってキラキラ輝いて消えて、昇華されるのだろうか
今はまだ、お星さまになれそうにはない
陽の光が燦々と降り注ぐ。
眩しくてゆっくり目を開けると、君の大きな背中と引っ掻き傷がいくつも付いているのが分かった。
ついこの間まで「お兄ちゃん」と自分を慕って、キラキラした眼差しで着いてきていたと思ったのに。
いつの間にこんなに逞しく、大きくなったのだろう。
本来なら君の隣にいるのは私ではなくて、美しい女性と家庭を築いて子を成して……
じくじくと胸の奥が痛む。
分かっていた、もう彼を放してあげることなど決してできないのだと。
可愛くて愛おしくて、いつの間にか自分の中の一部に彼がいる。
「……普段からそれくらい私のことも熱っぽく見てください」
急にごろん、と彼が此方を向いた。……いつの間に起きていたのか。
「背中が熱で焼けるかと思いましたよ」
「……何、言ってるの」
真っ直ぐにこちらを見つめる熱い視線。思わず目を逸らしてしまう。
「もっと私を見て、先生」
額に柔らかい感触、接吻されたと気付いた時には上にのしかかられていた。
「こ、こら……こんな朝から」
「あまりにも情熱的なお誘いをしてくれたじゃありませんか」
お兄ちゃん、そう呟いた唇と自分のそれとが重なる。
色々と反論したい言葉は全て吸い込まれてしまった。