窓って、もしかしたら人生そのものかもしれない。
ある一部の切り取られた場面を、窓というフィルター越しに過ぎ行く人生を眺める。
人はどんなに頑張ったってその定められた窓枠を超えることはできない。
だからコミュニケーションってあるのかな。
他人の窓からみた物語を聞かせてもらって、自分の引き出しのひとつに収納することが可能だ。
私は沢山の窓越しのお話を聞きたい、だって一つの窓越しの景色だけじゃきっと退屈でしょう?
人間は人と関わることでしか生きていけないとか、そういう話にも恐らく繋がるのだろう。
これからも沢山の窓からみた景色を眺めたい、教えてほしい。
そんなふうに思った今日この頃。
「愛してる」
そんな情熱的で非常に脆い口約束をどう信じろというのか。
何の担保もない、それでいて強烈に心を揺さぶられるその言葉。
「愛が形で見えたらいいのにな」
そうそうと頷きかけて、はたと気付く。
「ダメ。そんなのあなたを押し潰してしまう」
カラカラと笑う君。ひどい、こちらは真剣に
後は強引に重ねられた唇に全てを吸われてしまう。
……少しは伝わったのかしら。
「何だか檻みたいだ」
その遊具を見た時の素直な感覚である。
子ども達は我先にそいつのてっぺんに登り、はしゃいだり大声を出したり、何だかとっても楽しそう。
頭の固い大人の見方と、柔軟な子どもの見方とではこんなに違う。
全ての物事もきっとこうなんだろうな。
四角四面でしか物事を捉えられない大人と、様々な方面から物事を楽しめる子ども。
精神的には大人になりたい、けれども柔らかく素直に物事を楽しめる心を持った子どもの一面も大事にしたい。
そんな風に改めて思った、秋の朝。
「……また会おう」
不気味な程美しく咲き誇る一本の桜を背景に、顔の見えない男がこちらに柔らかく微笑むのだ。
桜の花びらが勢いよく舞い散る。嗚呼止まらない、止められない。
ダメだ、行くな。男は桜の中に吸い込まれる。
桜吹雪が益々激しくなる。まるで男をすっかり覆い隠してしまうように。
必死に手を伸ばす、それでも桜と共に消えてゆく男。
いつもここで目を覚ますのだ。夢の中に毎晩のように出てくる男と、桜。懐かしい声。
「お前は……誰だ……?」
何も思い出せないのに、涙がとめどなく溢れてくる。
必死に記憶を手繰り寄せるも、後に残るのはただただ悲しみという感情だけ。
ハリネズミのジレンマ、正にこの言葉がピッタリである。
私もあなたが好き、あなたも私が好き(多分)。
でもお互いに相容れない。
あなたは中々私の元に訪れてくれないものね。
来てくれた、と思ったらレアメタルよろしくあっという間にいなくなる。
そして短いあなたとの逢瀬を私は心から楽しむことができない。
目が痒いわ、鼻水が出るわ、頭が痛いわで大わらわである。
私もあなたも両思いなのにね