自分を大事にすることの本質が見えていない人は恐らく多い。
私含めて、皆どこかで自分を蔑ろにしてしまっている部分は無いかな?
だからこそ「世界で一番大切な私」、なあんていう歌詞が世の中に台頭するのだ。
できていないからこそ歌にして叫びたい。訴えたい。
最近読んだ本に興味深い内容があった。
自己肯定感なるものは幼少期の環境などで形成される。
例えば何か嫌なことがあったらそれらを全て「私のせいで」とか「私さえ我慢すれば」とか思い込んでしまう。
そういう無意識の心の働きを、その本では「心のノイズ」と名付けていた。
面白いと感じたのはその「心のノイズ」があったから幼少期を生きることが出来たということだ。
親からの躾で認知が歪んでしまってできたノイズは、その当時の子どもを守ってくれていたということ。
昔は「驕るな」「親の言うことは絶対」「人様のために働け」を分かりやすく善としていた。
ただ、それは親が子どものことを考えて発したのであって親を恨むのは筋違いとも書いてあった。
確かに心のノイズがあったから親から叱られず、大人から褒められたりして嬉しい経験も沢山ある。
子どもの頃はそれで良かった。
大人になると急にその人を取り巻く環境がガラリと変わってしまう。
嗚呼心のノイズくん、今まで私を守ってくれて本当にありがとう。
これからは自分のことは自分で守れるからね。
感謝してお別れしようと思う。
まずは無意識の心の癖を知って、それがノイズになっていると理解することから始める。
例えば今この瞬間だけでも時を止められたなら。
少年には大好きな先生がいる。
その先生と今日が最後の逢瀬だとしたら。
なんのことは無い、先生は結婚して遠い国へと旅立ってしまうのだ。
この熱く滾るような思いをぶつけた時に、先刻その答えを知った。
神様、僕の初恋がこんなオチだってあんまりじゃありませんか。
果たして少年の願いは聞き届けられたのだろう。
ローテーブルの向かい側に座る先生は瞬きもせず、突如ピタリとその動きが止まった。
いつか触れてみたかったその頬、形のいい唇。そっと手を這わす。
少年には知識が無い。しかし無いなりに薄らぼんやりした性の意識はあった。
きっとこれはやってはいけないこと。超えてはいけないボーダーライン。
それでもこの機会を逃したくない。
ずっとこうしていたいなあ。どうかずっと時を止めて。
ある人は言った。
「人工物の光だね」
ある人は言った。
「わあ、綺麗」
同じものを見てもこうも受け取り方が違うのか。
物事というのは一面だけでなく、必要に応じてその裏側や斜め後ろからなど多角的に見る必要がある。
……と、つらつら書いてはみたものの、筆者が中々身につけることのできないスキルの一つだ。
とは言ったものの、夜景に関しては素直に「綺麗だ」と思える素直な感性でいたい。
ふわ、ふわ、ふんわり
あの子はいつもお花畑
頭の中を覗いてみたい
パステルカラーが彩る世界
混じりっけのない純度100%
時々石っころを蹴ってみるけど
やっぱりすぐにお花畑
傷ひとつないお花畑
だから時々花を摘む
少しずつ少しずつ
そうやっていつの間にか
草と石と砂漠になればいい
バケツをひっくり返したような大雨が降り始めた。
B男は突然の雨に驚きつつも、鞄で頭を覆いながらひた走る。
間に合え、どうか間に合ってくれ……!
祈るような気持ちで、靴に泥が跳ねるのも構わず走り続けた。
びしょ濡れのまま、脇目も振らずに建物の中に飛び込む。
目的の部屋が近付く。廊下には既に両親達が勢揃いしている。
「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ」
間に合った……!
その泣き声は外の天気とは裏腹に、幸せに満ち溢れていた。
B男は思わず込み上げる涙を堪えることができない。
愛しい我が子に会えるのを今か今かと待ち続けた。