「もしもタイムマシンがあったらどうする?」
殺人的な太陽の光が視界いっぱいに広がっている。扇風機から流れる風はライフラインだ。熱に浮かされた頭に浮かんだありふれた質問を、私はミキトに投げかけた。
「過去を見にいくかなあ。」
ミキトは少年誌のページをめくりながらそう答えた。
夏休みだけ親戚の家に滞在しているというミキトと出会ったのは先週のこと、図書館でのことだった。
本の借り方を知らないというミキトの手助けをしたことから会話が弾んで、いつのまにか家に遊びにくるほどの仲になっていた。
「えー、過去かあ。私は絶対未来を見に行きたいなー。過去のことなんて既に分かっていることがほとんどだし、未来の方が知らないことがたくさんあって面白そうじゃん。」
「…そうかなあ。」
少年誌をめくるミキトの手がぴたっと止まった。
「未来に希望なんてないのに。」
「…え?」
ミキトは言葉を続けるけど、めくられていない少年誌から視線は動かない。
「戦争はなくならないし、今よりもっと暑い夏になる。ソーシャルネットワークが進化する代わりに、言葉で容易く人を殺せるようになる。子どもは減る一方だし、消費税も10%になって、今以上に課税されるのに福祉は一向に良くならないんだよ。」
ミキトは息継ぎを忘れたかのようなスピードで、難しい言葉を並べた。
「…僕は、そんな未来を見るよりも、名作漫画がリアルタイムで掲載されている時代の臨場感を味わいたい。公園でキャッチボールしてみたりとか。」
そういうとミキトはまた少年誌をめくり始めた。
「もー、公園でキャッチボールなら昨日したじゃん!また明日もする?」
少し怒っているようなミキトの機嫌をとるように、明るいテンションを心がけて言ってみる。
「…うん、そうだね。ありがとう。」
ミキトがふっと笑ってくれたので、私は安心した。
「もうそろそろ帰らなくちゃ。」
ミキトはトートバッグに少年誌を入れて、うつ伏せに寝転がった体勢から立ち上がった。
「見送りついでに100円コンビニ着いてきて。」
外の蒸し暑さも少し落ち着いているけれど、少し歩くとやっぱり怠い。100円コンビニに入ると、その涼しさに生き返る心地がする。
「袋入れてください。」
アイスとペットボトルのジュースを2つずつ。ミキトは店員さんに対しても丁寧な言葉遣いだ。袋が要るなんて言わなくても入れてくれるのに。
「105円が4点ー。計420円です。」
マジックテープの財布から小銭を出して、ミキトは買い物を済ませた。
「これ、あげる。」
アイスとジュースを2つずつ買ったのは、どうやら私にくれるためだったみたい。
「いいの?ありがとう。」
「うん。お礼だから。」
アイスを食べながら、ミキトの親戚の家の近くの十字路まで歩いて、別れた。
それが、ミキトとの思い出の最後のページ。
14.もしもタイムマシンがあったなら
ぽん、と軽い音を立てて、スマートフォンの画面に通知が表示された。
大橋から、メッセージの通知だ。
昼下がり、ベッドから家の前に咲き乱れる桜を見ながら、微睡んでいたというのに。
『紗季ちゃんとリク付き合うことになったらしい!』
ぎゅんと心臓が跳ねた。
紗季は同じ学部で1番仲の良い女子だ。
ドッドッと心臓の音がうるさくなり、血行が良くなっていくのが分かる。
リクは高校からの親友…だと俺は思っているけれど、紗季が好きだなんて一度も言ってなかったはずだ。言っていたら聞き逃すはずなどない。
もう一度画面を確認すると、目に入った文字。
4月1日土曜日。
なんだ、そういうことか。日付を見た瞬間、そっと心臓の音は遠ざかっていく。
エイプリルフールの意味は4月ばか。もっとマシな嘘つけよ、ばか大橋。
ここで紗季に確認を取って、スクリーンショットを撮って送ったら、大橋はがっかりするだろうな。
口をひしゃげて、バレるのが早いと嘆く大橋の顔を想像すると笑えた。
『リクと付き合うことになったって、まじ?』
紗季にメッセージを送る口実ができたことについては、大橋に感謝だ。
なんだか拍子抜けして、また眠くなってきた。
俺は昨日買った550mlのペットボトルの残りの水を飲み干してから再び目を瞑った。
陽が傾いた頃に目を覚まし、まずスマホに手を伸ばす。
通知が3件。
まず紗季とのトークを開いた。
『誰に聞いた?笑 情報早い!』
寝ぼけ頭でその言葉を整理する。
やっと導き出された答えは、大橋のメッセージは嘘じゃない、ということ。
それが分かった瞬間、バッと布団を弾くように上半身を上げた。
そしてもう一度画面に視線を戻し、操作する。
『ショックで言葉でない??』
大橋からのメッセージ。
さっきとは打って変わって、血の気が引いていくのが分かる。
今年の4月いちばんのばかは、きっと俺だろうな。
13.エイプリルフール
私の実家は、最寄駅から徒歩10分弱のところにあった。
駅から家までの道のりは、ほとんど明かりがなく、真っ暗だった。
正確にいうと、高3の途中から大きな道路が通るようになり、信号が設置され、少し明るくなったが。
部活のある日は、既に真っ暗になった道を1人で歩かなければならない。
文字通り、月明かりを頼りに歩いた。
道沿いに小さな用水路が流れていたので、ぼうっと歩いていたり、歩きながら携帯を操作したりすると、うっかり足を踏み外して用水路に落っこちそうになる。
また、電信柱には「不審者注意」の張り紙がしてあり、実際に遭遇したことはないのだが、なんとなく不審者や幽霊に怯えて早歩きで電信柱を通り過ぎることもあった。
大学生から都会に出てきて、そんな悩みはすっかり縁遠いものになった。
帰り道には飲食店やコンビニエンスストアが立ち並び、街灯も数えきれないほどたくさん設置されている。
どんなに遅い時間でも人の気配がある。
足元が見えづらく転ぶなんてことはありえない。
なんとも快適だ。
女の一人暮らしには、このくらいが心強い。
ただ、たまに思い出す。
冬のツンとした空気のなか、道を照らす満月。
街灯のようにオレンジでも真っ白でもなく、蒼白い月の光。
満月の日は、足元がよく見えて安心したものだった。
そんな日を思い出すと、都会の喧騒溢れる明るい路地が、なんだか空虚に思える。
思い出を美化しているだけかもしれないが。
12.月夜
小さい頃、何だかよく分からないけど憧れたものってある?
私はね、色々あるよ。
例えば、わたがし。夏祭りでは一番最初に探してたっけ。
あと、瓶に入ったラムネ。普通に飲むより美味しく感じない?
それから、糸電話。
今なんて無線が当たり前だし、ビデオ通話もできちゃうくらいなのに、なぜか、糸で会話ができるのが不思議だったなあ。
そうそう、実際に、糸電話にハマってたこともあるんだよ。
隣の家に住んでるヨウちゃんと2人で、紙コップと凧糸を使って糸電話してたっけなあ。
私達は部屋がちょうど向かいあっていて、糸電話をするのに絶好の位置関係だった。
親に怒られて泣いた日。友達と喧嘩した日。
テストで良い点が取れた日とかね。
毎日ではなかったけど、1週間に1度くらいは、糸電話で話をしてた。
ヨウちゃんとは学校ではあまり話さなかったけど、この時間は私の宝物だったよ。
小学5年生くらいから始めた糸電話は、中学1年生の秋くらいに終わったの。
それでも2年以上は続いたと思うとかなり長かったかもね。
あれは、私に初めての彼氏ができた時だった。
相手は委員会が同じになった男子バレー部の先輩。
「そうなんか。ほんなら、もうこんな子どもじみたことももう辞めんとな。」
「え?」
そう言ってヨウちゃんは糸電話にハサミを入れた。
ヨウちゃんは、薄く笑っていたけど、ひどく傷ついたみたいな顔をしていた。
学ラン姿のヨウちゃんが、カーテンの奥に消えていくのを今でも覚えてるよ。
半分になった糸を見て、私はヨウちゃんの気持ちに気づいてしまった。
3ヶ月ほどで、先輩とのおままごとみたいな恋は終わりを告げたけど、ヨウちゃんとの糸は元には戻らなかった。
ヨウちゃん、今日はね、目玉焼き作ったんだけど、黄身が双子だったよ。
ヨウちゃん、中学から私立に行ったエリコ、結婚するらしいよ。
ヨウちゃん、今日は、会社の先輩にこっぴどく叱られたよ。
ヨウちゃん、またいつか私の話聞いてくれるかな。
11.絆
今日は君が出張から帰ってきて初めてのデート。
2ヶ月ぶりに顔を合わせる。
頻繁に出張に行く君だけど、2ヶ月空くのはかなり珍しい。
私もどちらかというと仕事人間だし自分の時間を大切にしたいほうなので、全然苦ではないんだけど、久しぶりに会うとなるとやはり浮き足立つ。
少し春の訪れを感じるような気温だし、そろそろ春物をおろしてもいいかなと思いながらクローゼットを物色する。
どんなに真剣に悩んでも決して褒めてはくれないから、私は私の着たいものを着る。
どうせなら可愛いって思われたい気持ちはあるけど、メイクもナチュラルに。最近では、女友達と遊ぶ時のほうが、メイクに気合いが入る。
そんな私が今日選んだのは、ジージャンに薄紫のニットトップス。ボトムスもジーンズ素材のペンシルスカート。カジュアルにグレーのニット帽も合わせているけど、トップスの袖や首周りにはレースがあしらわれているので、甘さもある。
スニーカーは、彼とお揃いで買ったもの。
彼はお揃いなんて恥ずかしいからと嫌がったけど、私の誕生日だからと無理矢理押し切った。
乙女心は付き合ってすぐに置いてきたけど、やっぱりお揃いのものを一つくらいは欲しかった。
彼のことだから、今日のように私と会うタイミングでは履かないんだろうけど。
「あっいたいた、お待たせ〜…って、えぇ…。」
駅で待ち合わせた私たちはお互いに目を見開いた。
彼の今日のコーディネートは、ジージャンにジーパン、濃いめではあるけど紫のニットトップス。黒のニット帽。そして、お揃いのスニーカー。
そう、示し合わせたかのように、まさかのペアルック。
「こんなことあるのかよ…。さては、お前俺の部屋にカメラでも仕掛けて…」
「んなわけないじゃん!めちゃくちゃ奇跡。」
「こんなん恥ずすぎる、どっかでテキトーに服買って着替えて来るわ。」
彼がそんなことを宣った瞬間、私は思いっきり腕を組んだ。久しく手も繋いでなかったから、なかなか勇気が必要だったけど、勢いに任せた。
「なんだよ?」
「たまにはいいじゃん!こういうのも。絶対着替えちゃダメだよ。」
「えぇ〜…」
少し…いやかなり恥ずかしそうではあるけど、まんざらでもない表情。
久しぶりのデートなんだし、たまにはいいよね。
ザ・カップルって感じで堂々と歩いてみよう。
10.たまには